2013年11月28日木曜日

ナンバンギセル (2/4) 万葉集「おもひくさ」,和泉式部,源通具,順徳天皇,藤原定家,仙覺,由阿,一条兼良,北村季吟,契沖,荷田春満,貝原益軒,小野蘭山

Aeginetia indica
2001年6月 茨城県南部
『万葉集』(785年以前)の巻十に「秋相聞」には「寄草-草に寄す」の題で,作者不詳の「道邊之 乎花我下之 思草 今更爾何 物可将念 “みちのへの をはなかしたの おもひくさ いまさらになど ものかおもはむ” 」という歌がある(この四,五句の訓については多くの説がある*1).

「おもひくさ」を詠った歌は数多く,日文研の和歌データベース(http://tois.nichibun.ac.jp/database/html2/waka/menu.html)によれば,奈良時代から室町時代までの歌集には,六十首ほどのおもひくさを歌った異なった歌が収載されている事が確認されている.時代的な内訳は,奈良時代に万葉集の一首,平安時代には四首,鎌倉時代には三十四首,南北朝時代に六首,室町時代に十七首,時代不明が二首となっている.

昔から,この「おもひくさ」が何を指すのか,リンドウ,ツユクサ,オミナエシ,シオン,ナンバンギセルなど多くの説があるし,また,時代時代で歌人がイメージした植物は異なっていて不思議はない.しかし大本の万葉集の「おもひくさ」は現在ではナンバンギセルが最もそれらしいとされている.

万葉集の一首以外によく知られているのが,和泉式部(978頃-1025以降)の『新古今和歌集 六 冬』(1204年に選定)にある「題知らず 野べ見れば尾花が本の思ひ草 かれゆく冬になりぞしにける」である.
この歌は,『和泉式部集 第二』(1205年以後の近い時期)にあり,『和漢朗詠集』(1018年頃成立)の「無常」の詩句「観身岸額離根草 論命江頭不繋船 [身ヲ観ズレバ岸ノ額(ひたひ)ニ根ヲ離レクル草。命ヲ論ズレバ江(え)ノ頭(ほとり)ニ繋ガザル舟](羅維(らい)正しくは厳維(げんい)の「み・を・くわん・ず・れ・ば…」の四十三音を頭に置いた四十三首中、「岸ノ」の「ノ」の作であり,家集では「野邊みればを花がもとの思ひ草 かれゆく程になりぞしにける」となっている.
従って,和泉式部は冬の情景を詠んだ訳ではなく,万葉集の本歌から,人の世や恋の「無常」を感じて作ったのであろう.

鎌倉時代の建仁元(1201)年、後鳥羽上皇の仰せによって、史上最大の歌合である千五百番歌合が行われた。その中に源通具(みなもとのみちとも,1171-1227)の「問へかしな尾花がもとの思草 しほるる野への露はいかにと」の歌がある.

2010年05月 茨城県南部
順徳天皇の歌論書『八雲御抄』の中に,『新古今集』撰者の一人である源通具の説として,思い草は露草であると記されているので,この「思い草」は露草であるとされている.

そのためか,この時代の「おもひくさ」の歌の多くには「つゆ」がともに歌われている.
その一つ『続後拾遺集 巻五:秋下』建保四年百首の歌奉りける時 後久我太政大臣 「秋風に枯れ行く虫の思ひぐさいかなる露の結び置くらむ」 どちらも「はかなさ」を詠嘆する道具立てとなっているのであろう.

「思草」を詠った歌は多く,藤原定家も「霜むすぶ尾花がもとの思ひ草きえなむのちや色にいづべき」(『拾遺愚草 巻上 十題百首』,1216)と詠い,またその歌論『近代秀歌』(1209)と『詠歌大概』(1221)に,また,『八代集秀逸』(1234)に源俊頼の「思ひ草葉末(はずえ)に結ぶ白露のたまたまきては手にもたまらず」(金葉集 巻七)の歌を載せ,「これは面白く見所あり,上手の仕事とみゆ.」とほめて秀歌例に挙げている(『近代秀歌』原形本).

「思い草」はどのような草なのか.

