2016年7月26日火曜日

マツバボタン-1 追補-3 山本榕室『花旗卉木名目』,『花旗国種子名録」,飯沼慾斎,伊藤圭介『植物図説雑纂』

Portulaca grandiflora
2016年7月 P. grandiflora cv. "Solar kids"
前に述べたように,マツバボタンの種子は,万延元年の遣米使節,文久二年の遣欧使節がそれぞれ米国・フランスより齎し,(http://hanamoriyashiki.blogspot.jp/2016/06/1-2japan-day-by-day-vol-1.html)本草家や花戸を通して広がった.

遠藤正治氏の『慾斎研究会だより』No912000111日号)の「慾斎が山本榕室*に贈った遣米使節齎来の植物」に,岩瀬文庫蔵書,山本読書室本の山本榕室筆『花旗**卉木名目』によれば、飯沼慾斎が遣米使節の帰国の5カ月後の文久元年二月を皮切りに以後,四・五・六月と4回に分けて実数約130余品の米国で使節が購入した種子を山本榕室に贈っている(「**花旗」國とは亜米利加國の別名)とある.使節の帰国後からの期間が短い事からすると,これらの種子は慾斎が繁殖して得たものではなく,使節が購入した物を分けて頒布したと考えられる.

そのリストが,遠藤氏の論文にあるが,マツバボタンの種子の榕室への分与に関して
 表-1,文久元年二月慾斎贈品 山本榕室編『花旗卉木名目』(西尾市岩瀬文庫所蔵)所載
番号
 『花旗卉木名目』の植物名
推定和名・英名・学名
16
ポルトユラカ スプレンデンス
ポルチュラカ Portulacca* splendens, Portulaca grandiflora
27
ポルチエラカ スプレンス
前出(16
54
ポルチエラツカ スプレンデンス
前出(16, 27
 *ママ)
とある.つまり,文久元年二月に三個の袋で,別々にマツバボタンの種が分与されと読め,従って遣米使節は滞米中に少なくとも三袋のマツバボタンの種を購入したと思われる.

Bot. Reg. 29: t. 34. (1843)
なお,「ポルチュラカ スプレンデンス Portulaca splendens」は『植物図説雑纂』に(最下図,NDL)も記載された,当時のマツバボタンの羅名の一つで,著名な英国の植物学者・園芸家のリンドレイ(Lindley, John (1799-1865))が,うす赤く大きな花をつけるマツバボタンを Edwards's Bot. Reg. 29: t. 34. (1843) に新種として発表した時の学名ではある(右図,MoBot/BHL)が,現在では P. grandiflora の品種名或はSynonymとされている.

*山本榕室(1809 - 1864)は江戸時代後期の医者,本草学者.山本亡羊***の次男.本草学に通じ,安政6年(1859年)父亡羊が死去すると,2年間物産会を引き継いだ.
***山本亡羊(1778 - 1859)は江戸時代後期の医者,儒学者,本草学者.高槻藩臨時御用医.父山本封山に経学,医術,小野蘭山に本草学を学んだ.医業のかたわら儒学,本草学を講義し,家塾を読書室と称して毎年のように読書室物産会を開催.この物産会は亡羊没後は子の榕室,弦堂に継がれ,文化5(1808)から文久3 (1863) にかけて計48回開かれた.西国各地から多くの弟子を迎え,講義,採薬,物産会を行い,多くの著作を残した.深い学識と篤実な人柄で門人は千数百人を数え,蘭山なきあとの京都本草学派の主導者となり,文政9(1826)年には江戸参府途次のシーボルトとも京都で会見している.

一方,榕室の『花旗国種子目録』の「花旗国種子名録」(冒頭に「文久二年五ヶ国使者ノ従者道民仏蘭西把理斯所得種子 美濃大垣飯沼慾斎所蔵」)には,医師として遣欧使節に同道した川崎道民****フランスパリにて購入した種子を慾斎が榕室に分与した種子 63 品のリストが掲載されているが,マツバボタンの種子は記載されていない.(遠藤正治『慾斎研究会だより』No93200151日号)の「慾斎が山本榕室*に贈った遣欧使節齎来の植物」)
一方,圭介の『植物図説雑纂』には,遣欧使節もマツバボタンの種子を齎来したとあるが,道民が購入しなかったのか,重複したので慾斎が榕室に贈与しなかったのであろう.

