2015年6月17日水曜日

カラスノエンドウ-6 薇 『詩経』博物学-2 毛詩品物図攷,蘭山訳毛詩名物図説,詩経名物弁解正誤,毛詩名物質疑,詩経名物図解

Vicia sativa subsp. nigra
2015年5月

岡元鳳(澹斎) (1737-1786) 毛詩品物図攷 艸部 蕨・』(1785
「  言采其蕨 ワラビ
ニ蕨ハ鱉也。集傳ニ初生葉無キ時ニ食フ可シ。
  言采其 ゼンマヒ
ハ菜也。集傳ニ蕨ニ似テ而差大,芒有ニシテ而苦シ,山間人之ヲ食フ,之ヲ迷蕨ト謂。」とし,それぞれを図示している.蕨には「初生で葉がないとき」と,には,展葉した成体の図がそれぞれの特徴を踏まえて描かれている(左図, NDL).

小野蘭山考定『毛詩名物図説』(1808)(原著:清徐鼎(字は雪樵),1771刊  Blog-5 参照
 ワラビ
 ゼンマイ」とある(右図, Google Books).蘭山は,『本草綱目啓蒙』を含めてその著作でははゼンマイであると力説して,時珍の『本草綱目』での記述には,誤りがあるとまで云っている.

小野蘭山『詩経名物弁解正誤
 可也
 (『詩経名物弁』でのゼンマイとの考定は)可也 色々ノ説アリ皆非ナリ○イノデハ中ノ一品ト云ハ非ナリ漢名毛蕨ナリ名醫類案ニ云毛蕨ヲ食テ傷人アリ」と,先輩である松岡恕庵による『詩経名物弁解』(1731, Blog-5 参照)の「はゼンマイ」の考定を肯定している.

井岡元泉(1778 - 1837)編『毛詩名物質疑 5巻』には,
「〔
ノ説多シ 孫炎尓雅ノ註ニ云草生水旁而枝葉垂於水故名垂水也 亦廣志葉似萍○ニ説ヲ據トシ先輩定メテゼンマイトス ゼンマイハ山中ニ生ス蕨ノ山野ニトモニ生ズルニ○カラズ 多ク渓澗水旁ニ横生シ枝葉下垂スルニ孫炎ガ言ヘル如シ 初生蕨ノ如ニシテ褐葉アリ長スレハ三尺許ニシテ長葉排生ス 別ニ黄褐色ノ穂ヲ抽キ細子ヲ着ク其実生ノ者 恰モ紫背浮萍ニ類ス故ニ廣志ニ似萍ト云リ 朱伝ニ云似蕨而差代有芒而味苦ト 松岡恕庵ノ説ニ朱伝ノ芒ハ絮ノゴトクシテノギノコトニ非ス ノ初生褐色ノ絮アルヲ云ト芒ノ字一ニ花ニ作ル 花ニテモ芒ニテモゼンマイニヨク充ル 朱伝胡氏ノ説ヲ載テ云ヲ疑クハ即荘子ニ○謂迷陽ナル者ト然レドモ 瑯琊代酔編ニ迷陽ノニ非ザルコトヲ辧セリ 學者宜シク就ヲ検索スベシ 按陸璣ガ謂翹搖(ノエンドウ)ナリ 王思義ハ蕨ト同物トス 方以智ハ藜トス 何揩ハ白微トス篤信氏ハイノデトス 并ニ非ナリ イノデハ千歳竹(クサソテツ)ノ如クニシテ莖ニ褐色ノ皮アリテ毛ノ如ク見ユ 名医類按ニ毛蕨ト云モノ是ナリ 鄭漁仲通志略ニ金櫻芽ト云モ○非ナリ」
と,朱伝のと蕨の違いとされる「芒」は,松岡恕庵のいうゼンマイの芽がまとう「褐色の絮(毛)」としても,芒」は「花」と通じて,ゼンマイの胞子葉のことだと考えても,「=ゼンマイ」が適切であろうと説く(右上図,NDL).

