2016年4月28日木曜日

ツリフネソウ-2 坐拏草 本草圖譜,本草図譜名疏,草木図説,草木図説目録,増訂草木図説

Impatiens textorii
2006年9月 茨城県北部
前記事にあるように,江戸末期から明治にかけて「ツリフネソウ」の漢名として「坐拏草」を記した植物書がある.岩崎灌園や小野職愨(小野蘭山の玄孫),白井光太郎はこの漢名を採用し,牧野富太郎も一時この考定を記録した.この「坐拏草」は,『本草綱目卷十七 草之六 毒草類」には現れる.しかし,貝原益軒や稲生若水の和刻では,対応する和名が記されておらず,小野蘭山の「本草綱目啓蒙」でも「坐拏草 詳ナラズ。〔附録〕押不蘆 詳ナラズ」と特定の植物は考定されていない(後述).後年牧野はこの考定を取り消し,現在では「ツリフネソウ=坐拏草」は誤りとされている.

★岩崎灌園(17861842)『本草圖譜 巻之二十三 毒草部』(刊行1828-1844)
一種 うづらぐさ,  一種 白花つりふねさう,  坐拏草 (NDL)
坐拏草(ざどさう)
つりふねさう よこくもさう ほらかひさう
武州道潅山水濕の地に多し春月實より生す莖ハ鳳仙に似て紅色葉濶し鋸歯あり
夏秋の間花あり形又鳳仙に似て紅色實又鳳仙に似て細し葉莖味ひ微し酸しよこくもさうを充るハ古説なり鳳仙の次の條にありて坐拏の形をいふものか又楚頌の説に六月開紫花結レ實采其苗藥甚易得と云ふあり」
「一種 白花つりふねさう
摂州及江戸稀にあり形状全種と異ることなし但莖淡緑色にして花白色なり」
「一種 うづらぐさ きつりふね
相州大山邉に多く實より生ず莖ハ鳳仙に似て細く透徹す葉は薄荷に似て鋸歯粗く紫の斑ありて鶉の羽に似たり故にうづら草の名あり
花ハ夏月開く形坐拏草(ヨコクモサウ)に似て黄色實も似たり實に觸れハ急に裂破れて實飛散る」

★本草図譜刊行会『本草図譜名疏 巻之二十』(1916-1921),和名考訂 白井光太郎,學名考訂 大沼宏平
「解説 坐孥草
〔和名〕つりふねさう. 一名 よこくもさう. 一名 よこむらさき(大田澄元,本草記聞), 一名 ほらかひさう(本草要正)
(學名)Impatiens textorii Miq.
一種 白花つりふねさう*
(學名)Impatiens textorii Miq. var albiflora K. Ohnuma
一種 うづらぐさ. 一名きつりふね.(學名)Impatiens noli-tangere L.

*和名:シロツリフネ(Impatiens textorii Miq. f. pallescens (Honda) H.Hara)か?

★飯沼慾斎『草木図説前編(草部)』(成稿 1852年ごろ,出版 1856 - 1862

黄ノツリフ子サウ, 紫ノツリフ子サウ, 上条一種 (NDL)
「黄ノツリフ子サウ 鳳仙花ノ属
溪間濕地ニ生ス.莖二三尺多液柔滑ニシテ節々膨起シ。有柄葉ヲ互生ス形橢圓ニシテ粗鋸齒アリ。色淡緑ニシテ光ナク。往々暗赭色ノ斑アルモノアリ。夏梢葉腋ニ寸餘ノ花莖ヲダシ。数梗ニ分レテ葉間ニ垂レ毎頭一花ヲ下垂ス。蕚圓尖二葉。花体螺ノ如ク尖尾長シテ曲リ唇大ニシテ二辧。帽小ニシテ一辧。ソノ状頗ル奇ナリ。故ニホラガヒサウノ名アリ。黄色ニシテ裏ニ赭赤ノ細點アリ。雄莖五莖帽唇相會スル処ニツキ。子室ヲ圍ミ葯下ニ至テ共ニ併合ス。葯亦相摂スルコト鳳仙花ト轍ヲ同ウス。子室角様ニシテ尖鋭。熟後折開スルコト亦鳳仙花ト同シ 附蘂廓大圖
第七種
Impatiens noli-tangere(インパチーンス ノリ タンゲレ)羅 Europisch Springzaad(エウロピス スプリングサード)蘭
Croydeken en Roert my niet.(コロデケン エン ルールト メイ ニート)鐸氏*
*書中又時々鐸氏ト云フ是レ「ドドネウス」氏(Rembertus Dodonoeus 即チ R. Dodoenus)ニシテソノ書ハ Cruydt-boeck ナリ西暦一千六百十八年(元和四年)和蘭国「ライデン」府ニ於テ出版セルモノナリ.(牧野富太郎『増訂草木圖説』「巻末ノ言」)
紫ノツリフ子サウ
大段黄花ノ品ト同シテ。葉稍大ニ形尖鋭ニシテ鋸齒細密。色深緑莖柄共ニ紅紫色ヲ帯フ花形黄花ノ者ト同ジケレドモ尖尾巻囘シ。辧色淡紅紫。體尾ニ於テハ差浅ク。裏面ニ紫細點アリ生殖部黄花ト同シ
按上条ノ一種ニシテ西書ニ在テ未ダ此種ヲ説ヲ見ズ」
上条一種
木曽山中水側濕地ニ生ス。形状都テ紫ノツリフ子サウニ同ウシテ小。高僅ニ尺許。花最小ニシテ短ク。嘴下ニ曲テ後ヘノビず。間最短キヲ交ウ。両廓大圖ヲ以テ其状ヲ示ス。五雄蘂平扁ニシテ子状ニ起リ。葯下ニ於テ各蘂分岐シテ互ニ相連ル。葯白色。子室細長ニシテ鮮緑色。一柱ヲナシ柱頭亦白色
按西書ニ在テ未ダ此種ヲ説ヲ見ズ」