****川崎道民 (1831 – 1881) 幕末の佐賀藩医,長崎海軍伝習所に参加し,1860年の万延元年遣米使節,1862年の文久遣欧使節に御雇医師として随行し,報道・新聞・写真等の技術を学んだ.帰国後,藩主鍋島直大を撮影.合わせて新聞の必要性を知り佐賀県初の新聞「佐賀県新聞」を明治五年に発刊するも不遇に終わるが地域での啓蒙活動に尽力した.「写真技術の元祖」の一人としても知られている.

遠藤正治氏は遣欧使節がフランスから齎来した種子は 185 品であるとして「伊藤圭介の『植物図説雑纂』や蕃書調所・洋書調所編『植物図譜稿』によって、蕃書調所・洋書調所の教授方箕作秋坪らがパリ(おそらくパリー植物園)で入手した「185品」内の種子名ときわめてよく一致している。箕作秋坪らとしばしば行動をともにしていた道民が別に「185品」をセットで入手したのか、あるいは箕作秋坪らから分与されたのかは不明であるが、いずれにせよ「185品」が道民を通じて慾斎の入手するところとなり、これが京都の山本榕室に贈られたという筋書きが浮かんでくる。」としている.

また,アメリカで種子を購入した遣米使節員については,「慾斎はいかなるルートでこれらの植物を入手したのであろうか。まず考えられるのは遣欧使節の場合と同様、川崎道民である。しかし、アメリカ種の遺稿に一度も道民の名が記載されていない点で疑問が残る。次に考えられるのは御医師として随行した幕府医官の宮崎立元村山伯元である。両名は「採薬之儀に付奉願候書付」を外国奉行組頭成瀬善四郎に提出している。アメリカで採集した草木等を腊葉にして持帰り医学館に納めたいとして、そのための腊葉貯蔵器や果実浸漬用焼酎などの提供を申請したものであるが、願いは却下される。しかし、両名が腊葉を持ち帰ったのは事実のようで、文久二年五月の山本読書室物産会に幕府医久志本左京を通じて「万延元年庚申於花旗国所採腊102」として出品されている。」(右図,NDL)とあり,米国で種子を購入した人物として,道民,立元と伯元の可能性を指摘している.(遠藤正治『慾斎研究会だより』No90200081日号)の「遣米使節齎来の植物を記載した「草木図説遺稿の発見」)

しかし,伊藤圭介『植物図説雑纂』の「マツバボタン」の項の冒頭(左図)にあるように,アメリカで種子を購入した遣米使節員としては,外国奉行組頭成瀬善四郎の可能性が高い(http://hanamoriyashiki.blogspot.jp/2016/06/1-2japan-day-by-day-vol-1.html)ように思われる.

一方,遠藤氏は「このとき米・欧から齎来した種子を慾斉に仲介した人物として、慾斎の三男宇田川興斎******の存在が無視できない。興斎の(文久元年)六月十三日付の滝田茂吉・武谷椋亭宛書簡に「兼面差上候米国産種子御蒔付ニ相成候」「今便又々三十三袋献上仕候」とあり、興斎がかなり大量の米国産種子を配布する位置にいたことがわかる。さらに興斎は、同年蕃書調所に出役した伊藤圭介にも米国産種子を贈っている。これは父慾斎からの指示によった形跡がある。」と記している(上記論文)
この興斎より贈られた種子を育てて,圭介は『植物図説雑纂』の記事を書いたのであろう.