細井徇(東陽)撰『詩経名物図解 巻之一 草一』(1847)には,ゼンマイとワラビの美しい図が以下の文に添えられていて,については「諸説紛々アレドモゼンマイヲ以定説トスヘシ」しかし,「朱註ニ初生無葉可食トアレハ蕨却テセンマイニ似タリ」と,疑問を投げかけている(右図,NDL).
言采其蕨 召南 草蟲章
山有蕨 小雅 四月章
朱註ニ蕨ハ鱉*也初生無()葉可()食初メ芽ヲ生スル拳曲ニシテ鱉脚ニ似タリ故ニ○ト名ク
草木志略ニ蕨粉俗ニ山粉ト云 廣東新語ニ拳菜 事物紺珠ニ稂鶏 救荒野譜ニ萁菜 事林廣記ニ紫玉簪
和名ワラビ」
言采其蕨 同上
 小雅 採
朱註似蕨()而差代有芒而味苦大有()芒而味苦シ山間人食()之謂之迷蕨ト
爾雅ニ垂水 授時通考ニ紫●(クサカンムリ+綦) 山東通志ニ筆管菜 胡氏曰疑ハ荘子云迷陽ナラント云トモ未詳 顧夢麟詩経説節約ニ迷陽非()ト的證ナシ
和名ゼンマイ
諸説紛々アレドモゼンマイヲ以定説トスヘシ 貝原翁ヲイノテト訓スレドモ毛蕨ニシテワラビノ一種也 松岡翁用藥須知ニ見タリ 按ニ蕨ヲワラビトシヲセンマイトスルコト古人ニ的證ナシ 然ルニワラビトセンマイト判然トシテ別也 ワラビハ花莖ニシテセンマイハ葉莖ナリ 時過テ花放キ葉舒レハ不()()食 唯朱註ニ初生無葉可食トアレハ蕨却テセンマイニ似タリ」
* 鱉:スッポン)

ゼンマイとカラスノエンドウ(類)とは,全く異なった外見をしているので,実物或いはその腊葉,または精密な図があれば,中国の本草学者の考定を得て,が何かを同定することは簡単であったろうと思われる.江戸時代,長崎には多くの中国人が在住していたので,出島の蘭医のようにその中には漢方医や本草学者がいただろうに,なぜ,交流しなかったのか,また,『質問本草』のように図を中国に送って教授をたのんでもよいのに,積極的に疑問の解消の努力を行わなかったのは不思議である.現在でも日本ではゼンマイの漢字はに当てられている.


茨城大学の加納喜光氏は『草木魚虫――詩経の博物誌』,『詩経の動物と植物』,『毛詩草木鳥獣虫魚疏』などの詩経に現われる動植物の考定の著作と論文を多く発表していて,「日本ではをゼンマイと訓じる。しかしこれは誤りで、はスズメノエンドウ(小巣菜Vicia hirsuta)などのソラマメ属の植物を指す。」(「埤雅の研究・其八 釈草篇(4)」茨城大学人文学部紀要『人文学科論集』4429-44頁、20059月)と指摘している.

2015年6月9日火曜日

カラスノエンドウ-5 薇 『詩経』博物学-1 毛詩名物圖説,詩經小識,詩経名物弁解

Vicia sativa subsp. nigra
シロバナカラスノエンドウ
種をいわき市在住の T. S. さんから頂いた
『詩経』には多くの動植物が登場する.『論語』陽貨篇に「多識於鳥獣草木之名(多く鳥獣草木の名を識る)」と言うように,それらの動植物を覚えること自体,儒家必須の『詩経』の重要な要素とされた.『詩経』中で,百種以上の植物が詠まれているが,『詩経』の舞台は主に黄河流域と漢水流域である.これらの植物の名前は地方や時代にしたがって変わってきた.そのため,『詩経』に登場する動植事物を解説する注釈書がこれまで多く書かれた.

日本で特に問題になったのは,それが日本にもあるものか,あるものだとすると和名は何かということである.本草学でもそうだが,和名の同定(考定)が大きな問題となり,漢学者・本草学者によって多くの解説書が書かれた.現在でも加納喜光氏は『草木魚虫――詩経の博物誌』、『詩経の動物と植物』、『毛詩草木鳥獣虫魚疏』などの著作と論文を精力的に発表している.

中国では,清の乾隆三十六年(1771)には,徐鼎(字は雪樵)が『詩経』に出てくる鳥や獣,草花などを図解した『毛詩名物圖説全九卷』という書が著名で,この書は日本に渡り,江戸時代の本草学者小野蘭山によって和名が付され,文化三年 (1808) 日本でも刊行された(右図).同様のものは日本人の手でも数多く作られていて,その中のひとつ,大阪の岡元鳳による『毛詩品物図攷』(天明五年 (1785) )はその後中国に渡り,和名や訓点を取り除いたものが中国で翻刻(光緒十二年(1886))された.

については,特に日本で漢学者,本草学者から多くの説が出され,中国・日本の先行文献を引いては,多種の植物の名が挙がった.ゼンマイを是とする説が多かったが,今では,カラスノエンドウとする説も有力である(Blog-1 参照).

