2014年5月28日水曜日

ユキノシタ (3/5) 耳の疾患への薬効伝承,方言,畸人草,キジンソウ

Saxifraga stolonifera (Syn. S. sarmentosa) 
2013年6月 茨城県南部 植栽
ユキノシタは食用として,また育てやすい薬草として,庶民の生活に溶け込んでいた.その薬効については,

李時珍『本草綱目』1590)の「虎耳草」の項にはすでに「【主治】瘟疫,擂酒服。生用吐利人,熟用則止吐利。又治●(月+亭)耳(みみだれ),搗汁滴之。痔瘡腫痛者,陰乾,燒煙桶中熏之(時珍)。」と,あり,

江戸時代の絵入り百科事典
★寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)巻第九十八 石草類 には,「虎耳草(ゆきのした) 石荷葉 〔俗云 雪下(ユキノシタ)草〕
温疫ヲ治スルニ擂キテ酒ニテ服ス。(生ニテ用ウレバ人ヲシテ吐利セシム。熟用シテ吐利ヲ止ム) 痔瘡、腫痛ヲ治スルニ陰乾シニシ烟ニ焼キ、桶ノ中ニテ之レヲ熏ズ。●(月+亭)耳(タレミミ)ヲ治スルニ汁ヲ擣キテ之レヲ滴グ。△按ズルニ、(中略)其ノ葉ヲ採リテ黒ク焼キ、油ニ和シテ小児ノ頭瘡ニ傳クニ良シト為ス。(現代語訳 温疫(急性伝染病)を治す。擂(す)って酒で服用する〔生で用いると吐・利する。煮熟したものは吐・利を止める〕。痔瘡・腫痛を治すには、陰乾しにしたものを桶の中で焼き、烟で患部を熏(いぶ)す。●(耳+亭)耳(みみだれ)を治すには、搗いて汁を出し、それを耳に滴らす。△思うに、(中略)葉を採って黒焼きにして油をまぜ、小児の頭瘡(くさ)につけると良い。)」
とある.しかし,民間薬として考えられていたのか,松岡恕庵『用薬須知』,平賀源内『物類品隲』,山本亡羊『百品考初編』等の本草書には,ユキノシタ(虎耳草)自体が取り上げられていない.

一方,現代でも★木村康一,木村孟淳『原色日本薬用植物図鑑』 保育社(1981) には,「ユキノシタ Saxifraga stolonifera MEERB.(英)mother of thousands,(独)Rankender,(中)虎耳草  葉を食用にするほか,虎耳草(こじそう,Saxifragae Folium)と言って,解熱,解毒,鎮咳,消炎,止血薬などとし,せき,中耳炎,丹毒,痔,膿腫,吐血,じんましん,湿疹などに内服(1915g煎用)または外用して用いる。
中耳炎には葉のしぼり汁を洗液の中に加えてうみを洗い出し,新しいしぼり汁を耳の中に滴下しておくと化のう性中耳炎37日ほどで治ゆするという。百日咳には小児1日量で虎耳草39g(乾燥品)を砂糖 9g と煎じてシロップを作り随時服用させる。新鮮葉のしぼり汁 35ml を内服してもよい。葉を火であぶって柔らかくし,腫物,火傷,凍傷などにはりつけ,また葉を塩でもんではるとウルシかぶれに効くという。また,葉を黒焼にしてゴマ油とねり合わせ,軟膏を作ってしもやけ,ひび,あかぎれに用いることもある。
成分は葉にフラボノイドの Saxifragin,配糖体の arbutin,芳香族化合物の cis-caffeicacidesculetin などが知られているが,有効成分は明らかにされていない。アルカロイドが存在するともいう。」とある.
★長田武正・長田喜美子『野草図鑑⑤すみれの巻』保育社 (1984) には,「人家付近にふつうにはえるが,これはもともとの自生ではなく,民間薬として栽培されたものが野生化したのだといわれる.中耳炎,かぜ,はれものそのほかに薬効が知られ,生葉をてんぷらにして食べる.」,
★秋山久美子『都会の草花図鑑』八坂書房 (2006) には,「民間薬では生の葉は火傷,腫れ物,小児のひきつけに,乾燥した茎葉は煎じて解熱,解毒に効果があるとして利用された.」とある.がそれぞれの有効成分については明確な言及はない.

特に耳の疾患への薬効はよく知られていたと見えて,★八坂書房編『日本植物方言集成』八坂書房(2001 には,全部で 128 個の方言が収載されているが,「耳」に関わると思われる名称が24個もある.しかも青森から沖縄までひろく分布しているので,全国的に利用されていたと思われる.

