2014年11月4日火曜日

センニチコウ-2/6 絵本野山草,草木育種,ツンベルク「日本植物誌」,泰西本草名疏,梅園草木花譜,草木図説,方言・地方名

Gomphrena globosa 
2013年 9月
『絵本野山草』には,よく特長を捉えた絵と共に,茎が紫色を帯びること,また白い花を付ける品種があることが記されている.
★橘保国 (1715-1792) 絵本野山草』(1755
「千日紅(せんにちこう)六月,花有葉あつく、茎、むらさきのうつり有。葉の末に、花一りんづゝさく。かたち丸く、いろ、紅紫。至極見事也。日をかさね、花のいろかはらず・千日紅の名有。白花有。花葉、共に同し。」(左図,NDL)

出島の医師として1775 – 1776 に滞日した,リンネの弟子の★カール・ツンベルク (Carl Peter Thunberg, 1743-1828) の『日本植物誌』(Flora Japonica, 1784)の p114 には,
”GOMPHRENA, globosa. G. caule erecto, foliis ovato-lanceolatis, cpitulis folitariis, pedunculis diphyllis. Gomphrena globosa. Linn. sp. Pl. p326.
Japonice: Sennitsko. Crescit hinc inde, saepe culta in ollis. Floret Septembri, Octobri.”
と,簡単な形状とリンネの「植物の種」の該当ページ.日本では「センニチコウ」と呼ばれ,あちらこちらに生えているが,時折鉢植えにされている.花期は9月から10月である.と記されていて,この時代長崎近辺では広く生育していたものと考えられる(右図,MOBOT).


この,ツンベルク著『日本植物誌』に所収された植物を学名のアルファベット順に配列し,その和名・漢名を記した★伊藤圭介訳述『泰西本草名疏 下』1829 (文政12) には,「GOMPHRENA GLOBOSA. LINN. センニンソウ 千日紅」とある.

本草家として知られる,岩崎灌園は,『草木育種』(1818年)の美花の項にとりあげて,紅だけではなく,白い品種があることも述べている.
★岩崎灌園(17861842)『草木育種(そうもくそだてぐさ)巻之下』(初版文化15 (1818),後刷天保4年(1833))
「千日紅(せんにちさう) 花鏡 天和貞享年中に本邦へ初て渡と云。今甚多し 真土赤土ともによし.二三月種を●まき秋花あり。紅(あか)。白。二種あり。魚洗汁人屎等澆(そそぎ)てよし」(左図,NDL)

幕府の要職にありながら,博物学に興味をもち,多くの本草家の指導をうけて,質の高い図譜を残した毛利梅園は,紫と白の花をつけたセンニチコウの美しい絵とともに,ラテン名を記し,ラテン語の名称の意義を大槻玄沢の『六物新志』より引用している.
このラテン名の由来を調べたが,不明.アマランサス(ケイトウ類)としているので,リンネ命名法以前のラテン名に由来すると思われる.江戸時代末期に入って多くの本草家の参考にされたヨハン・ウエインマン (1683-1741)の『花譜 or薬用植物図譜』(Phytanthoza iconographia(1737-1745) に記載のラテン名とは異なる*.更に,紫・白だけではなく,絞りや更紗などの花を付ける品種があると言っている.(*次記事参照)

★毛利梅園(17981851)『梅園草木花譜 夏之部四』(1825 序,図 1820 – 1849
「大和本草曰
千日紅 予曰 或此曰 千日草・千日坊 出所不詳
和漢通名 千日草 アマランモユス コロモシユス リユエル 羅甸」(右図左,NDL)

梅園草木花譜 夏之部七』(1825 序,図 1820 – 1849
「アマランモユス コロモシユス 羅甸方言
アルコス 千日紅ノ白花ノ者別種ニ非ラス蜀古ヨリ舶來シテ年々種ヲ植ユ亦近來實生ヨリ變(カハリ)絞(シボリ)更紗(サラサ)色々アリ自園ニモ在也
丁未六月廿五日 於自園寫」(上図右,NDL

本図左上の「六物新志曰 羅甸語 云々」という文章は,大槻玄沢の『六物新志』(1786)からの引用.「六物」とは,一角(ウニコウル),夫藍(サフラン),肉豆蒄(ニクズク),木乃伊(ミイラ),噎浦里哥(エブリコ),人魚の6種の薬物のことで,これらについて天明61786)年,大槻玄沢が蘭書に基づいて考証したのが「六物新志」である. その上巻の凡例十三則の二に梅園の引用文が載る.大意は「羅甸語は欧州の諸国に通用する言語である.各国はそれぞれの言語を持っているが,物事を記すのに羅甸語を用いると通じ易い.羅甸は古い国の名前で今は既に滅びて今はない.」とラテン語の学名を記す意味を述べている.

★飯沼慾斎『草木図説前編(草部)巻之四』(成稿 1852(嘉永5)ごろ,出版 1856(安政3)から62(文久2))には,味のある精密な全体図と共に一つの花の解剖図も載せられている.ラテン名は,リンネの名づけた二名式学名(Gomphrena globrosa L.)と思われる.
「センニチサウ 千日紅
人家多ク栽テ花ヲシ花ニ紅白淡紅ノ種又並頭ノ品アルコト等世ノ可通知故ニ略之.前花ニ総萼ナク.多ノ完筒子花ノ聚簇ニ成リ.一殊態アルコト以郭大三圖詳之
(中略)
ゴムプレナ.ゴロポサ.羅 ヤールレークセ・ロンドブルーム,蘭」(左図,NDL)

センニチコウは五代将軍綱吉の時代には移入され,繁殖も容易なことから各地に拡がり,方言(地方名)も多い.

可愛らしい丸い花の形状から,だるまそー:新潟,だんごばな:和歌山(西牟婁)山形(村山)新潟 ,てまりのはな:島根(鹿足市),てまりばな:福井(大飯),てまるこのはな:島根(美濃・益田),花の形を僧侶の頭に例えての,ぼ-すはな:三重(伊賀),ぼ-ずばな:山形(鶴岡市・庄内)静岡(小笠)愛知(渥美)鹿児島(薩摩・奄美大島),ぼしぼな:鹿児島(日置),ぼすぼな:宮崎(東諸県)鹿児島,ぼずばな:鹿児島,ぼっばな:鹿児島(鹿児島市),ぼんさんばな:奈良(高市),ぼんぼんさん:鹿児島(肝属),お盆の供花として重宝したのか,おぼんばな:滋賀(甲賀),ぼんばな:山形(鶴岡市・西田川)鹿児島(鹿児島市・肝属・薩摩),ぼんぼこばな:山形(飽海),長期間咲いてかさかさのドライフラワーとしても鑑賞できるから,うらしまそ-:高知,かりかりばな:山形(鶴岡市・飽海)などがある.

他には,由来が良く分からない,まつばぼたん:栃木,と-だえばな:鹿児島(奄美大島),やんぼす:鹿児島(鹿屋市),はもじ:和歌山(新宮),はもじき:和歌山(新宮),うしのはもじき:和歌山(新宮市),ふっ:和歌山(日高),ふっくさ:和歌山(海草)がある.(八坂書房[編]『日本植物方言集成』八坂書房(2001) より抽出)

センニチコウ-3 リンネ.植物の属,クリフォード植物園誌,セイロン植物誌,ウブサラ植物園誌,植物の種,属名の由来.プリニウス,ダレシャン,Gromphaena to Gomphrena

センニチコウ-1 秘伝花鏡,植物名實圖考,中国異名,松平大和守日記,花壇綱目,花譜,大和本草,諸品図,草花絵前集,地錦抄附録,和漢三才図会

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