2014年2月26日水曜日

スノードロップ (4/10) "Leucoium Bulbosium triphilla Mimus” 「三弁の球根性小型白スミレ」 16世紀フランドル ドドエンス,デ・ロベル,クルシウス,ベスラー ,ヴァインマン

Galanthus nivalis
1979年3月 英国ケンブリッジ 
フランドルでは十六世紀後半にプランタン社がアントワープで,当時のもっとも傑出した植物学者のうちの三人ドドエンス,クルシウス,デ・ロベルの本草書を多数出版した.しかし,それぞれの本草書に添える図版の版木は,事実上,プランタン社の責任において一括して保管されているものからあてられた.したがってこれら三者の著作の図は,英仏への翻訳版も含めて同一のものが多い.

特にドドエンスの『本草書 Cruydeboeck』は数多くの版を重ね,各国語に訳されたが,1644年刊の蘭語版は江戸時代の日本にも入って,『阿蘭陀本草和解』(野呂元丈ら),『遠西独度涅烏斯草木譜』(石井当光ら)などに抄訳されると共に,オリーブの図が大槻玄沢 口授,有馬元晁 筆記の『蘭説弁惑』(1788 序,1799 出版)に引用された

レンベルト・ドドエンス(Rembert Dodoens,1517–1585)の『本草書 Cruydeboeck』(1554) の羅語版では,初期の版においては,ハルザキスノーフレークの図しかなく(左図左),”Leucoion” としてストック及び八重のアラセイトウが描かれている.しかし後年の版(遅くとも 1644 年版)になるとスノードロップが Leucoioum bulbosum triphillum として現われ,ハルザキスノーフレークが Leucoioum bulbosum hexaphillum の名で描かれている(左図右).
アブラナ科とヒガンバナ科の ”Leucoion” を区別するのに,それまでのディオスコリデスとテオフラストスの名を冠するとともに,より分かりやすい性状(球根性かそうでないか)に沿った名で区別した.ヘンリー・ライトの英訳版にスノードロップが現われたのが確認できたのは,1578年版で,それぞれ蘭語版と同じく「三弁の球根性白スミレ」,「六弁の球根性白スミレ」と名が出ている.したがって,Leucoion としてスノーフレークがドドエンスの本草書原本に記載されるようになったのは,1554-1578の間の版と考えられる.

マティアス・デ・ロベル(Mathias de l’Obel,または de Lobel または Lobelius または Delobel,1538 - 1616)の “Plantarum seu Stirpium Historia. Cui annexum est adversariorum volumen. Antwerpiae Plantin (1576) “ には,”Luicoium” として 12 の植物名が挙げられ,そのうち四つが “bulbobosum” つまり球根性の植物で,残りはアラセイトウの仲間である.
”Luicoium bulbobosum” には, “hexaphyllum”(ハルザキスノーフレーク),“minimum” (アキザキスノーフレーク,Leucojum autumnale),“polyantho”(スノーフレーク,Leucojum aestivum),“triphyllum” (スノードロップ)の四種が,いずれも "LEUCONARCISORION (White-narcissus)" のカテゴリーに入っている(右図).

カロルス・クルシウス(シャルル・ド・レクリユーズ, Carolus Clusius, Charles de l'Écluse, L'Escluse 1526 - 1609)の『稀少植物誌 Rariorum plantarum historia』(1601) には,”LEUCOIM BULBOSUM” の項に ”Luicoium bulbobos hexaphyllum”(ハルザキスノーフレーク)" のほかに "Luicoium bulbobos.praecos minus” (スノードロップ) “,と大型の ”Luicoium bulbobos.praecos Byzant.” (Galanthus plicatus subsp. Byzantinus, オオバナスノードロップ)が描かれている(左図).

*「クルシウスは 16 世紀ヨーロッパの植物学者として最も重要な人物の一人で、フランドルに生まれた。健康に恵まれず、貧しかったが多才な人物で、八ヵ国語を操った。ヨーロッパ各地を旅行し豊かな植物学の知識を身につけた。およそ14年間マクシミリアン二世に仕え、ウィーンの宮廷で過ごしたが、最後はライデン大学の教授になった。ここに植物園をつくり、オランダにおける球根栽培の基礎を築いたといわれる。若い頃からの成果をまとめて1601年『稀少植物誌』を出版。リンネの仕事はこの本のおかげをたいそう被っている。クルシウスの業績はリンネを通じて現代の植物学にも影響を及ぼしているといえよう。」

ドイツで出版された最も美しい銅版植物図譜とされるバシリウス・ベスラー (Basilius Besler)(1561 - 1629)の 『アイヒシュテットの園 Hortus Eystettensis』(第二版1640, 初版は1613年)では,”Leucoium Bulbosium triphilla Mimus” 「三弁の球根性小白スミレ」と言う名でスノードロップが描かれている(右図).

ヨハン・ヴィルヘルム・ヴァインマン(Johann Wilhelm Weinmann,1683-1741)の『薬用植物図譜,花譜』 “Phytanthoza iconographia”(1737-1745) においても,スノーフレーク類・スノードロップ類は,アラセイトウの仲間と区別されずに LEUCCOIUM 類として同じセクションに入れられていて,スノードロップは ”Leucoium Bulbosium triphilla mimus” とされている(左下図,右下端).

ヴァインマンの『薬用植物図譜』は擬似メゾチント印刷に手彩色された植物図版で,数千の植物の1000以上の図版が収録されていた.江戸時代末期にブルマンによる蘭訳書が日本に伝わり,群芳園『烏延異莫漫莫草木名』(1815),栗本丹洲編『洋名入 草木図』二帳(1818)に,オランダ名と和漢名の対比表が作られ,そのいくつかの図は模写され、岩崎灌園の『本草図譜』(1828),飯沼慾斎の『草木図説』(1856)に加えられ.だが,調べた限りにおいては,”Leucoium” はこれらの書物には収載されておらず,明治に入るまでは,スノードロップは日本には入っていなかったものと思われる.

この時期のフランドル地方で,スノードロップは本草図譜に現われ,春咲きスノーフレークとともに,球根性白スミレ(Luicoium bulbobosum)という仲間にくくられ,”Leucoium Bulbosium triphilla Mimus” 「三弁の球根性小型白スミレ」という独立した名前を与えられた大陸では共通になったが,名前の上では,アラセイトウと同じ仲間 ”Leucoium" とされていた.

*A. M. コーツ「花の西洋史 <草花編>」白幡洋三郎・白幡節子訳,八坂書房(1989)より部分引用

続く

スノードロップ(3/10) ディオスコリデス,プリニウス,ブルンフェルス,フックス,マッティオラ,ボック
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