みそだれぐさ〔栃木(河内)〕,みみあんぐさ〔鹿児島(鹿児島)〕,みみくさ〔熊本(阿蘇)〕,みみぐさ〔沖縄(島尻)〕,みみごくさ〔岡山〕,みみすだれ〔青森〕,みみだれぐさ〔青森,栃木,栃木(宇都宮),宮崎(児湯)〕,みみどげな〔大分(大分)〕,みんくさ〔鹿児島(曽於)〕,みんぐさ〔鹿児島(鹿児島市・串木野・日置・曾於・肝属)〕,みんざいぐさ〔沖縄(島尻)〕,みんじゃいぐさ〔沖縄(本島)〕,みんじゃらんは〔鹿児島(出水)〕,みんじらんは〔鹿児島(出水市)〕,みんたれ〔鹿児島(枕崎市)〕,みんだれくさ〔栃木(宇都宮),鹿児島(肝属)〕,みんだれぐさ〔栃木(宇都宮市),鹿児島〕,みんだれのは〔鹿児島(鹿屋市)〕,みんだれんは〔鹿児島(鹿児島)〕,みんちゃばぐさ〔鹿児島(鹿児島市)〕,みんみんぐさ〔鹿児島(日置)〕,みんやいのくすい〔鹿児島(阿久根)〕,みんやんぐさ〔鹿児島(鹿児島市・加世田)〕,みんやんのくすい〔鹿児島(阿久根市)〕

食用・薬用として生活に溶け込んでいたユキノシタの方言には,生育場所(池・井戸・石・岩)に関連する名や,動物の器官に例えた名もあるが,注目すべきは 「ユキノシタ (2/5) 」で言及したキジンソウ(畸人草)と云う名であろう.
この名は古い本草書に「虎耳草」の和名としてされているが,方言としても多い.『日本植物方言集成』には,きじんそー〔仙台,常陸,長門,周防,筑前,久留米,宮城(仙台・石巻),秋田(平鹿),山形山梨(南巨摩),新潟,兵庫(赤穂),香川(木田),福岡(久留米・八女・朝倉・小倉),佐賀(小城),長崎(対馬),熊本(熊本・鹿本・球磨・阿蘇),大分(大分・宇佐),宮崎(西臼杵)〕,き-じんそ-〔山口(玖珂),大分(大野)〕,きじゅそ-〔大分(別府市)〕,きじんう〔佐賀(小城),長崎(東彼杵・北松浦・下県)〕,きじんこ〔宮崎(西諸県)〕,きじんそ〔熊本(玉名),宮崎(宮崎市)〕,きじんま〔山梨(西八代)〕,きずんそ-〔岩手,秋田(鹿角)〕,きぞんそ〔宮崎〕が記録されていて,この言葉の分布も広い.
一方,『本草綱目啓蒙』によれば,キジンソウ(キジンサウ,キジンソー)と呼ばれる植物はユキノシタの他に「睡菜 ミヅガシハ ミツガシワ」があり,『日本植物方言集成』では,トウゲブキ〔下野日光〕,ベンケイソウ〔長門〕がこの名で呼ばれるとある.

この由緒ありげな,しかも古い名前が何に由来するのか,興味がそそられるがよく分からない.ケンペルもツンベルクも和名としてこの名も記録していて,ツンベルクは悪魔の草の意味としている(ユキノシタ(4/5)).

ユキノシタ (4/5) ゲオルグ・マイスター,ケンペル,リンネ,ツンベルク,伊藤圭介 キシンソウは鬼神草?,カーチス 学名原記載文献

ユキノシタ (2/5) 絵本野山草,備荒草木図,本草綱目啓蒙,物品識名,梅園草木花譜,本草図譜,薬品手引草,草木図説

2014年5月24日土曜日

ユキノシタ (2/5) 絵本野山草,備荒草木図,本草綱目啓蒙,物品識名,梅園草木花譜,本草図譜,薬品手引草,草木図説

Saxifraga stolonifera (Syn. S. sarmentosa)
幸野楳嶺(こうの・ばいれい)『草花百種』(1903) 芸艸堂刊,多色木版

★橘保国『絵本野山草』(1755)には,「ゆきの下 一名 石荷(せきか), 又虎耳(こじ)草といふ
花,三月咲.真ん中より蕨のごとく出て,花形,雪のごとし.葩(はなびら)三枚は小さく,二枚は大にして長し.花色.白.葉の形丸く,雪輪のもやうのごとくにして,あつし.葉のうら,若葉は本紅,古はは薄紅也.表に薄白き筋有.根下より長き蔓出て,先に,めがい生ず.地に根ををろす.」と,花のつくりや葉の模様,繁殖法など,よく観察されていて,簡明にして詳しい(左図,NDL).

『備荒草木図』 NDL
★建部清庵『備荒草木図* 巻之下』(1771成,1833刊)には,「虎耳草 はをゆで、ミづにひたし、しほまたハミそ・しやうゆとゝのへ、くらふべし
葉を煠、水に浸し、塩またハ味噌・醤油に調、食べし。」と,飢饉時の調理法が紹介されている(右図).
* 明和8 (1771) 年に『民間備荒録』と対になる書物として建部清庵によって草稿が書かれたが、果たせないまま世を去ったため清庵の死後、杉田玄白の次男杉田立卿により天保4年(1833)に刊行された。(明和8年刊行の『民間備荒録』の巻末には、「『備荒録草木図』一冊 未刻」と予告されている。)『民間備荒録』が理論的な書として書かれているのに対し、この書では実践の書として多くの人が読めるよう全体にわたって振り仮名がつけられている。内容は、104種の植物をとりあげ、実際の植物と見分けがつけられるよう詳細な図のもとに名称と可食部、調理方法を簡単に記述する。)