 
★田中芳男, 小野職愨 選『草木図説目録. 草部』(1874)博物館
「(六五)キツリフ子 吊胡蘆〔鳳仙科〕
(65) KI-TURIFUNE. (BALSAMINACEA)
IMPATIENS NOLI-TANGERE L.
(六六)ツリフ子サウ 坐拏草〔鳳仙科〕
(66) TURIFUNESŌ. (BALSAMINACEA)
IMPATIENS TEXTORI MIQ.
(六七)ミヤマツリフ子  〔鳳仙科〕
(67) MIYAMA-TURIFUNE. (BALSAMINACEA)
IMPATIENS PARVIFLORA. D. C..

小野職愨(もとよし)(1838 – 1890) 幕末-明治時代の植物学者.小野職孝(もとたか)の子.小野蘭山の玄孫.蘭山や父の影響をうける.維新後大学南校(東大の前身)にまなび,文部省博物局にはいる.近代植物学の普及につくし,「新訂草木図説」「毒品便覧」などをあらわした.

田中芳男 (1838 – 1916) 幕末-明治時代の博物学者,官僚.伊藤圭介に師事.蕃書調所にはいり,慶応3年パリ万国博覧会に参加.維新後は文部省,内務省,農商務省で博覧会開催や博物館の建設,殖産興業につくす.駒場農学校の創立,大日本水産会,大日本農会の設立などにも貢献.著作に「有用植物図説」など.

★故飯沼著述 牧野富太郎 再訂増補 四輯『増訂草木図説 草部(1912) 成美堂
「○第六十三圖版
キツリフ子 吊胡蘆
Impatiens noli-tangere L.
ホウセンクワ科(鳳仙科) Balsaminacea
溪間濕地ニ生ズ、莖二三尺多液柔滑ニシテ節々膨起シ、有柄葉ヲ互生ス形橢圓ニシテ粗鋸齒アリ、色淡緑ニシテ光ナク、往々暗赭色ノ斑アルモノアリ、夏梢葉腋ニ寸餘ノ花莖ヲダシ、数梗ニ分レテ葉間ニ垂レ毎頭一花ヲ下垂ス、蕚圓尖二葉、花體螺ノ如ク尖尾長シテ曲リ唇大ニシテ二辧、帽小ニシテ一辧、ソノ状頗ル奇ナリ、故ニホラガヒサウノ名アリ、黄色ニシテ裏ニ赭赤ノ細點アリ、雄莖五莖帽唇相會スルノ處ニツキ、子室ヲ圍ミ葯下ニ至テ共ニ併合ス、葯亦相摂スルコト鳳仙花ト轍ヲ同ウス、子室角様ニシテ尖鋭、熟後折開スルコト亦鳳仙花ト同ジ、附蘂廓大圖
第七種
Impatiens noli-tangere(インパチーンス ノリ タンゲレ)羅 Europisch Springzaad (エウロピス スプリングサード)蘭
Croydeken en Roert my niet.(コロデケン エン ルールト メイ ニート)鐸氏」
「○第六十四圖版
ツリフ子サウ 坐拏草
Impatiens Textori Miq.
ホウセンクワ科(鳳仙科) Balsaminacea
大段黄花ノ品ト同シテ、葉稍大ニ形尖鋭ニシテ鋸齒細密、色深緑莖柄共ニ紅紫色ヲ帯ブ花形黄花ノ者ト同ジケレドモ尖尾巻囘シ、辧色淡紅紫、體尾ニ於テハ差浅ク、裏面ニ紫細點アリ生殖部黄花ト同ジ、
按上条ノ一種ニシテ西書ニ在テ未ダ此種ヲ説ヲ見ズ、」
「○第六十五圖版
ミヤマツリフ子
Impatiens japonica Franch. et Sav.
ホウセンクワ科(鳳仙科) Balsaminacea
木曽山中水側濕地ニ生ズ、形状都テ紫ノツリフ子サウニ同ウシテ小、高僅ニ尺許、花最小ニシテ短ク、嘴下ニ曲テ後ヘノビズ、間最短キヲ交ウ、両廓大圖ヲ以テ其状ヲ示ス、五雄蘂平扁ニシテ子状ニ起リ、葯下ニ於テ各蘂分岐シテ互ニ相連ル、葯白色、子室細長ニシテ鮮緑色、一柱ヲナシ柱頭亦白色、
按西書ニ在テ未ダ此種ヲ説ヲ見ズ、