中国清時代の徐鼎選『毛詩名物圖説全九卷』乾隆三十六年(1771),添付圖は乾隆四十七年(1782)序刊本(NDL)には
毛傳菜也.陸機疏山菜也.莖葉皆似小豆蔓生.其味亦如小豆藿*.可作羹亦可生食.今官園種之以供宗廟祭祀。朱子集傳似蕨而差大.有芒而味苦.山間人食之.謂之迷蕨.三秦記夷齊食三年.顏色不變.武王誡之,不食而死.胡明仲野人呼爲迷蕨.疑荘子所爲謂迷陽迷陽無傷吾行.即此也.雅翼文王之時.歌采以遣戌役.一章作止.二章柔止.三章剛止.故先儒以爲所遣有先中後輩.首章則二月中旬遣之.次章則三月上旬遣之.三章則三月中旬遣之.愚按釋草云垂水.註云生於水邊.據本草有二種生平原川谷者.爲白.生水旁者.爲.詩陟山采.山有蕨則明是山菜.非爾雅所謂垂水者.采之詩曰彼路斯何.日戎車既駕.應從陸路采以爲食.」とあり,多くの詩経及び史記に関する先輩の書を引いたうえで,「愚按」以下が彼の考えではあるが,具体的な和名は考定できなかった.図からすると,細かい葉をつけ分岐した枝はマメ科のようであるが,真ん中に突き出た物はゼンマイの胞子葉のようでもある.(* 豆の若葉)

日本の江戸時代にも,『詩経』の植物考証の著作が数多くある.

本草学者で,時珍の『本草綱目』の和刻本考定者でもある稲生若水は『詩經小識 巻一 草属略第一』(1709)で(写, NDL
「蕨 俗名 黄頼虚(ワラビ)
 俗名 石莫埋異(センマイ)
垂水草生於水濱而枝葉垂於水 者曰故注云生於水辺也 宋邢爾雅疏*生於水傍葉似萍 尓雅垂水也 三秦記曰夷斎食之三年顔色不異武王誡之不食而死 廣志葉似萍可食 俗呼絲芽可 以若葢及供祭祀苞苴之用 明李東壁*本草綱目」
と,博覧強記の漢学者らしく『毛詩名物圖説』にも記されていない文献を引用している.興味深いのは三秦記の引用で,伯夷叔斎が山菜の「」を食べて三年間,顔色が変わらず健康に生きていたという件であろう.
* (938-1010) 『爾雅疏』 《卷八》「注云生於水中薇垂水 釋曰草生於水濵而枝葉垂於水 者曰薇故注云生於水邊也」(中國哲學書電子化計劃)
** 時珍の字(あざな)

最も権威あるとされた『本草綱目』の和刻考定者,松岡玄達(恕庵)と江村如圭による『詩経名物弁解』(1731)には,
「蕨 言()其蕨() 召南草蟲章 山有()-() 小雅 四月章 -鱉也初生無()葉時可()○和名ワラヒ春初生()拳曲ニシテ鱉-脚ニ似タリ故() 又草-木志-畧ニ莾牙ト名ク--蕨粉俗()山粉()ト云フ」
 言()() 召南草蟲章 采()() 小雅章 山()() 小雅四月章 -()而差(ヤヤ)大有()芒而味--人食()謂之--氏曰疑荘子()謂迷陽トス
○俗名ゼンマイ爾雅-水ト是ナリ此種好テ渓澗水-側ニ生ス故垂-水ノ名アリ--恭廣-タリ()ト云,盖センマイノ初生小葉三-萍ニ似タリ凢解(トク)()モ者一ナラス -璣項---氏家-等ニ菜(ノエントウ)ト注ス李--亦此説ニ左-祖ス大謬マル 又--三才圖會-物理小識ニ以()()藜(アカザ)ノ両説共非ナリ センマイヲ以テ定-説トスヘシ 貝原損軒翁イノテト訓ス恐クハ偏ナリ イノテハ即ゼンマイノ味苦シテ()モノニシテ即中ノ一-品ナリ 分テ二-種トナスヘカラス 凡草-木ノ甜苦蕪-子有-子有-根無-根特生蔓生大-葉小-等(シナ)アルハ皆其陰(メ)陽(ヲ)ナリ -()迷陽()然レトモ迷陽ノ為タル()コト的-證ナシ--カ説-約ニ迷陽非()コト辧ス可()」(図 NDL)
と,多くの先人の書を引き,はノエンドウ,ワラビ,アサザ,イノデ,ゼンマイなど種々の説があるが,ゼンマイをもって定説とする事がよろしかろうと言っている.