★小野蘭山『本草綱目啓蒙』 巻之十六 草之九 石草類  (1803-1806)には,「虎耳草 ユキノシタ キジンサウ筑前 イドバス泉州 キンギンサウ石州 イハカゾラ上野 イハブキ越前 〔一名〕金糸荷葉(汝南圃史)(中略)
梅園草木花譜 NDL
山谷陰湿石上ニ生ズ。又市中ニモ多ク栽、甚繁茂シ易シ。葉ハ円扁ニシテ●(虫+解)殻ノ如シ。周辺ニ浅岐アリ、質厚ク面深緑ニシテ紫色ヲ間へ、紋脉白色ニシテ紫毛アリ。背ハ毛ナクシテ淡紫色。一根ニ数葉布生ス。夏月、茎ヲ抽ルコト長サ一尺許、紫色多シ。花多ク穂ヲナス。其形白色ノ二長弁下垂シ、二ツノ短小弁上ニ並ビテ品字ヲナス。粉紅色ニシテ紅点アリ。一種粉紅花ノ者アリ。甚稀ナリ。共ニ根上ニ細紅線ヲ出シ、四辺ニ引コト甚長シ。処処ニ小葉ヲ生ジ、後鬚根ヲ出シ、分レテ数窠トナル。(以下 ハルユキノシタ等の類品の記述 略)」と,性状や花や葉の形状,特に花のつくりに詳しい説明が載っている.

★岡林清達・水谷豊文『物品識名(1809 )には「ユキノシタ 虎耳草 金絲荷葉 汝南圃史」とある.

★毛利梅園(1798 1851)『梅園草木花譜』夏之部 一(1825 序,図 1820 – 1849)には,
「綿●(糸+系)艸(ユキノシタ)蔵記 又 虎耳草ハ ユキモヨウ 別種
増補多識編石草類ニ曰 虎耳草 和名 今按ニ 土羅乃美美(トラノミミ) 増補異名 石荷葉(セキカヨウ) 和漢三才図会石草類曰 虎耳草(ユキノシタ) 石荷葉 俗云 雪下莫(ユキノシタ)」と美しい写生図と共にある(左上図, NDL).

★岩崎灌園(17861842)『本草図譜』巻之三十六 石草類 (刊行1828-1844) には,「虎耳草(こじさう) ゆきのした きじんさう
人家庭際に多く栽う 葉ハ円くして浅き鋸歯あり 茎葉共に紅色 又紅色の毛茸阿り 夏月茎を抽て花あり 白色三辧ハ小く二辧ハ大なり 後三尖ある蒴を結ぶ 根の傍紅色の長鬚を生じ末地に落つ 根を貼して苗を生ず」と,果実の記述もある(右図 NDL).

★加地井高茂 []薬品手引草』下ノ七(1843) には,「虎耳(コジ)草 ゆきのした」とある.

★飯沼慾斎『草木図説前編(草部)』巻之八(成稿 1852年ごろ)には,「ユキノシタ 虎耳草
草状啓蒙詳之衆亦通知.故ニ略之.萼披針上ノ五辧.ソノ二辧ハ長大ニシテ白色.三辧ハ短小ニシテ本ニクリコミアリ.白色ニシテ紅暈四ノ紅点(正しくは,黙の犬の代わりに占)二ノ黄点アリ.子室柯子状ニ顆並位シ.●(里+頁)柱ヲナシ●(里+頁)絻ニ開反.雄蕊十二ニシテ葯淡紅色.綻テ白粉ヲ吐ク.ソノ大辧間ニアル一茎ハ.徴扁大ナルモノ多シ.子室ノ前面ニ黄色帯緑色ノ蜜鱗アツテソノ本ヲ被ヒ.後面ハ然ラズシテ子室直ニ可見」 附全花郭大圖
按ユキノシタ.大文字サウノ類ミナ サキシフラガ ノ属ニ不外レトモ.未得的當種名」と,花や果実のつくりの記述はより詳しくなり,属名はリンネが命名したラテン名を正しく当てている(左図, NDL).

非常に身近にある植物なので,その性状・形状の記録は詳細である.薬効について本草綱目や和漢三才図会以上の記述は調べられなかったが,特に耳の疾患へは有効と考えられていたらしく,多くの方言(地方名)がそれを示す(次記事).

ユキノシタ (3/5) 耳の疾患への薬効伝承,方言,畸人草,キジンソウ

ユキノシタ(1/5) 本草綱目,丹方鑑源,多識編,訓蒙圖彙,和刻 本草綱目,花譜,大和本草,和漢三才図会



2014年5月20日火曜日

ユキノシタ(1/5) 本草綱目,丹方鑑源,多識編,訓蒙圖彙,和刻 本草綱目,花譜,大和本草,和漢三才図会

Saxifraga stolonifera (Syn. S. sarmentosa)
2013年6月 茨城県南部 植栽
ユキノシタが,中国で「虎耳草」として本草と認められた時期は比較的遅いと推定される.明時代の『本草綱目(李時珍著、1596年刊)』では,多くの項目で先行文献を「弘景曰《神農本草經》(梁:陶弘景注),恭曰《唐本草》(唐:蘇恭),頌曰《圖經本草》(宋:蘇頌),承曰《別》陳承,好古曰《湯液》(元王好古),嘉謨曰《蒙筌》(陳嘉謨)」と言う形で引用している.しかし「虎耳草」の項では,このような先行文献の引用はなく,【集解】が著者の「時珍曰」で始まっていて,記事自身も比較的短い.僅かに【氣味】に「獨孤滔曰」とあるが,この「獨孤滔」は,隋(一説には五代)の人で,撰した『丹方鑑源 全三巻』の卷下,諸草汁篇第二十に「虎耳草 煮砂子」とある.この,「煮砂子」は,他に同書内で「五色仁莧」にも使われている.が,これらの薬草とのかかわりや用途は調べ切れていない.