順徳天皇の歌論書『八雲御抄』には,源通具は思い草は露草としたとある.
仙覺は万葉集の「思い草」は,ナデシコとの説もあるが,仏教的な観点からチガヤであるとした.
仙覺の後継者を自称していた由阿は,二条良基に献上した『詞林采葉抄』のなかで,ナデシコ,チガヤ,リンドウ(藤原定家説),シオン(九条兼実説)の説があるとした.
一条兼良は思草は特定の草の名ではなく,たゞ草をいうとした.
一方,北村季吟は藤原定家の歌『拾遺愚草 巻上 十題百首』の「霜結ぶ尾花がもとの思草きえなむ後や色に出づべき」は,読み人知らずの歌『古今集 巻十一』の「秋の野の尾花にまじり咲く花の色にや恋ひむ逢ふよしをなみ」に心を寄せ,霜のおりるようになった晩秋に,尾花の中にはなやかな紫色のりうたん(リンドウ)の花が咲いている様子が,「思い草」によく合うとし,万葉集の「思い草」もリンドウと考えた.
契沖は初めはリンドウとしたが,後には特定の草ではなく,物かげに生ずる草-陰草であろうとしている.
荷田春満は尾花を雄の花と解釈し,それと交わる「思草」としては女郎花(オミナエシ)がふさわしいとしている.橘千蔭は未詳としている.
また,本草学者 貝原益軒はリンドウ,小野蘭山はリンドウ及びツユクサとしている.

2011年05月 茨城県南部 瞿麦
しかし,現在ではこれらの説は好まれず,「おもひくさ」=ナンバンギセルと考えられている.これについては,ナンバンギセル(3/3)に記す.

順徳天皇(1197‐1242)『八雲御抄 巻第三 枝葉部 草部』(承久の乱(1221)ころ原形成立)
「露草 鴨頭(ツキクサ)。つきくさ。うつろふ物に云り。おもひ草と云は、露草也と道具卿説也。」

仙覺(1203 – 1272以降)『万葉集注釈 第六巻』 (1269)
「道邊之 乎花我下之 思草 今更尓何 物可将念 (ミチノヘノ ヲハナカモトノ オモヒクサ イマサラニナヲ モノカオモハム)
オモヒクサトハ瞿麦ヲイフト云説アリ又ヲイフトモイヘリ茅ノ葉ハエタナトモナクテタヽヒトスチノオヒタルナリナニコトモ物ヲマコトシク思フニハタヽヒトコトニノミ心ヲカケテ余念ナキタメシナリサレハ聖世尊利益衆生ノタメニハ相作仏ヲシメシタマヒテ同居ノ成道ヲトナヘタマフトキニハ吉祥草ヲ座トシテ成正覚タマフ吉祥草トイフハ茅草也 」

由阿(1291-1379?)『詞林采葉抄』(1366二条良基に献上)
「第九 思草
当集代十巻歌云
道乃への尾花がもとの思草いままたに何の物か思ん
同巻云
秋つけはみくさのはなのあへぬかに思へとしらぬただにあわはされは*

2009年10月 花貫渓谷 龍膽
思草之事或云瞿麦を申と子(こ)と云言に付て三草とハ思草と見たり尾花は茅草乃花也と云へるにや尤其拠也但浅茅を申へき也
茅の葉は枝もなくて一すち/\生るハ余念なき事ニよせたるにや就中佛初成道のとき拮茅草を吉祥草と宣玉へり仍を草座と志て菩提樹下ニ志て未来乃衆生を思念し何乃法をかとかんとて於三七日中思惟如是眞と説玉ふ即是也浅茅の花をつ花とも尤尾花とも申上は尾花か下の思草とよめる尤有拠物●然に家**ニハ里んたうを思草と被仰之上者可信用之不可餘義
又九条前関白殿***は紫苑を思草と云也と被仰けると云
思草歌不可勝計****

思草葉すゑにむすふ白露のたま/\きては手にもたまら寸 俊頼
御熊野のかやかしたなる思草 又二心なしと志らすや 仲実
此両首茅をよまれてたるにやと見たり

朝霜乃色にへたつる思草 きえ須ハうとし武蔵野の原 京極黄門*
是は里んたうと覚ゆ紫に咲く花なるか故に又紫苑も紫にさく物なれば府合する物也.

