2015年10月27日火曜日

ハリアサガオ-2,丁香茄苗・天茄兒・丁香茄兒,若冲画帖・花彙・本草綱目啓蒙・救荒本草啓蒙・梅園草木花譜・本草図譜・草木図説・植物名実図考・Food Plants of China, 幼果実 縦横断面

Ipomoea turbinate, I. muricata (synonym), Calonyction muricatum (synonym)
食用となる若い果実 2015年10月
江戸時代に中国から渡来し,帰化した救荒植物.江戸には琉球から薩摩商人の手で種がもたらされ,平賀源内によって栽培され,詳細な記事と写生図が記録された(前記事).食料になったのは若い実や肥大した蔕(へた).漢名どおり小さな茄子によく似た形をしていて,下剤としての薬効のあるアサガオと異なり,食しても問題はないとのこと.
莖には刺があり,実が大きくて下を向いて着くなどの特徴は,毛利梅園の絵によく捉えられている.特徴のひとつとして「実が白い」と種々の本草書にあるが,完熟した場合はアサガオと同様に褐色の果皮に包まれ,種子は黒い.ただしアサガオのそれに比べて大きい.
中国への渡来について,胡秀英博士は,フィリピンに植民したスペイン人が熱帯アメリカから持ってきたのが,中国南部に伝わったとしている.しかし,フィリピンに到達した初のスペイン人は1521年のマゼラン率いるスペイン船団であり,一方,14061407)年刊行の『救荒本草』にハリアサガオの記述があるので,時代的に合わない.原産地は熱帯アジアとすべきであろう.

なお,文献の記述を記事にする場合,読み易いように,適宜読み下しに変えたり,句読点,改行,空白を入れた.疑問がある場合は NDL 公開の原文献を参照されたい.文献よりの図は特に断りない限り NDL のデジタル公開画像より部分引用.


写実と想像を巧みに融合させた「奇想の画家」として人気の伊藤若冲 (1716-1800) 原画で,明治末年(刊行年度不明)芸艸堂発行の単色拓版摺「若冲画帖」には,ハリアサガオの図が載っている(右図).この画の図法は,木版を用いた正面摺りで,拓本を取る手法に似ていることから「拓版画」と呼ばれる.通常の木版画と逆に,下絵を裏返しせずそのまま版木に当て,地の部分ではなく描線部分を彫って凹ませ,彫り終えた版面に料紙を乗せ表から墨を付ける.結果,彫った図様が紙に白く残り,地は墨が載った深い黒の陰画のような画面が出来上がる.極彩色の花鳥画がよく知られている若冲だが,デザインの面白さに特化したモノクロ図にも味わいがある.この図では,花より果実の形状の特異さに描く価値を見出している様だ.

★小野蘭山『花彙 艸之三』(1765
「丁香茄苗 テウカウカベウ ハリアサガホ 救荒本艸
仲春種子ヲ下シ便チ苗ヲ生ジ 藤蔓ヲ引テ樹竹ニ上ル 小架ヲ作シテコレヲ玩ブ 藤上ニ柔棘アリ ソノ葉圓尖形チ瘡帚(カシュウ)葉ニ類シ嫩緑色ナリ 差互シテ生ズ 五六月葉間ニ花ヲ生ズ 形チ筋根(ヒルガホ)花ニ類シヤヽ小ニシテ五尖アリ ソノ色粉紅ニシテ紫暈アリ 萼長クシテ假君子芲萼(アサガホノヘタ)ノ如シ 実モ亦圓尖ニシテ相ヒ似タリ ソノ蒂最モ肥長寸バカリ 小刺アツテ嫩小菰(チイサキナスビ)ノ如シ 生青ク枯テ白色ニ變ズ 核ニ三稜アリテ假君子核ニ異ナラズ 熟シテソノ色白シ」

★小野蘭山『本草綱目啓蒙 巻之十四上 草之七 蔓草類』(1803-1806)
「牽牛子 アサガホ(和名鈔) ケニゴシ(今古集)〔一名〕假君子(假耕録) 三白草(村家方)
(中略)
〔集解〕時珍日,白者,人多種之云々.コノ草ハ,ハリアサガホナリ.一名テウジナスビ,トウナスビ,マンパラス或ハモンパラストモ云.寛延ノ始*薩州ノ商人コノ種ヲ携キタル.今ハ諸州ニ多クウユ.春月タネヲ下スコト牽牛子ノ如クス.葉ハ何首烏(かしゅう)葉ノゴトクエシテ光アリ.藤ニ柔刺アリ.人ヲ傷ラズ.花ハ牽牛花ニ同クシテ,小ク淡紫色筒ニ近シテ色深シ.申ノ時ヒラキテ戌ノ時萎ム.故ニ今俗ユフガホト呼.ソノ蒂(へた)肥テ柔刺アリ.甚茄ノ蒂ニ似タリ.上ニ房ヲ結テ牛奶茄(ヒトクチナスビ)ノ形ノゴトシ.熟スルトキハ白色微褐,牽牛子殻ノ如シ.内ニ子アリ,子ノ形亦同シテ微大白色,ソノ嫩ナルモノハ食フべシ.コレ救荒本草ニ載ル所ノ丁香茄児一名天茄児ナリ.白牽牛ニアラズ.時珍ノ説誤レリ.白牽牛ハ白花ノ牽牛ヲ以,真トスべシ.」
寛延ノ始*:寛延元年1748