2016年4月26日火曜日

ツリフネソウ-1 諸禽萬益集,地錦抄附録,草木弄葩抄,画本野山草,和訓栞,梅園草木花譜,日光山草木之図,本草要正

Impatiens textori
2004年8月 白馬村
渓谷沿いの湿潤な地に多い草本.草丈1メートル近くまで成長する.これ程大型の一年草は日本では珍しい.植物体の90%近くが水分の,柔らかい莖葉を持ち,特異な形の花を時節には多くつりさげて目立つ.花の形から,吊船草,釣舟草,法螺貝草などと呼ばれ,また,この花を子供が指にさして遊んだからか,ゆびはめぐさ等の方言がある.

目立つ花にも関わらず,記録に現れたのは比較的遅く,故磯野慶大教授の初見は,★左馬介『諸禽萬益集』(1717述,1742写)で「釣舟艸」として現れる(左図).この書は江戸時代三大養禽書の一つだが,著者の実名は不明.巻一は飼育法,巻二は各論で,和鳥125品について解説する.後書で著者は『草花伝』という自著もあることを記し,外来種では金糸梅・日々草・葉牡丹など,和産種では京鹿子・達磨菊・釣舟草・羽衣草・二葉葵・柳蘭などの内外計210ほどの名を挙げるが,そのなかには初出名が少なくない.

江戸の植木屋として,数多くの園芸用植物を栽培し記録した★四世伊藤伊兵衛『地錦抄附録 巻二 草花のるい』(1733) には,「横紫(よこむらさき)
花形螺貝(ほらがい)のかたちにて異形なりいろ濃むらさき八九月さく」とあり,庭用にも栽培されていた事をうかがわせる(右図).

ツリフネソウには,類縁種のキツリフネ(Impatiens noli-tangereがあり,★菊池成胤『草木弄葩抄(1735) での「釣船草」は,このキツリフネと思われ,紫花-ツリフネソウ-はこの類とされている.「釣船草
葉、から松草に似て、きれあさく、葉うすし。くき、雰節(ふしだち)して、葉のうらより一寸許の、ほそきいと、さがり、はなをつる事つり船のごとし。花のかたち、とりかぶとをよこに志たるかごとく、いろ、本金、黄、至極かハり也。又、紫花あり。」(左図)

ツンベルクが帰国時に持ちかえり,その後の日本植物の著作の参考としたとして知られる★橘保国(1715-1792)画本野山草 第五巻』(1755)には,釣船草の絵の記載として「芲地エンジグ ヒラ同 ソコヨリキクマトル スシヱンシ同ホシ (花の地は臙脂色,花びらも同じ,底から黄色が隈取る,筋は臙脂で,同じ色の星がある)」とある.当時の「画本」とは,画家が手本として描くためのデザイン集で,細かく塗る色を指定していた.しかし,植物としてのメモには
「釣船草 花、八九月有
葉、野菊のはに似て、きれあさく、葉うすし。くき、雰節(ふしだち)して、葉のうらより一寸ばかりの、ほそきいと、さがり、はなをつる事つり船のごとし。はなのかたち、とりかぶとを横にしたるかごとく、色、本金(ほんきん)、黄、至極かハり也。又、紫花有、又白もあり。」と,ほぼ『草木弄葩抄』の記述をコピーしていて,キツリフネが主の記述と思われるが,絵の説明には花色は臙脂であると,手本絵はツリフネソウを見て描いたと思われる(右図).
また,白い花のは,ハガクレツリフネ (Impatiens hypophylla)と思われる.

★谷川士清 (ことすが) 編の『和訓栞(わくんのしおり)』(17771887)は,江戸後期の国語辞書で全 93巻.安永6~明治20年(17771887)刊.3編からなり,前編には古語・雅語,中編には雅語,後編には方言・俗語を収録.第2音節までを五十音順に配列し,語釈を施して出典・用例を示す書であるが,その『巻之一六』に
「つりふね (中略) 草にいふは麦藍莱なり」とある(左図).
この,麦藍莱は神農本草経から現われている薬草「王不留行(オウフルギョウ)」で,ナデシコ科の「ドウカンソウ(道潅草))の異名との事.