******宇田川興斎 18211887)幕末-明治時代の洋学者,蘭方医.飯沼慾斎の三男.坪井信道,宇田川榕庵に学ぶ.榕庵の娘と結婚して養子となり,美作津山藩医をつぐ.また幕府の蕃書和解御用手伝となり,箕作阮甫らと共に,ペリー来航時や日露和親条約をむすぶときの文書翻訳に当った.

2016年7月16日土曜日

マツバボタン-4 花の色素 ベタレイン.基本はマゼンタとイエロー.赤色の花は?,色水遊び(M + Y = R)

Portulaca grandiflora 
2016年7月
日差しの強い亜熱帯地方の,水の乏しい軽質砂状土の地方が原産地のマツバボタンは,その環境に適応した生育様式をとっている.水分を貯める多肉質の茎・葉を持ち,主として CAM型光合成を行い,高温の晴天下では,葉が莖にくっつく一種の就眠運動を行う.花も受粉すると間もなく花を閉じるため,開花している時間は個々の花によって異なる.更に,鮮やかな花の色も,アントシアニンより抗酸化性に富むベタレイン (Betalain) 系の色素からなる. 

ベタレインは赤紫色のベタシアニン (Betacyanins) と黄色のベタキサンチン (Betaxanthins) からなるが,マツバボタンの花には,これ以外の色も多い.その多様な色はこの二つの色の混ざり具合から発色すると考えられる.

つまり,どちらかの色の遺伝子が発現し,他方が発現しないと「赤紫色 Magenta (M)」か「黄色 Yellow (Y)」になる.二種の遺伝子がどちらも発現しないと「白色」になる.

では,赤色 (Red, R) は,どうして発現するのか.これは,「MY 減法混色」のマゼンタ (M) とイエロー (Y) の混合によって赤 (R) に見えると考えられる.

即ち赤紫色のベタシアニン類 (betacyanins) と黄色のベタキサンチン類 (Betaxanthins) を合成する二種の遺伝子が両方発現すると「赤」の花が得られる.そして,どちらの遺伝子も発現しない「白色」を含めた四種の色の組み合わせで「赤紫」「藤色」「赤」「ピンク」「橙色」「レモン色」「黄色」などの多様な色の花が咲くのであろう.


実際に「黄色」と「赤紫」の花弁のそれぞれをつぶして水で抽出し,得られた「黄色 (Yellow)」と「赤紫色 (Magenta)」の色水を混合すると「赤色」の液 (Magenta + Yellow (1)) が得られる.
また,「黄色」と「赤紫」の花弁を混合して,つぶし,水で抽出すると,やはり「赤色」の液 (Magenta + Yellow (2)) が得られる.(右図)

上述の混色のルールに従って今春,播種し開花した “Solar kids” と,昨年の株を越年させて挿し芽から開花させた “Jewel” の花々を示してみると,以下の図のようになる.12時の白花と9時のマゼンタ花は “Jewel” 種の,そのほかは “Solar kids” 種の花である.
なお,“Jewel” 種は耐寒性が強く,暖地や室内では茎が木質化して,原産地と同様多年草として越年するが,残念ながら花色は白花とマゼンタ花しかない.

2016年7月4日月曜日

マツバボタン-3 英国への渡来. Gillies, Tweedie, Sir William Jackson Hooker "Botanical Magazine" "Botanical Miscellany", タイプ標本

Portulaca grandiflora
2016年7月 P. grandiflora cv. "Solar kids"
マツバボタンの原産地はブラジル・アルゼンチン及びその付近で,歐州に紹介されたのは比較的遅く,1827年に,熱帯アメリカの植物を研究していたスコットランド人の医師 John Gillies によって,当時のブラジル國の軽砂質地で発見され,英国に標本と種が送られた.これを基に,1829年英国の植物学者フッカー(Sir William Jackson Hooker)が, “Curtis's Botanical Magazine” に記載し,現在も有効な学名を発表した.