★小野蕙畝口授(小野職実/録)『救荒本草啓蒙 第十四巻 菜部』(1842
本草学者の蘭山の孫の小野蕙畝が講義をした内容を,その子職実がまとめたもの.
「丁香茄苗
丁子ナスビ 丁子アサカホ
梅園草木花譜 秋四
此種元﨑陽*ヨリ来リ九州邊ニ栽ユ 今ハ世上ニ多シ 葉形落葵(ツルムラサキ)葉ニ似テ大ニシテ蔓生 花ハ旋花(ヒルカホ)ノ形ニシテ淡白紅ヲ帯フ 未ノ刻頃ニ開キ暮ニ至リテ猶アリ 故ニ夕(ユフ)ガホトモ云 花後實ヲ結ブ 形丁子ノ如ク肥大ニシテ肉アリ 食用トシテ害ナシ 本草牽牛ノ條時珍説ニ白牽牛子ヲ丁香茄児トス 誤ナルベシ」
﨑陽*:長崎の異称.江戸時代,漢学者が中国風に呼んだもの

★毛利梅園(1798 1851)『梅園草木花譜 秋四』(1825 序,図 1820 – 1849
「救荒本草及農政全書出
丁香茄苗(テウシナスビ,ナンバンアサガホ),天茄児 藤茄 藤瓜
本草詔江南之藤茄畫譜云
藤瓜此一種也
壬辰*七月十有八日 於霊石園眞寫」
壬辰*1832
よく特徴は現されているものの,萼が二重になっているのが気になる

★岩崎灌園(17861842)『本草図譜(刊行1828-1844)
野生種,園芸種,外国産の植物の巧みな彩色図で,余白に名称・生態などについて説明を付し,『本草綱目』の分類に従って配列している.巻510は文政131830)年江戸の須原屋茂兵衛,山城屋佐兵衛の刊行.以下巻1196は筆彩の写本で制作,三十数部が予約配本され,弘化元(1844)年に配本が完了した.
「巻之二十六 蔓草類二 牽午子(けんごし)
一種 てうじなす はりあさかほ
春實を栽.葉圓くして尖り,何首烏(かしゅう)の葉に似たり.蔓に疣多し.花の蒂(へた)長く形丁子(てうじ)に似て大なり.花は旋花(ひるがほ)に似て大に,白色中心紫色なり.實は下垂す.生なるときは採りて鹽蔵し亦●(者のしたに火,=煮)て食す.中子白色白花の牽午子と同じ故に,時珍此物を以て白牽牛とするは謬なり.てうじなすは漢名丁香茄苗(救荒本草)といふ」

★飯沼慾斎『草木図説前編(草部)巻之四』(成稿 1852(嘉永5)ごろ,出版 1856(安政3)から62(文久2)
「ハリアサガホ 天茄児
蔓葉共ニ多液滑澤.葉形ツルムラサキニ似テ大ニシテ薄ク.蔓ニ柔刺アリ.葉腋花ヲ出スコトアサガホノ如ク.萼五片ニシテ亦多肉.花旋花(ヒルガホ)ノ形ニシテ淡白紅紫底ニ濃紫暈アリ.實礎両蕋アサガホト一般故ニ不圖.花未後放テ暮ニ至ル.花後梗曲ツテ●(黙の犬を占=點)頭.蒂多肉柔滑ニシテ可食.實熟シテ亦アサガホノ如シ
按林氏第十種ニ挙ゲル「イポモイア・ボナ 羅,クーデ・ナクト・トレクテルウインデ」ノ葉形及莖ニ刺アリ花暮ニ萎(シボ)ム等ノコト.本條ニ合スレドモ.其文簡且一處ニ三ハナヲ出スモノヽ如キニ嫌アリ.宜ク他ノ可較ノ書ヲ得ノ日ヲ俟テ當否ヲ決スベシ」

★呉其濬 (1789-1847)『植物名実図考 果類巻之三十一』清末 (1848)
「天茄子 救荒本草謂之丁香茄 茄*作蜜煎,葉可作蔬 其形状絶類牽牛子 或即以爲牽牛花殊誤」(右図,BHL)
*:幼果
『植物名実圖考』三八巻と『同長編』二二巻は,薬草のみならず植物全般を対象とした中国初の本草書として名高い.『圖考』には実物に接して描いた,かつて中国本草になかった写実的図もある.幕末~明治の植物学者・伊藤圭介はこれを高く評価し,植物に和名をあてて復刻.のち伊藤本から中国で再復刻された.

分類学の分野で働いた中国の植物学者.1949年にハーバード大学から植物学の学位を得た最初の中国人女性.★胡秀英 (1908 – 2012) の著作 "Food Plants of China" (刊行年確認できず)には,
幼果実 縦横断面
“Calonyction muricatum (L) G. Don (Syn. Ipomoea muricata [L.] Jacquin)
Tian-qiw = T’ien-ch’ieh (天茄,Celestial Eggplant; Ding-xian-qie = Ting-hsiang-qie = Ting-hsiang-ch’ieh (丁香茄,Clove Eggplant. Leafy shoots; used for potherb; young fruit for jam.
(中略)
Native to tropical America, introduced to the Philippines by the Spanish people and thence to tropical China by overseas Chinese residing in Manila; recorded in the famous Famine Herbal (救荒本草,Jiu-huang-ben-cao published in 1407.”
とあるが,冒頭に述べたように,フィリピンに到達した初のスペイン人は1521年のマゼラン率いるスペイン船団である.


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