★毛利梅園(17981851)の『梅園草木花譜』(1825 序,図 18201849),「梅園草木花譜 秋之部二」には,実物を写生した美しく精密な図に
「地錦抄曰 横紫 ツリフネサウ 横雲草 釣舟草亦有黄花ノ者一品別種爲
本草云 坐拏草 ツリフ子さう ヨコクモサウ」
とあり,キツリフネの存在や,「横紫」「横雲草」の異名と,本草綱目に出る「坐拏草」と考定されている事が記されている(右図).

この「ツリフネソウ=坐拏草」という考定が初出した文献は調べきれなかったが,『本草綱目』の「坐拏草」への誤考定が,和本草書では度々現れる(後記事).


★岩崎灌園 (1786-1842) が登山中の植物を記録した『日光山草木之図』(1824)の「第五巻」には,「日光・瀧本」で写生したキツリフネの図が色刷りで残る.(左図)

★泉本儀左衛門『本草要正巻之一』(1862)には,
「ホラガイソオ 黄花ノモノヲキツリフ尓ト云ヒ
        紫花ノモノヲヨコムラサキト云」
とあり,ツリフネソウの異名として法螺貝草と横紫が記録されている.

(挿図は全て NDL のデジタル公開文書よりの画像部分引用)

ツリフネソウ-2 坐拏草 本草圖譜,本草図譜名疏,草木図説,草木図説目録,増訂草木図説

2016年4月18日月曜日

款冬,フキタンポポ-3/3 質問本草,本草綱目啓蒙,物品識名,本草図譜,増補古方薬品考,草木図説前編,牧野富太郎 増訂草木図説,頭註国訳本草綱目,植物分類研究,植物一家言,植物一日一題

Tussilago farfara
Left: Hungary - 1958,  Centre: Bulgaria -  1950s,  Right Bottom:  Great Britain - 1967. (Ox-eye Daisy, Coltsfoot and Buttercup)

中国本草書に記載されていた植物・動物・鉱物は,その記述から日本産の自然物に当てはめられたが,この考定には誤りが散見された.特に日本には産しなかった欵冬は,フキ,フキノトウと誤って考定された.「冬に雪の下でも,葉に先駆けてキクに似た黄色い花が開く」とのフキとツワブキを混ぜたような記述が本草家を悩ませたようだ.牧野富太郎はこの款冬が日本には産しない「Tussilago farfara」である事を見出し,大正元年刊の『増訂草木図説』(1912)に発表し,さらに『頭註国訳本草綱目』(1929)でその和名を「フキタンポポ」と「新称」し,普及すべく多くの文を書いた.彼はまた,「フキタンポポ」が葉の無い冬に黄色い花を咲かせることから,福寿草の代りに新春を寿ぐ花になることを予言した.1970年代にはフランスから種が移入され,現在多くの種苗店で,牧野の予言通り正月の花として売られている.

質問本草 NDL
★中山呉子善『質問本草』(1789 稿成立)
「野鮬 欵冬 フキ
-丑ノ之冬清舶漂-到ス採一テ此ノ種一ヲ問レフ之ヲ
野鮬 鄭--慶」
「質問本草」は沖縄産の種々の植物を,図や標本を中国人に示して,その名を質問して漢名を記録した書.「フキは琉球列島の北のほうにはあるが、沖縄にはない.漂着清人の鄭茂慶にこの種を採って聞いたとしているから,標本は栽培品であろう.相国寺跡に設置された薬草園のものである可能性が高い.」