医学博士のJohn Gillies, M.D. (1792 – 1834)  はスコットランド生まれ.エジンバラ大学で教育を受け,ナポレオン戦争の間は英国海軍の軍医として軍務に服した.肺結核を患い,28歳の時に療養のために英国を離れ,気候のよい南米に移住.八年間を主にアルゼンチンで過ごし,精力的に南米各地を探索した.戦乱や,不安定な生活状況,慢性的な病苦に耐えながら,1828年に帰国するまで,数多くの南米産植物をフッカーに送り続けた.エジンバラにおいて42歳で死亡,遺体はカールトンに埋葬されている.

Curtis’s Botanical Magazine, vol. 56: 2885 (1829)/MoBot-BHL
フッカーは “Curtis’s Botanical Magazine, vol. 56: t. 2885 (1829) “ に "PORTULACA GRANDIFLORA.  LARGE-FLOWERED PURSLANE*.
(中略)
* An ancient Latin word applied to the Purslane, of very doubtful origin. Some say from portula, a little door, because the leaves resemble a little door.
“Purslane” に適用された古代ラテン語の語源ははっきりしない.これは, “portula”(小さなドア)由来で葉がそれに似ているからだという説もある.*

Professor DE CANDOLLE* justly observes, that the Genus PORTULACA is a very heterogeneous one; and its characters are certainly but imperfectly understood. I am happy, therefore, in having the opportunity of giving an analysis of what I cannot but think a new species of the Genus, and one, the beauty of whose flowers must render it a desirable inhabitant of the cool stove or greenhouse.
カンドール教授が,PORTULACA(スベリヒユ) 属は非常に不均一な属で,その特徴は確実だが不十分にしか理解されていないと観察したのは,正しい.それゆえ,ここにこの属とか思えない新しい種を分析する機会を持てることは幸いである.この種は,花が美しいので,cool stoveか温室で栽培したい植物としての資格は十分である.
Augustin Pyramus de Candolle* (オーギュスタン・ピラミュ・ドゥ・カンドール,Augustin Pyrame de Candolle,1778 –1841) は,著名なスイスの植物学者.多くの植物の分類に寄与し,学名をつけた.

It was discovered by Dr. GILLIES, growing in light sandy soil, in various situations between the Rio del Saladillo, or Western boundary of the Pampas, and the foot of the mountains near Mendoza. On the Western side of Rio Desaguardero plants were in great profusion, giving to the ground over which they were spread a rich purple hue, here and there marked with spots of an orange colour, from the orange-coloured variety which grew intermixed with the others.
この植物はジリース博士によって,サラディージョ川,あるいは,パンパの西の境と,メンドーサ近くの山地の間の種々の環境の軽砂質地に生育しているのが発見された.デサグアデロ川の西側では,非常に旺盛に繁茂していて,この植物が拡がっている大地は,紫色に染められるが,他と混じって生育するオレンジ色の花を咲かせる変種があちこちでオレンジ色の斑点で彩る,(現在ではアルゼンチン国内)

Portulaca pilosa(ヒメマツバボタン) 2016年7月茨城県南部
It has some affinity with P. pilosa, (Bot. Reg. t. 792) but differs in the greater length of its leaves and vastly larger size of the flowers. The colour of these flowers we find to vary to that degree, that it must afford a very deceitful character for the grouping of the species of the Genus. P. teretifolia and P. lanuginosa will also rank very near our plant, but the latter is described as having small flowers, and the former, many ovate, acute, diaphanous bracteae at the base of the flowers.
この種は幾分かPortulaca pilosa(ヒメマツバボタン)に似ているが,葉がずっと長い事と目立って大きい花のサイズの点で異なる.ここに観察されたこれら(マツバボタン)の花の色の変化の程度は,この種を一つのグループとする?.P. teretifoliaP. lanuginosa も我々の植物と非常に近いと位置づけられよう.しかし後者は小さな花を,前者は花の付け根に多くの楕円形の先のとがった半透明の苞片を持つと報告されている.

Fig. 1. Orange-flowered state of the plant. 2. Purple-flowered ditto. 3. Extremity of a Flowering Branch, from which the corolla is removed. 4. Portion of the Stamens. 5. Pistil. 6. Section of the Germen. •All but fig-1 and 2 more or less magnified.