若い葉は虎の耳の形
本草綱目(李時珍著、1590年) 草之九 石草類 (一十九種)
「虎耳草
【釋名】石荷葉(見下)。
【集解】時珍曰虎耳生陰濕處,人亦栽於石山上。莖高五、六寸,有細毛,一莖一葉,如荷蓋。人呼為石荷葉。葉大如錢,似初生小葵葉,及虎之耳形。夏開小花,淡紅色
【氣味】微苦、辛,寒,有小毒。 獨孤滔曰汁煮砂子。
【主治】瘟疫,擂酒服。生用吐利人,熟用則止吐利。又治●(月+亭)耳,搗汁滴之。痔瘡腫痛者,陰乾,燒煙桶中熏之(時珍)。」


日本においては古くから食用や民間薬として使われていたらしい.「ユキノシタ」と言う名の磯野の初見は『日葡辞書』(1603-4) だが,確認できなかった.一方,深根輔仁撰『本草和名』(901 - 923)にも,源順『和名類聚抄』(931 - 938)にも「虎耳草」が記載されていない事は,『本草綱目』以前に渡来した『本草經集注』や『新修本草』などの漢本草書には「虎耳草」が記載されていなかったためと思われる.

★林羅山『多識編(1612) (再版 16301631)では,「虎耳草 今案 登良乃美美(思うに とらのみみ)」とあるが,単なる漢語の翻訳と思われ,実際にこの名で呼ばれていたのか不明(左図,NDL)(注;八坂書房編『日本植物方言集成』八坂書房(2001)には,下総の方言として収載されている)

★中村惕斎『訓蒙圖彙(キンモウズイ)』初版巻之二十,草花(1666)には,「石荷(せきか)今按ゆきの志た 虎耳草(こじさう) 一名石荷葉(せきかえう)」とあり,虎耳草=ユキノシタが認識されていて,描かれている図も実物の写生と見えて,かなり正確・精密だ.(右図,NDL)

★『本草綱目』の和刻版での「虎耳草」への振り仮名は,「トラノミミ」(1672年版,伝,貝原益軒校,左図左),「キジンサウ」(1714年版,稲生若水校,左図右)であり,「ユキノシタ」の名前は現われていない.添付されている「虎耳草」の図は,1672年版では,全くユキノシタとは思えず,また1714年版でも,枝の途中から蔓が出ているし花の着き方も異なる(いずれもNDL).

★貝原益軒『花譜』(1694)中巻 四月 には,「虎耳草(きじんさう)葉まるく毛おほし.蔓生じて小白花を開く.倭俗,おほく園中の石上,あるひは假(つき)山にうふ.葉花共に愛すべし.しげりやすし.園史曰,はじめうふるとき,水をそゝぎ,つくたる時やむ.濕をこのむ.かはけば枯る.」
1979年5月 London Zoo

また★同人の『大和本草 (1709) 巻之七  草之三  園草類 には,「虎耳草(キジンサウ) 本艸石草ニ載ス 雪ノ下ト云 又キシンサウト云 其花白シテ二片アリ 他花ニ異ナリ梢ニ先一花開テ後下枝ノ衆花サク 是亦他花ニカワレリ 多クサキタルハ愛スヘシ 甚暑ヲオソル 暑ニアヒテカハケハ枯ヤスシ 日ヲ掩ヒ水ヲソソクベシ 根下ノ蔓ヨリ根ヲ生スルハ活ヤスシ 獨根ヲウフレハ枯ル 秋ウフヘシ 春ウフレハ枯ヤスシ 陰地ニウヘタルハ活ヤスシ 石ノ側ニモウフルヘシ キシン草ヲ菟葵ナリト云説アリ誤レリ」とあり,観賞用植物として高く評価して,湿気を好む性質に合わせた栽培法や,花の咲き方が他の植物と異なり「有限花序」であることを記している.

この「キジンサウ(きじんそう) 畸人草」の別名は,これ以降他の文献にも現われるが,漢本草には見えず,日本独特の漢名と思われる.漢名の「金糸草」のよみ「キンシソウ」の転訛か?注:キジンソウは八坂書房編『日本植物方言集成』八坂書房(2001)に,多くの地方のユキノシタの方言として記録されている.)

★寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)巻第九十八 石草類 には,「虎耳草(ゆきのした) 石荷葉 〔俗云 雪下(ユキノシタ)草〕
本綱、虎耳草ハ陰湿ノ処ニ生ズ。人亦タ石山ノ上ニ栽ヱテ茎ノ高サ五六寸、細カナル毛有リ。一茎一葉、荷蓋ノ状ノ如ク、葉ノ大イサ銭ノ状ノ如ク、初生ハ小葵ノ葉及ビ虎ノ耳ノ形ニ似タリ。夏ニ小花ヲ開ク、淡紅色ナリ。
葉(微苦、辛、寒、小毒有リ) 温疫ヲ治スルニ擂キテ酒ニテ服ス。(生ニテ用ウレバ人ヲシテ吐利セシム。熟用シテ吐利ヲ止ム) 痔瘡、腫痛ヲ治スルニ陰乾シニシ烟ニ焼キ、桶ノ中ニテ之レヲ熏ズ。●(月+亭)耳(タレミミ)ヲ治スルニ汁ヲ擣キテ之レヲ滴グ。
△按ズルニ、虎耳草ハ、葉ハ地ニ布キ生ズ。其ノ花白ク淡紅ヲ帯ビテ、微カニ秋海棠ノ態ニ似タリ。子ヲ結ブ。其ノ葉ヲ採リテ黒ク焼キ、油ニ和シテ小児ノ頭瘡ニ傳クニ良シト為ス。(右図)と,ほぼ『本草綱目』の【集解】と【主治】をそのまま写すが,「△按ズルニ」以下に花がシュウカイドウに似ている事,当時の民間薬としての薬効等の,良安の知見が追加されている.

2014年5月15日木曜日

オキナグサ (5/5) 宮沢賢治「おきなぐさ」,うずのしゅげ-語源,春と修羅,岩手の地方名(翁・媼)

Pulsatilla cernua (Syn. Anemone cernua)
2007年4月 茨城県南部 植栽
 岩手の生んだ文学者,宮沢賢治の 1923年,27歳の時の作品に,「おきなぐさ」という童話がある.その中で,彼はオキナグサを愛着のある「うずのしゅげ」という地方名で記している.その冒頭部分を紹介すると,

「おきなぐさ」
 うずのしゅげを知っていますか。
 うずのしゅげは、植物学(しょくぶつがく)ではおきなぐさと呼()ばれますが、おきなぐさという名はなんだかあのやさしい若(わか)い花をあらわさないようにおもいます。
 そんならうずのしゅげとはなんのことかと言()われても私にはわかったようなまたわからないような気がします。
それはたとえば私どもの方で、ねこやなぎの花芽(はなめ)をべんべろと言()いますが、そのべんべろがなんのことかわかったようなわからないような気がするのと全(まった)くおなじです。とにかくべんべろという語(ことば)のひびきの中に、あの柳(やなぎ)の花芽(はなめ)の銀(ぎん)びろうどのこころもち、なめらかな春のはじめの光のぐあいが実(じつ)にはっきり出ているように、うずのしゅげというときは、あの毛茛科(もうこんか)のおきなぐさの黒朱子(くろじゅす)の花びら、青じろいやはり銀(ぎん)びろうどの刻(きざ)みのある葉()、それから六月のつやつや光る冠毛(かんもう)がみなはっきりと眼()にうかびます。
 まっ赤なアネモネの花の従兄(いとこ)、きみかげそうやかたくりの花のともだち、このうずのしゅげの花をきらいなものはありません。
 ごらんなさい。この花は黒朱子(くろじゅす)ででもこしらえた変()わり型(がた)のコップのように見えますが、その黒いのは、たとえば葡萄酒(ぶどうしゅ)が黒く見えると同じです。
この花の下を始終(しじゅう)()ったり来たりする蟻(あり)に私はたずねます。
「おまえはうずのしゅげはすきかい、きらいかい」
 蟻(あり)は活発(かっぱつ)に答えます。
「大すきです。誰(だれ)だってあの人をきらいなものはありません」
「けれどもあの花はまっ黒だよ」
「いいえ、黒く見えるときもそれはあります。けれどもまるで燃()えあがってまっ赤な時もあります」
「はてな、お前たちの眼()にはそんなぐあいに見えるのかい」
「いいえ、お日さまの光の降()る時なら誰(だれ)にだってまっ赤に見えるだろうと思います」
「そうそう。もうわかったよ。お前たちはいつでも花をすかして見るのだから」
「そしてあの葉()や茎(くき)だって立派(りっぱ)でしょう。やわらかな銀(ぎん)の糸が植()えてあるようでしょう。私たちの仲間(なかま)では誰(だれ)かが病気(びょうき)にかかったときはあの糸をほんのすこうしもらって来てしずかにからだをさすってやります」
「そうかい。それで、結局(けっきょく)、お前たちはうずのしゅげは大すきなんだろう」
「そうです」
「よろしい。さよなら。気をつけておいで」
 この通りです。(以下略)

自然,特に植物に造詣の深い賢治の観察だけあって,蟻の目から見たオキナグサの花の色の描写などは実に美しい.

2004年 5月 筑波実験植物園
この,賢治が魅せられた不思議な名前「ウズノシュゲ」,語源は何だろうか.岩手県のオキナグサの方言(地方名)にその秘密はあった.