★小野蘭山『本草綱目啓蒙 巻之十二 湿草類下』(1803-1806)
「欵冬花 フキノトウ フキノヂイ河州 フキノシウトメ和州 バツカイ南部・松前 バシカイ南部
〔一名〕赦肺侯(摘耕)欵冬薬(本草必読)冬花薬(古今医統)欵花(万病回春)
欵冬ハ和名鈔ニ、フヽキト訓ズ。今ハフキトヨブ。薬ニハ花ヲ用。故ニ欵冬花ト云。即今冬春食用ノフキノトウヲ用ベシ。薬肆ニ莖立ノビ己ニ花ヲ開クモノヲ乾シ售(ウル)モノハ、用ニ堪ズ。古ヨリ欵冬ヲ名花ノヤマブキトスルハ、其誤朗詠集ヨリ出。ヤマブキハ棣棠(秘伝花鏡)ナリ。欵冬ハ元来フキノコトニシテ、山生ノモノヲ山フキト云、ヤマブキト仮名同キ故ニ混ズルナリ。山中自生ノモノハ、葉小ニシテ苦味多シ。家園ニウユルハ、葉大ニシテ苦味薄シ。奥州南部、津軽、羽州秋田ニハ、至テ大ナルモノアリ。茎ノワタリ七寸、孔中ニ乾青魚(ホシニシン)二ツヲ入ベク、葉ハ馬上ノ傘ニ用ベシト云.コレヲ南部ニテ十輪田(トワタ)ブキト云.此根ヲ
取ヨセ栽ルニ、初ハ大ナレドモ年年変ジテ小クナルナリ。尋常ノフキノ一種ニ紅ブキアリ。
花ノ蕾紫赤色、開バ色浅シ。種樹家ニテコレヲ琉球ブキト云。此種モト甲州ノ身延山ヨリ出。本経逢原ニ、花紫色有ニ白糸一者真ト云トキハ、紅ブキヲ薬用ニ良トスベシ。又一種紫ブキアリ。葉面淡紫ヲ帯、茎ト背ト深紫色ナリ。又朝鮮ブキ、一名ヤツガシラト云アリ.
葉大ニシテ苦味少シ。花族生スルコト数多キ故ニ、八ツ頭ト名ク。唐山ニハ欵冬花少キ故、証類本草ニ、諸州ノ欵冬ノ図ヲ多ク載、且枇杷花ヲ偽リ貨買スト云.一種ツハハ、欵冬ノ類ニシテ別物ナリ。葉厚深緑色、秋黄花ヲ開。形色フキト異ナリ。紀州、勢州、筑州ニハ山野ニ自生多シテ欵冬ハナシト云.是、急就篇ノ橐吾ニシテ、釈名ノ橐吾ト同名ナリ。橐吾ハ欵冬ニ非ズ。本草ニ以テ一トスルハ誤ナリト、通雅ニ詳ニ弁ズ。正字通モ亦然リ。是、皆史游ガ急就篇ニ、半夏皁莢艾橐吾欵東貝母薑狼牙ト云,顔師古*ガ註ニ、橐吾似欵冬,而腹有糸、生陸地花黄色、一名獣須ト云ウヨリ宜ク従ベシ。然レドモ二書共ニ橐吾ヲ欵冬ト同名トセズシテ、皆フキノ内ニテ紅花ナル者ヲ歎冬トシ、黄白花ナル者ヲ橐吾トスルハ、非ナリ。」

*顔師古 【がんしこ】(581645)中国,初唐の文献学者。字は籀(ちゆう)。唐の太宗時代,王朝によって行われた文化事業,たとえば《五経正義》の定本づくりともいうべき五経本文の校定,《隋書》の撰述などに秘書監として参画。またその《漢書》注は後漢代以来の注釈の集大成であるとともに,祖父の顔之推,叔父の顔遊秦たちがきずいた家学の蓄積を継承する。そのほか《急就章》の注,文字学,音韻学に関するノート風の《匡謬正俗(きようびゆうせいぞく)》の著作がある。

★岡林清達・水谷豊文『物品識名 坤』(1809 )
「フキ                  欵冬                      」(右図,NDL)

本草図譜 NDL
★岩崎灌園(17861842)『本草図譜(刊行1828-1844)
本草図譜18濕草類6
「欵冬 やまふき
紫ふき
今ふきといふ薬用にはふきの花を用ふふきに数種あり赤ふき●花の蕾紫赤色にして開くときハ浅紅なり花戸(ハナト)に琉球ふきと云甲州身延山より出づ●是蘇頌の説に有二紅花一者と云本經逢原に花紫色有二白絲一者眞と云是也一種紫ぶきあり葉背紫色茎深紫色にて花淡紅色なり此二種紅花欵冬<百花録>ともいふ
一種 みづぶき
又白ふきともいふ茎葉淡緑色葉甚タ大●●●徑一尺餘高さ二尺許春月茎を食用す」

★内藤尚賢『増補古方薬品考(1842)
天保11(1840)年に稿が成り翌年に刊行。傷寒論、金匱要略に収載された薬物220余種について、その薬性、効用を論じる。また、挿図は写実性に富み、江戸末期における薬物基源を知るうえで大いに参考になる、まさに江戸後期の代表的薬物書といえる。★内藤尚賢『増補古方薬品考』(1842)
増補古方薬品考 NDL
「款冬 善ク喘- -氣ヲ治ス フキノタウ 款作 俗
【本經曰】款冬花 味辛溫.主-逆上-氣 善-痺,諸--癇寒-熱邪-【案】款冬冬月生味極 性順降 故有-スル- -
【射干麻黄湯】咳シテ而上気 喉中水鶏聲アリ
【撰品】款冬有二-生家-二種 倶 採其花未レ良 今藥舗皆採満開下品ナリ 又有倍(ベ)仁(ニ)不(フ)幾(キ) 莖-葉如クニシテ常品花紅色ニシテ愛 又有-田款(フ)冬(キ)二尺許 其花亦大ニシテ簇生 此二-藥用
〇款冬 冬先 若ニシテ蘘荷花(メウガノコ)而有毛茸 淡緑色ニシテ紫赤 後生-莖一-葉長スル者一二尺 葉圓ニシテ鋸齒粗