John Gillies が 現アルゼンチンのメンドーサ附近で採取したマツバボタンの腊葉標本はエジンバラ大学とロンドンの王立キュウ植物園(Royal Botanic Gardens, Kew)に保存されていて,エジンバラ大学のそれは,基準となるタイプ標本とされていて (Royal Botanic Garden Edinburgh - Herbarium Catalogue, http://data.rbge.org.uk/herb/E00285945, http://data.rbge.org.uk/herb/E00285947).αとβの二種があるとされている.
また,キュー植物園のそれも,Gillies が採取したもので (Royal Botanic Garden, Kew - Herbarium catalogue, http://specimens.kew.org/herbarium/K000424602) ,フッカーが自分の息子をキューガーデンの園長の後継者にする事を条件に寄付した膨大な植物標本コレクション(Herbarium Hookerianum)の一部として保存されている.

ウィリアム・ジャクソン・フッカー(William Jackson Hooker, FRS. 1785 – 1865)は、イギリスの植物学者、植物画家.グラスゴー大学の植物学のレジウス教授職(Regius Professor)を務め,その後,キューガーデンの園長を務めた.ジョセフ・バンクスの友人であり、バンクスの援助で植物採集探検やその整理も行った.カーチスの “Botanical Magazine” に収載された多くの植物の解説を記述した.息子のジョセフ・ダルトン・フッカーもキューガーデンの園長を務めた.

更にフッカーは著書 “Botanical Miscellany: Containing Figures and Descriptions of Such ..., Vol. 3“, Murray, (1833) の “CONTRIBUTIONS TOWARDS A FLORA OF SOUTH AMERICA AND THE ISLANDS OF THE PACIFIC;” において,(右図,上部.下部はPortulaca gilliesii の記述)
” 491. (1.) Portulaca grandiflora, Hook.— α. major; foliisunciam Vel sesquiunciam longis.—Bot. Mag. t. 2885.— β. microphylla, fbliis vix semiunciam longis.—P. Mendocinensis, Gill. mst.— α. and β. Between Rio Saladillo and Mendoza, Dr. Gillies. Near Mendoza, Tweedie.—Although Dr. Gillies distinguished and drew up descriptions of these, from the living plants, as species, yet we cannot in the dry state find any specific difference : indeed a specimen from Tweedie is nearly as robust as in α., while the leaves are larger than in β.”
「αとβの二種を Gillies はサラヂオ川とメンドーサの間で,*Tweedie はメンドーサで採取した.Gillies は生体を見てαとβの二種を判別して,それぞれの種としての特徴をきちんと記述したが,腊葉の状態では,我々はこの二種に特徴的な差は見出せなかった.実際のところ Tweedie の標本の方はαのようにたくましく,一方葉はβより大きかった.」と記述し,αとβの二種はないと考えたようだ.

Curtis’s Botanical Magazine
 vol. 58: 3064 (1831)
/MoBot-BHL
*Tweedie, John (James) (1775-1862)
スコットランド人,エジンバラ植物園で庭師の修行をして,50歳を過ぎてから,アルゼンチンを中心に南米の植物を採集,多くの資料をフッカーに送った.ルリトウワタが属する Asclepiadaceae Tweedia Hook. & Arn. 属に献名されている.

フッカーはGillies が南米で採取し種を送ったスベリヒユ属の新種の植物を,彼に献名して Portulaca gilliesii と名づけた  (Curtis’s Botanical Magazine, vol. 58, t. 3064 (1831) 左図,"Botanical Miscellany",492, 右上図下部).
赤紫色の一重の五辧花は径 3㌢ 程とマツバボタンよりも小さいが,濃色の葉は米粒のようで多肉植物の雰囲気が強く,中国で「流星馬齒莧、紫米飯,小松葉牡丹、流星馬齒莧、紫米飯、紫糯米」と呼ばれ,特に鉢植えとして好まれている.