オキナグサに地方名が非常に多いのは江戸時代から知られていて,松岡玄達(1668-1746)『用薬須知(1726)  巻之一草部 には「諸国方言[クニコトバ]最モ多シ」とある.
現代でも八坂書房編『日本植物方言集成』八坂書房 (2001) には,約300個の地方名が集められているし,また,オキナグサの地方名を集積している中園氏のサイト「幻の野草・オキナグサ/呼び名方言集」(http://www.synapse.ne.jp/m3naka/WORD.HTM)には,県別で集積しているので重複もあるが,20145月現在で700 個近い呼び方が記録されている.

どちらの文献でも岩手県での呼び方の数は突出しており,前者では 84 件,後者では 146 件(ちなみに二位はどちらでも長野県でそれぞれ,25 件,75 件)である.興味深い名前も多いが,やはり花後の白い種毛を老人の髪の毛や鬚に見立てた名前が多い.しかも,数からすると媼に関連する名前が多いのは,昔から女性の寿命が長く,しかも翁は禿頭になる場合も多いのに,女性は白髪がきれいなまま,年齢を重ねるからであろうか.

これらの岩手県の地方名を並べて考えると,冠毛を白くなった「おじいさんのひげ」にたとえた「オジーノヒゲ」が,「オジノシゲ」「ウジノヒゲ」「ウズノヒゲ」,そして「ウズノシュゲ」と変化していったのではないかと推測される.

賢治がその語感に詩心をそそられた「うずのしゅげ」と云う名前は,彼が「黒朱子(くろじゅす)の花びら、青じろいやはり銀(ぎん)びろうどの刻(きざ)みのある葉()、それから六月のつやつや光る冠毛(かんもう)がみなはっきりと眼()にうかびます。」と言ったオキナグサの魅力と一体化していて,この無粋な推測がそれを損なうものではない.

2007年4月 茨城県南部 植栽
なお,賢治の詩の最高傑作として知られる「心象スケツチ 春と修羅」には,いくつかのオキナグサの詩が収載されている.

小岩井農場 パート一」に,鉄道の駅を降りて馬車に乗るかどうか迷った後,「(前略)くらかけ山の下あたりで/ゆつくり時間もほしいのだ/あすこなら空気もひどく明瞭で/樹でも艸でもみんな幻燈だ/もちろんおきなぐさも咲いてゐるし/野はらは黒ぶだう酒(しゆ)のコツプもならべて/わたくしを款待するだらう (後略)(一九二二、五、二一)」と,オキナグサの花を「黒ぶだう酒のコツプ」になぞらえている詩を残している.

また,「おきなぐさ」と題する詩には「風はそらを吹き/そのなごりは草をふく/おきなぐさ冠毛(くわんもう)の質直(しつぢき)/松とくるみは宙に立ち/  (どこのくるみの木にも/   いまみな金(きん)のあかごがぶらさがる)/ああ黒のしやつぽのかなしさ/おきなぐさのはなをのせれば/幾きれうかぶ光酸(くわうさん)の雲 (一九二二、五、一七)」

かはばた」には,「かはばたで鳥もゐないし/(われわれのしよふ燕麦オートの種子たねは)/風の中からせきばらひ/おきなぐさは伴奏をつゞけ/光のなかの二人の子/(一九二二、五、一七)とある.

亡くなった妹トシが白い鳥になって兄の賢治を尋ねてきたと詠う「白い鳥」では,
「 ((みんなサラーブレツドだ/  あゝいふ馬 誰行つても押へるにいがべが))/ ((よつぽどなれたひとでないと))/古風なくらかけやまのした/おきなぐさの冠毛がそよぎ/鮮かな青い樺の木のしたに/何匹かあつまる茶いろの馬/じつにすてきに光つてゐる/   (日本絵巻のそらの群青や/    天末の turquois(タコイス) はめづらしくないが/    あんな大きな心相の/    光の環(くわん)は風景の中にすくない)/二疋の大きな白い鳥が/鋭くかなしく啼きかはしながら/しめつた朝の日光を飛んでゐる/それはわたくしのいもうとだ/死んだわたくしのいもうとだ/兄が来たのであんなにかなしく啼いてゐる/  (それは一応はまちがひだけれども/   まつたくまちがひとは言はれない)/あんなにかなしく啼きながら/朝のひかりをとんでゐる/  (あさの日光ではなくて/   熟してつかれたひるすぎらしい)」以下略(一九二三、六、四)

と多くのオキナグサの花や冠毛に触発された言葉を残している.