草木図説 フキ NDL
★飯沼慾斎『草木図説前編(草部)』(成稿 1852(嘉永5)ごろ,出版 1856(安政3)から62(文久2))草類1250種,木類600種の植物学的に正確な解説と写生図から成る.草部20巻,木部10巻.草部は1852(嘉永5)ごろ成稿,56(安政3)から62(文久2)にかけて出版された.
「巻十七 草部 第十九綱 下」「フキ 欵冬
形状衆ヨク通知シ啓蒙亦載之可見吾郷所在ノ品邦俗二種ニ分ツ.一ハ山野自生ノ品之ヲヂブキト云.一ハ家栽之品之ヲタウブキト云.甲者ハ形稍小ニシテ培養スルモ草二尺餘,葉柄ノ粗サ中指大ニ不過,色淡緑ニシテ根際僅ニ淡紅紫色ヲ帯,苦味多ケレドモ湯煠スレバ軟ニシテ味勝ル.乙者ハ余未ダ産處ヲ詳ニセズ.園畝多栽フ.高サ三尺ニ超エ粗大拇指ニ過.緑色ニシテ紫色ヲ帯ルコト亦多シテ濃ク,煠食ニ剛シテ味甲者ニ不及レドモ,ソノ大ナルヲ以テ人家多クコノ種ヲ栽テソノ用ニ供ス.共ニ早春葉ニ先ツテ花アリ.蕚短長二重,甲者ハ花ニ二種アリ,一ハ全房雌雄花ニシテ白色間マ淡黄ヲ帯ブ,一ハ邉圍全ク雄花ノミニシテ中心僅ニ四五或ハ十許ノ雌雄花ヲ具シテ白色,間マ周圍ノ雌蘂淡紅色ナルモノアレドモ,中心ノ雌雄花ニアツテハ必ス白色トス.乙者ハ花亦稍大ニシテ邊圍ノ雌花中心雌雄花ノ品ニシテ色ニ紅白ノ二種アレドモ全房盡ク雌雄花ナルモノアルヲ不見.又一種紅ブキナルアリ.近道自生ヲ不見.啓蒙云駿州身延山ニ出ト.草ヂブキノ形ニ同シテ.花茎鱗葉帯紅色.全房雌雄花ニシテ弁尖紅暈アツテ雌蕊白色
按林氏 Tussilago(トュシラゴ)羅 Haefblad(ウーフブラド)蘭ノ下ニ十種ヲ挙ク.コノ末ノ四種ハ全ク吾フキノ類ニシテ多クハ色形ニヨツテ分之ソノ第八種 alba(アルバ)羅 witte(ウェツテ)ナルハ全房雌雄花ニシテ白色ト云即チブキノ内全房雌雄花ナルノ品ニ當リ第九種 hybrida(ヒブリダ)羅 basterd(バステルド)蘭 ナル者ハソノ品ニ當ル第十種 Patasites(ペクシラス).Poddebald(ポッデブラド),ナル者ハ全房雌花ナシト云且阿須氏所圖已一帯紅色ナレバコノ紅ブキナルコト晰然タリ此他紫ブキ朝センフキ仙臺ブキ等ノ種アレドモ余未ガ花形ヲ締視セザレバ姑期後日之撿
一 ヂブキノ全房雌雄花者本然圖 甲 其一小全花郭大圖
                乙 紅ブキノ一小全花郭大圖
二 ヂブキノ中心雌雄花周圍雌花者本然圖 丙 其雌花郭大圖
                    丁 其帯紅色者郭大圖」と,フキノトウには雄花と両性花があることを記している.

上記慾斎の著作を増補・改定した★牧野富太郎『増訂草木図説』大正元年(1912)成美堂に,牧野は慾斎のフキの記述に追記して
〔補〕従來フキニ欵冬ノ漢名ヲ充ツ是レ誤ナリ 欵冬ハ即チ Tussilage Farfara L. ニシテ全ク別属ノ一種ニ属ス 未ダ我邦ニ産スルヲ知ラズト雖ドモ歐州ニハ之ヲ生ジ又支那ニ見ル葶末一頭花ヲ戴ク フキハ,多頭的ナルト同ジカラズ而シテ草情多少フキニ類ス我本草家ノフキト誤リシ所以ナリ.本文中タウブキハ即チアキタブキニシテ我邦北地ニ生ジ大ナルモノハ高サ人ノ身長ニ超エ大葉巨柄驚クベキモノアリ之ヲ Var. gigantean (Gald. Chron. 1897, II. P. 331).ト云フマタ本文中ノ紅ブキハ Forma purpurascens Makino. 是ナリ(牧野)」とし,欵冬はフキではなく,Tussilage Farfara L. であることを明らかにし,1000年近く続いた誤校定を訂正した.