むは玉のねてのゆうへの思草 こよひもむねにもえやあかさん 家隆******」

●は筆者の未解読文字,分かり次第埋めるつもり.
* 秋づけば水草の花のあえぬがに思へど知らじ直に逢はざれば(秋就者 水草花乃 阿要奴蟹 思跡不知 直尓不相在者)
** 「家」とは藤原定家
*** 「京極黄門」とは京極家の中納言のことで定家
**** 「九条前関白殿」は九条兼実と思われる
***** 不可勝(称)計=あげてかぞふべからず,数えつくすことができない
****** 藤原家隆 (1158-1237),出典未詳

一条 兼良(1402 -1481)『歌林良材集』(伝 1429-41)
第五 有(二)由緒(一)歌
四十八 尾花がもとの思草事
(万十)道のへのを花が本のおもひ草いまさらになぞ物は思はむ
右、思草は草の名にはあらず、たゞ草をいふなるべし。
古(十一)秋の野のを花にまじりさく花の色にや戀んあふよしをなみ(読人不知)
右、尾花にまじりてさく花は、定家卿は龍膽の花の霜枯に残れるをいふといへり。
霜結ぶ尾花が本の思ひ草消えなむ後や色に出べき  定家

北村 季吟(1625 -1705)『萬葉拾穂抄第十卷』(1686年成立,90年刊)には,
「寄(レ)草ニ歌一首      作者未(レ)
みちのへのおはなかもとのおもひくさいまさらになにのものかおもはん
   道邊之乎花我下之思草今更爾何(イなそ)物可将念
みちのへのおはなか 哥林良材云右思ひ草は思ひの草にはあらす只草を云なるへし古今集十一秋のゝのおはなにましりさく花の――右おはなにましりさく花は定家卿は龍膽《リウタン》の花の霜かれにのこれるを云といへり祇云枯たる比の薄のもとにりんたうの開たるを紫のゆかりなつかしき色を思ひいへる心也といへる定家の儀尤可(レ)()正説(一)此哥の心若道のへの尾花かもとの思ひ草一すちに心をかよはしたる思ひ変する事なし今更に何の物をか思ふへきといふ心にや愚案此哥序うた也もとよりの思ひなる物を今更に何のかはれる物思ひをせんと也思草の事仙覺は撫子或は茅をいふなといへり何も不用定家の御説を用へし」と,定家の説に従いリンドウとしている.

契沖(1640 -1701)は『万葉代匠記 初稿本』(1687年成)では「思草は龍胆の花か」と記したが,後の『精撰本』(1690年成)では「思草の事説々あれど今按尾花がもとに限らず物の陰に生ひ陰草をすべて思草と云爾歟(中略) 尾花の陰に生ひでたる草の如く思ひ痩て、其かひ有て逢みる君なれば今更何をか恩はむとなり。思い草を承て将念と云へり」と説き,物かげに生ずる草であろうと言っている.

荷田春満(かだのあずままろ, 1669 -1736)『万葉童蒙抄』(亨保年間(1716~1735)成)
「道邊之乎花我下之思草今更爾何物可将念
“みちのべの,をばなかもとの,おもひぐさ,いまさらになに,ものかおもはん”
2008年08月 榛名 女郎花
此歌の思ひ草付ては,色々論ある事也.諸抄の説は,古今の歌に付いて,此思草も龍膽の事と釈せり.仙覚は,なでし子共注せり.一決せず.先古今集の戀の部第一に,秋の野の尾花にまじり咲花の色にや戀ひんふよしをなみ,と云歌に付て,まじる草花は龍膽と定家卿も書給へり.それは古今の歌の釈也.其後の人,此歌の思草も龍膽と見る由抄物に記せり.其より処は本院左大臣時平公の歌合の歌に,下草の花を見つれば紫にと詠めり.又源氏夕霧に,かれたる草の下より,龍膽のわれ獨り云々と有.又八雲御抄第三,龍膽物名外不聞.但時平歌合に,下草の花を見つれば紫にと詠めりと有.八雲御抄,思草と云は露草なりと,通具卿の説也と,露草の所に記されたり.是皆此集をふまへて云たる義と見て,定家卿も古今の,尾花にまじり咲花龍膽とは決せられ,其後の人誰かこれを可改考や.それより此思草と見るなるべし.然共時平の歌,源氏物語の詞,決して此歌の思草の事を云たる義共難定.且古今集の尾花にまじり咲花の歌に付ては,数百歳見損じ来れりと見えたり.彼集にて論辧を伝える義なれど序なれば注する也.宗師伝は,古今のを花にまじり咲花とは,女郎花の事と見也.男花にまじるなら,これ女郎花ならでは義叶わず.交じるは交合の意也.其上彼の歌の見様,先達の歴々篇列の例を不辧して,正意に叶わざる説々なり口なし色には得堪へまじと云意を,得見わかぬから色々の説も出来る也.此歌は口なし色に戀ひん也.然るに,諸抄の見様はあふ由のなければ,紫のゆかしき色にや戀ひわばんと見たる説也.大成見様のたがひ有.此は篇列の辧無きから,古来からの見損じ也.この万葉の思草も,尾花がもとのとあれば,尾花が初めより思ひ戀う草なれば,女郎花と見ゆる也.其上兼良公の暁筆記にも,女郎花とある由也.を花は男花也.を花の思草なれば,女郎花と見る義当理なるべし.一義,を花が下のとあれば忍ぶ草にては有まじき歟.思ふと云ふ字は忍ぶと読む.を花の根茎はしのと云なれば,若し忍草にもあらん.龍膽と云義は心得難し.扨此歌の意は,物もひ草と云う名に寄せて,本よりそこをこそ思へ,今更何の外の物を思はんや,只そなたをこそ思へと詠める義也.然ればを花になりて詠める歌也.を花がもとと思い初めしは女郎花にてこそあれ.其れを今更に何の外の心を変じて思はんやと詠めるなり.歌の意は安く聞えたる歌也.思草の本躰論判不決也.宋師伝は如此也.此上証明の後考あらば幸甚なるべし.」

