2016年6月27日月曜日

マツバボタン-2 追補 柏木吉三郎 『亜墨利加草類図』 松葉牡丹と命名

Portulaca grandiflora

平野 恵『十九世紀日本の園芸文化一江戸と東京、植木屋の周辺』思文閣出版 (2006) には,柏木吉三郎*の稿本『亜墨利加草類図』(文政10/41827)・元治元(1864))の二十四丁表の図が掲げられていて,それにはマツバボタンの図と共に,
「ポルチエラツカスプレンデンス
黄花ヲ ウヱルロウテンス
松葉牡丹ト吉三郎*名附
又長太郎**岩牡丹ト名附
文久元酉年初テ亜墨利加ヨリ来る珍草なり」とあり,以下判読不明だが,「紅色・白色・黄色などの種々の花があり,実を蒔けば繁殖する.莖の高さは7-8寸で,また(茎を)挿せば根付く」と書いてあるようだ.

この資料によれば「松葉牡丹」の名は柏木吉三郎が名付けたことになる.

『倭種洋名鑑』より,風せんカヅラ
(東博上記公開画像より部分引用)
*柏木吉三郎17991883(明治16)以降?) 幕末から明治に活躍した巣鴨の植木屋.花戸(かこ)業の傍ら,本草学者の小野蘭山の孫である職孝(もとたか)の弟子となり,本草を修め,本草家や花卉愛好家と交流する.積極的に海外から渡来の植物を栽培し,伊藤圭介に「粗図ナレドモ之ヲ自写シ楽ミトナシ居リタル老翁(確認中)」と評された植物画を多く残す.三色すみれ ハクチョウソウなど,渡来植物の和名はこの人がつけたという.著作『倭種洋名鑑』は東京国立博物館のHPで見ることができる(webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/E0035325).
柏木吉三郎については,上記の平野恵の著書の「第二部 園芸と本草学,第二章 植木屋柏木吉三郎の本草学における業績」に詳しい. 


**内山長太郎(18041883)は,花戸の太閤とも呼ばれた,江戸後期―明治時代の名植木職人.巣鴨の竹笊作りの倅として生まれ,15歳で賞翫用の唐辛子の苗の振り売りから始め,社寺縁日に店を出し,そこで富山藩主・前田利保と出会い贔屓にされた.菊づくりの名人で,巣鴨に「栽花園」をひらき,菊人形展にたびたび出品.文政12年には水野忠暁の「草木錦葉集」を出版した.チョウタロウユリは彼の名に由来する.

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