頭註国訳本草綱目 款冬 牧野 頭注 (Internet Archive)
更に,牧野は★『頭註国訳本草綱目』白井光太郎(監修),鈴木真海(翻訳),牧野富太郎(考定)春陽堂(1929)の「草部 第十六巻 草之五 隰草類」の「款冬花(本經中品)」の項目名に於いて
「和 名 くわんとう,ふきたんぽぽ新稱
學 名 Tussilago Farfara L.
科 名 きく科(菊科)」とし,頭注に於いて「牧野曰フ,従来款冬ヲ我邦ノふき(Petasites japonicus Miq.)ニ充テ來レドノ是レハ全ク誤リデアル,款冬ノ葉ハ廣キ心臓形ヲナシ葉縁角ハリ或ハ浅裂シ葉裏ハ白毛ヲ密布シテ居リ花ノ後ニ出ヅル,花ハ花梗上ニ一輪ヅツ咲キ頭状花ヲナシ鮮黄色ヲ呈スル,歐州,亜細亜,北亜非利加ニ分布シ隣國ノ支那ニハ産スレドモ我日本ニハ生ジテ居ナイ,植物名實図考巻ノ十一ニアル款冬ノ圖ハつわぶきヲ畫イタモノデ眞物デハナイ.」と,欵冬(Tussilago Farfara L.)の和名として「フキタンポポ」を提示した.これが,フキタンポポの名称の初出と思われる.

植物分類研究 第八圖
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★牧野富太郎『植物分類研究 下』誠文堂新光社(1936
「第六圖版 款冬花 「綱目」巻ノ十六,草ノ五,隰草類下 ふきたんぽぽ(牧野命名,葉ハフキニ似,花ハたんぽぽニ似テヰルカラノ名) キク科(Compositae
【異名】款冬 橐吾(同名アリ) (中略)
【学名】Tussilago Farfata L., (中略)
○支那竝ニ北西亜細亜,歐州,北阿弗利加ニ産スレドモ絶テ我日本ニ見ヌ○従來我邦デハ此款冬ヲふき()マタ款冬花ヲふきのたうダト思ッテヰタガ其レハ全然誤レデアッタ.稲生若水,松岡恕庵,貝原益軒,小野蘭山,水谷豊文等ノ如キ歴代ノ碩学デモ其誤認ニハ遂ニ気附カナカッタ.故ニ今日デモ尚舊來ノ習慣ニ因テフキヲ款冬ト書ク人ガ多イ.『綱目』款冬ノ文中ニ「十二月開黄花,青紫萼云々」トアルノヲ見テモ其レガふきデナイ事ガ直グ判カル○歐州デハ其葉ヲ藥用ニ供シタノデ一度我邦ノ藥局方デモ之ヲ採用シタガ今ハ廃シタ.○醫藥方面デハ従來之レヲ●失喇●(チュフシラゴ)ト音譯シテヰタ,ソシテ當時ノ諸學者皆支那ノ款冬ヲ我フキトト誤認シキッテヰタノデ實ハ其款冬ガマサニ其品デアッタコトヲ暁?ラナカッタ●唐ノ張籍ノ詩ニ「僧房逢着款冬花 出寺吟行日已斜 十二街中春雪遍 馬蹄今去入誰家」トイフノガアルガ此作者ハ機敏ニ事物ヲ其詩中ニ採リ入レ爲メニ其詩境躍然誠ニ興趣ノ餞?イノヲ覺ユル
『救荒本草』款冬花ノ上欄ニ松岡玄達ガ「達按史游急就章對學款冬橐吾自是二物此混爲一者襲綱目之誤」ト記シタノヲ見タ江戸ノ醫,大舘徴菴ガ之レヲ駁シテ「松岡標注襲綱目之誤トハ可笑救荒ハ明ノ永楽四年周憲王ノ著ス所也綱目ハ萬暦二十四年時珍ノ子李建元ノ奉ル所ナリ救荒ヨリ後ナル事百九十一年也何綱目ノ誤ヲ襲ハンヤ」ト徴菴ノ手澤本ノ『救荒本草』ニ記入シテヰル  (昭和七年 (1932)九月十五日發行『本草』第三號所載)