参考 岩手県のオキナグサの地方名
日本植物方言集成』より抽出
男性:うじのへげ,うずのひげ,おいじのひげ,おいじのひげこ,おいちのひげ,おいちのひげこ,おいでのひげ,お-じのばっこ,おじ-のひげ,おじのしげ,おじのひげ,おずのしげ,おずのひげ,じ-ちゃ-ば-ば,じじばば 15個
女性:うばかしら,うぼけ,うばしらが,うばしらがあ,うばと,うばのあたま,うばのしらが,うばばな,おえちのばば,おばかしら,おぼしらが,おぼしらがあ,おばっこ,おばのけっこ,じ-ちゃ-ば-ば,じじばば,じゃんがばば,しらがうば,しらがばば,しらがばばあ,しらがぽんば,しらがんば,ばばこ,ばばこくさ,ばばそ-,ぽんば,んばかしら,んばしらがあ 28個

「オキナグサの呼び名方言集」http://www.synapse.ne.jp/m3naka/WORD.HTM より抽出
男性:うしのひげ,うじのひげ,うじのへげ,うずのしげ,うずのしゅげ,うずのひげ,おいじぃのへんげ,おいじのひげ,おいじのひげこ,おいじばば,おいちのひげ,おいちのひげこ,おいでのひげ,おえでのしげ,おーじのばっこ,おーじのひげ,おじーのひげ,おじいのひげ,おじいのひげこ,おじこのひげ,おじのしげ,おじのひげ,おずのしげ,おずのひげ,おずのへげ,じーじぁばーば,じーちゃーばーば,じじばば,しばしらが 29個

女性:うばかしら,うばがしら,うばかすら,うばがすら,うばけ,うばこ,うばしらが,うばしらがぁ,うばと,うばのあたま,うばのしらが,うばのばっかい,うばばな,うんばけ,うんばけ,うんばのけ,おえちのばば,おばかしら,おばがしら,おばけ,おばこ,おばこばな,おばしらが,おばしらがぁ,おばじらがぁ,おばっこ,おばのけっこ,おばのけっと,おばのばっかい,じーじぁばーば,じーちゃーばーば,じじばば,しっしゃがばば,しっしゃがばんば,しばしらが,しらがうば,しらがばば,しらがばばぁ,しらがばんば,しらがぼんぼ,しらがんば,ばばこ,ばばこくさ,ばばこぐさ,ばばそー,ばんば,んばかしら,んばがしら,んばけ,んばけこ,んばしらが,んばしらがぁ,んばしらば,んばのばっかい 54個

オキナグサ (4/5) ツンベルク,シーボルト,川原慶賀,伊藤圭介,カーチスのボタニカル・マガジン

2014年5月8日木曜日

オキナグサ (4/5) ツンベルク,シーボルト,川原慶賀,伊藤圭介,カーチスのボタニカル・マガジン

Pulsatilla cernua (Syn. Anemone cernua)
2007年4月 茨城県南部 植栽
Thunberg "Flora Japonica"
オキナグサにラテン名を付けて西欧に紹介したのはリンネの弟子で,出島のオランダ商館の医師として1775 – 1776年滞日したスエーデン人のカール・ツンベルク (Carl Peter Thunberg, 1743-1828) .彼は『日本植物誌』(Flora Japonica, 1784)に この植物を Anemone cernua として記載した(左図)が,後に Berchtold et J.Presl によって 1820 年に Anemone 属から Pulsatilla 属に転属され,現行の学名となった.

シーボルト(フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン,Philipp Franz Balthasar von Siebold, 1796 – 1866,日本滞在 1823 – 1829, 1859 – 1862.) はオキナグサに注目し,1827年の329日に,長崎近郊の岩屋山(標高 475 メートル)に調査に出かけて,「長崎近郊の海抜五百~八百フィートのところにある草木が生えていない尾根では,いつも見かけられる数少ない草地以外,つまり優美なオキナグサや可愛らしいセンボンヤリ,そして香のいいコスミレ,それら三種類以外の植物,草地は,今のこの高さでは例外なく生えないのである.」と記録した.(石川禎一『シーボルト 日本の植物に賭けた生涯』里文出版 (2000))

彼はまた,江戸参府(18262-7月)の途上から見た日本の自然について,日本の植物相は「その多様性と美しさにおいて,世界の他の国々に例を見ないほどである」として,月毎に花咲く木々や鑑賞に適した植物を事細かに観察記録した.その記述の内には「二月は,スミレ・コマスズメ・サワオグルマ・オキナグサ・タンポポ・ムサシアブミ・センボンヤリ・スゲの花々がこれに加わる.」[月は太陽暦]とある(同書).

一方『江戸参府紀行』ジーボルト著 斎藤信訳,平凡社 東洋文庫 87 (1967) の「長崎から小倉への旅」の「二月二〇日〔旧一月一四日〕」の項には,「南と東南に向かって横たわっている前山の麓には、恵み深い太陽がもう日本の植物群の春の使いを誘い出していた。スミレ・コマメズメ(Komame sume)・サワオグルマ・タンポポ(Tambo)・ムサシアブミ,センボンヤリ・スゲの花が咲き始めていた。」とあり,サワオグルマとタンポポの間のオキナグサの記述がない.

そこで,シーボルトの “Nippon” (1897) の原文の該当部を見たところ,
I.2 REISE NACH DEM HOFE DES SJO¯GUN IM JAHRE 1826, Reise von Nagasaki bis Kokura, 20. Februar” An den gegen Süden und Südost gelegenen Vorbergen hatte die wohlthätige Sonne bereits einzelne Frühlingsherolde der japanischen Flora ervorgelockt ; Veilchen, Cinerarien, Anemonen, Löwenzahn 27, Arum ringens (Musasi afumi), Perdicium tomentosum (Sen-bon-jari) und unsere Luzula fingen an zu blühen.
とあり,その脚注には
27. Viola Patrinii DC. (Sumire), V. japonica Langsd. (Komame sume), Cineraria japonica Thunb. (Sawawo guruma), Anemone cernua Thunb. (Sjak masaiko), Taraxacum sinense Dec. (Tanb¯o). 
とあるので,原文にはオキナグサの記述があることが確認できた.