橘千蔭『万葉集略解』寛政12年(1800)成 寛政8年~文化9年(1812)刊
「寄草 道邊之.花我下之.思草.今更爾.何物可将念 みちのべの.をばながもとの.おもひぐさ.いまさらさらに.なにかおもはむ
オモヒ草は,くさぐさ説有れど,定かなる証有る事無し.さる草有るなるべし.メザマシグサ,ニコ草など,今知られ難きを多きなり,(以下略).」

貝原益軒『大和本草 巻之六草之二薬類』(1709) 
「龍膽 倭名リンダウ一名クタニト云叉思草ト云(以下略)」

2006年11月 茨城県南部 尾花
小野蘭山『本草綱目啓蒙 巻之九 草之二 山草類下』(1803-1806)
「龍膽 リンダウ(龍膽ノ音ノ転ナリ) ニガナ(和名鈔) ヱヤミグサ(同上) クダニ(古歌) オモヒ草(同上) アゼ桔梗 オコリオトシ(播州) サヽリンダウ(奥州・勢州)(以下略)」
小野蘭山『同書 巻之十二 草之五 湿草類下』(1803-1806)
「鴨跖草 オモヒグサ(古歌) ツユグサ (以下略)」

他にも,思い草として万葉以来名の挙げられたものとしては,サクラ・シバ・シオンなど非常に多い.しかし,『万葉集』の思い草は別として,平安以降の思い草は万葉集の「思ひ草」という言葉から,その時代の風潮や,歌人個人のイメージに沿ったもので,現実に存在するただ一つの植物に当てはめることは,無理があるように思われる.

『万葉集』のものは実在の植物であったに違いないが,後の世の文献から断定することは不可能である.植物生態学的な知見からは,ススキと共存し,尾花と共に咲くのはナンバンギセル,リンドウ,オミナエシであり,乾いた土地にツユクサは育ちにくい.この様に多くの説が出されたが,現在では,ススキに寄生して花を咲かすナンバンギセル説が一般的である.

*1 四,五句「今更亦何物可将念」の諸本・諸注釈書類の訓
イマサラニナトモノオモフラム(ラムを消し、その右に墨へキとある)
イマサラニナソモノヲモフヘキ
イサヲナニナソモノカオモハム(「将念」の左に「オモフへキ」)
イマサラナニノモノカオモハム
イマサヲニワレナニカオモハム(「尓」は「吾」の誤とする)
イマサラサラニナニカオモハム(「更」の下に「更」の字または「〃」脱とする)
イマサラニカトナニヲオモハム
イマサラニハタナニカオモハム(「亦」の下に「當」の字などを補う)
イマサラニナゾモノカオモハム
イマサラニナドモノカオモハム
イマサラサラニナニヲカオモハム(「更」の下に「〃」を補う)
イマサラサラニナニモノオモハム
(阿蘇瑞枝『万葉集全注 巻第十』(1989) 有斐閣 に拠る)


ナンバンギセル(1/4) リンネ,怡顔斎菌品,花壇地錦抄,花彙,物品識名,梅園画譜,竹馬草・春駒草の由来
ナンバンギセル (3/4) 万葉集「思ひ草」本居宣長『玉勝閒』,『物品識名』,『和訓栞』,前田曙山『曙山園芸』,久保田淳
ナンバンギセル(4/4) 地方名,「おもいぐさ」(千葉・柏),「かっこ-へのこ」(岩手),方言,中国名,薬効,源氏伝説

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