牧野富太郎『随筆 植物一日一題』東洋書館(1953
「欵冬とフキ
 昔から我国の学者は山野に多い食用品のフキを千余年の前から永い間中国の欵冬だと思い違いしていた。ゆえに種々の書物にもフキを)欵冬と書いてある。ところが明治になって初めて欵冬はフキではないことが分ったが、それでもまだなお今日フキを欵冬であるとしている人を見受けることがまれではない。殊に俳人などは旧株を墨守して移ることを知らない迂遠を演じて平気でいるのは世の中の進歩を悟らぬものだ。
 フキは僧昌住(しょうじゅう)の『新撰字鏡(しんせんじきょう)』にはヤマフヽキとあり、深江輔仁(ふかえのすけひと)の『本草和名(ほんぞうわみょう)』にはヤマフヽキ一名オホバとあり、また源順(みなもとのしたごう)の『倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)』にはヤマフヽキ、ヤマブキとある。これでみればフキは最初はヤマフヽキといっていたことが分る。すなわちこのヤマフヽキが後にヤマブキとなり、ついに単にフキというようになり今日に及んでいる。そしてフキとはどういう意味なのか分らないようだ。
 フキはキク科に属していて Petasites japonicus Miq. なる学名を有し、我が日本の特産で中国にはないから、したがって中国の名はない。欵冬は同じくキク科で Tussilago Farfara L. の学名を有し、これは中国には見られども絶えて我国には産しない。そして一度もその生本が日本に来たことがない。これは盆栽として最も好適なもので、春早くから数葶(てい)を立て各葶端にタンポポ様の黄花が日を受けて咲くので、私はこの和名をフキタンポポとしてみた。
 この欵冬は宿根生で、早くその株から出た花がおわると次いで葉が出る。葉は葉柄を具(そな)え角ばった歯縁ある円い形を呈し、葉裏には白毛を布いている。本品はかつて薬用植物の一つに算えられ、欧州には普通に産する。そして西洋では多くの俗名を有すること次の如くである。すなわち Colts-foot(仔馬ノ足)Cough wort(咳止メ草)Horse-foot(馬ノ足)Horse hoof(馬ノ蹄)Dove-dock(鳩ノぎしぎし)Sow-foot(牝豚ノ足)Colt-herb(仔馬草)Hoof Cleats(蹄ノ楔)Ass's foot(驢馬ノ足)Bull's foot(牡牛ノ足)Foal-foot(仔馬ノ足)Ginger(生姜グサ)Clay-weed(埴草(ハニクサ))Butter bur(バタ牛蒡)Dummy-weed(贋物草)である。
 欵冬は早春に雪がまだ残っているうちに早くもその氷雪を凌いで花が出る。「欵ハ至ルナリ、欵冬ニ至テ花サクユエ欵冬ト云ウ」と中国の学者はいっている。欵冬にはなお款凍、顆欵冬、鑚欵冬などの別名がある。
 日本のフキを蕗と書くのもまた間違っている。フキには漢名はないから仮名でフキと書くよりほか途はない。フキでよろしい。これがすなわち日本の名なのである。」

牧野富太郎『植物一家言』北隆館(1956
款冬の本物
 支那に款冬と謂はれる,植物が在り,是れは亦,欧州でも見られるが,日本には,無い,其れ故,日本の学者は,款冬を,我がフキだと勘違ひ爲て居た次第で在る,款冬は,日本には無いけれど,私は先繰りして,之が和名を,フキタンポポと爲て見た,葉はフキの様で,花はタンポポの様だからで在る,学名は Tussilago farfara L. で在る.」
款冬花
唐(タウ)(中華)の張籍の詩に
款冬花「僧房逢着款冬花,出寺吟行日已斜,十二街中春雪遍,馬蹄今去入誰家」(訳)僧房逢着ス款冬花,寺ヲ出デテ吟行スレバ日已斜メナリ,十二街中春雪遍ネシ,馬蹄今去テ誰ガ家ニ入ル」と云ふ有名で人口に膾炙した詩がある,サテ此詩中に読み込まれている款冬花とは,抑も何んな植物であるの乎と釋ねてミルと此れはキク科に属する宿根草で,春早く雪中に在て黄色の花を発らく者である,其れは恰うど我がフキと(蕗の漢名は中らず)即ち Petasites japonicas Miquel と花期を同じくする者だ,学名を Tussilago farfara Linnaeus と謂ひ,支那の外では,欧州にも産するが併し我が日本には生じてゐない.特に早春に花が咲くので,献歳の花として福壽草と同様に,観賞に値する花草であるから何とかして日本に取り寄せたならば,勿論喝采を博する者と思はれるど(ママ),未だ今日に至るも,誰一人,之を輸入した者が無い.」

「一九七四(昭和四九)年ごろにフランスから種子を空輸して栽培に成功したのが始まりです。折しもハーブという概念が導入され、ハーブキャンディーが紹介されました。繁殖力旺盛で、日本のフキと同じ効果があります。(正眼短期大学)」