さらに,彼の畢生の大冊,『日本植物誌』(Flora Japonica, 1835 -1870) には,オキナグサが美しい絵(右図,右側)とともに収められ,「4.オキナグサ Sjaguma-Saiko, Kawara-Saiko, Wokina-Gusa Anemone cerunua Thunb. ex Muray
この美しい植物は、軟毛でおおわれた茎といい、帯状に深裂した軟毛のある葉といい、また横向きに開く花が、我々のアネモネ・プラテンシスに実によく似ているが、海抜六五から六五〇メートルの日の当たる乾いた山の草地に生える。春の初め、芳香のあるスミレ類やキネラリア・ヤポニカ、いくつかのスゲなどと一緒に花をつける。日本の園芸では、庭園にしつらえた石組に植えられる。根はシナと日本では苦味剤として有名である。」とフランス語の覚書が付加されていて(『シーボルト 日本の植物』瀬倉正克訳,八坂書房 (1996),日本では赤熊柴胡(シャグマサイコ),河原柴胡(カワラサイコ),翁草(ヲキナグサ)と呼ばれるとしている.

川原慶賀 ホトケサウ
彼が実際に採取したかは分からないが,長崎の稲佐山で採取されたオキナグサの腊葉が,牧野標本館のシーボルトコレクションに現存し(上図,左側),その台紙には,「Anemone cernua Thb., mont. Inasa Nagasaki, シャグマザイコ, 白頭翁(ハクトウオウ)」と書かれている.なお「DATA PAPERにシャグマザイコ、白頭翁(ハクトウオウ)と記したのは郭成章。」との注釈が付けられている.

シーボルトに西洋画描法の指導を受けた川原慶賀は,日本の風俗や多くの植物を描き,その絵はシーボルトが持ちかえり『日本』や『日本植物誌』の挿絵の原画としても使われた.この絵はライデン国立民族学博物館に収蔵されていて,その多くがネットで公開されているが,そのなかに美しいオキナグサの絵がある(左図).但し名称は「ホトケサウ」となっており,この植物が広く親しまれていたためであろう,地方や個人で,種々の名前で呼ばれていたことが分かる.

『泰西本草名疏』は,伊藤圭介 (1803-1901) が,文政11(1828) に長崎にてシーボルトより贈られたツンベルクのFLORA JAPONICA(日本植物誌)をもとに日本産植物の学名(ラテン語)をABC順に並べ,対応する和名と漢名を記した出版物で,リンネの性分類体系にもとづく日本で最初の著作である.伊藤圭介は長崎でシーボルトの指導を受け,分類学の知見を深めていった.圭介が受けた指導は類推するしかないが,シーボルトを通して,植物の体系的な理解と植物自体を正確に記載する方法とその意義を知ったと思われる.『泰西本草名疏』の上梓はその成果のひとつである.その巻上には,「ANEMONE CERNUA.TH. シヤグマザイコ 白頭翁」とある(右図,NDL).オキナグサと言う名が一般的ではなかったのであろう.

この様に,シーボルトとは縁の深いオキナグサではあったが,残念ながら彼が欧州にこの植物を導入したという記録は見出せなかった.

1902年には,英国のキュウ植物園で咲いたと,カーチスのボタニカルマガジンに図(TAB. 7858Anemone cernuaNative of Manchuria and Japan)とともに記されているが,誰がいつ持ち込んだかについては,さだかではない.

その記述文には,オキナグサの花の色(red-brown)が,その仲間としては非常に珍しいこと,サバティエとフランシェが記録した日本のアネモネの仲間の数(23)が,欧州・ロシア(26)・インド(15)などに比べて多いとした.

その上で,「オキナグサ (Anemone cernua) は,日本(Japan),本州(Island of Nipon)の開けた日当たりのよい場所,また,サハリンや朝鮮半島の同様な場所,また満州一帯で見られる.サイズは大小さまざまで,また,多かれ少なかれ,美しく柔らかい絹のような毛で覆われ,また,萼の色も濃いのも薄いのもある.絵に描かれた標本は 1900年に Max Leichtlin 氏から提供され,王立キュウ植物園の高山植物用の冷室で 1902 年に花開いた.」とある.(左図,Figs. 1 and 2, stamens; 3, immature achene: - all enlarged.


オキナグサ (5/5) 宮沢賢治「おきなぐさ」,うずのしゅげ-語源,春と修羅,岩手の地方名(翁・媼)

オキナグサ (3/5) もう一つのオキナグサ. 花壇地錦抄,広益地錦抄,大和本草,和漢三才図会,東雅,用薬須知,東莠南畝讖,絵本野山草,物類品隲,物類称呼,本草綱目啓蒙,物品識名,梅園草木花譜,増補古方薬品考,薬品手引草,本草図譜,八翁草,草木図説,原色日本薬用植物図鑑