2013年11月28日木曜日

ナンバンギセル (2/4) 万葉集「おもひくさ」,和泉式部,源通具,順徳天皇,藤原定家,仙覺,由阿,一条兼良,北村季吟,契沖,荷田春満,貝原益軒,小野蘭山

Aeginetia indica
2001年6月 茨城県南部
『万葉集』(785年以前)の巻十に「秋相聞」には「寄草-草に寄す」の題で,作者不詳の「道邊之 乎花我下之 思草 今更爾何 物可将念 “みちのへの をはなかしたの おもひくさ いまさらになど ものかおもはむ” 」という歌がある(この四,五句の訓については多くの説がある*1).

「おもひくさ」を詠った歌は数多く,日文研の和歌データベース(http://tois.nichibun.ac.jp/database/html2/waka/menu.html)によれば,奈良時代から室町時代までの歌集には,六十首ほどのおもひくさを歌った異なった歌が収載されている事が確認されている.時代的な内訳は,奈良時代に万葉集の一首,平安時代には四首,鎌倉時代には三十四首,南北朝時代に六首,室町時代に十七首,時代不明が二首となっている.

昔から,この「おもひくさ」が何を指すのか,リンドウ,ツユクサ,オミナエシ,シオン,ナンバンギセルなど多くの説があるし,また,時代時代で歌人がイメージした植物は異なっていて不思議はない.しかし大本の万葉集の「おもひくさ」は現在ではナンバンギセルが最もそれらしいとされている.

万葉集の一首以外によく知られているのが,和泉式部(978頃-1025以降)の『新古今和歌集 六 冬』(1204年に選定)にある「題知らず 野べ見れば尾花が本の思ひ草 かれゆく冬になりぞしにける」である.
この歌は,『和泉式部集 第二』(1205年以後の近い時期)にあり,『和漢朗詠集』(1018年頃成立)の「無常」の詩句「観身岸額離根草 論命江頭不繋船 [身ヲ観ズレバ岸ノ額(ひたひ)ニ根ヲ離レクル草。命ヲ論ズレバ江(え)ノ頭(ほとり)ニ繋ガザル舟](羅維(らい)正しくは厳維(げんい)の「み・を・くわん・ず・れ・ば…」の四十三音を頭に置いた四十三首中、「岸ノ」の「ノ」の作であり,家集では「野邊みればを花がもとの思ひ草 かれゆく程になりぞしにける」となっている.
従って,和泉式部は冬の情景を詠んだ訳ではなく,万葉集の本歌から,人の世や恋の「無常」を感じて作ったのであろう.

鎌倉時代の建仁元(1201)年、後鳥羽上皇の仰せによって、史上最大の歌合である千五百番歌合が行われた。その中に源通具(みなもとのみちとも,1171-1227)の「問へかしな尾花がもとの思草 しほるる野への露はいかにと」の歌がある.

2010年05月 茨城県南部
順徳天皇の歌論書『八雲御抄』の中に,『新古今集』撰者の一人である源通具の説として,思い草は露草であると記されているので,この「思い草」は露草であるとされている.

そのためか,この時代の「おもひくさ」の歌の多くには「つゆ」がともに歌われている.
その一つ『続後拾遺集 巻五:秋下』建保四年百首の歌奉りける時 後久我太政大臣 「秋風に枯れ行く虫の思ひぐさいかなる露の結び置くらむ」 どちらも「はかなさ」を詠嘆する道具立てとなっているのであろう.

「思草」を詠った歌は多く,藤原定家も「霜むすぶ尾花がもとの思ひ草きえなむのちや色にいづべき」(『拾遺愚草 巻上 十題百首』,1216)と詠い,またその歌論『近代秀歌』(1209)と『詠歌大概』(1221)に,また,『八代集秀逸』(1234)に源俊頼の「思ひ草葉末(はずえ)に結ぶ白露のたまたまきては手にもたまらず」(金葉集 巻七)の歌を載せ,「これは面白く見所あり,上手の仕事とみゆ.」とほめて秀歌例に挙げている(『近代秀歌』原形本).

「思い草」はどのような草なのか.

順徳天皇の歌論書『八雲御抄』には,源通具は思い草は露草としたとある.
仙覺は万葉集の「思い草」は,ナデシコとの説もあるが,仏教的な観点からチガヤであるとした.
仙覺の後継者を自称していた由阿は,二条良基に献上した『詞林采葉抄』のなかで,ナデシコ,チガヤ,リンドウ(藤原定家説),シオン(九条兼実説)の説があるとした.
一条兼良は思草は特定の草の名ではなく,たゞ草をいうとした.
一方,北村季吟は藤原定家の歌『拾遺愚草 巻上 十題百首』の「霜結ぶ尾花がもとの思草きえなむ後や色に出づべき」は,読み人知らずの歌『古今集 巻十一』の「秋の野の尾花にまじり咲く花の色にや恋ひむ逢ふよしをなみ」に心を寄せ,霜のおりるようになった晩秋に,尾花の中にはなやかな紫色のりうたん(リンドウ)の花が咲いている様子が,「思い草」によく合うとし,万葉集の「思い草」もリンドウと考えた.
契沖は初めはリンドウとしたが,後には特定の草ではなく,物かげに生ずる草-陰草であろうとしている.
荷田春満は尾花を雄の花と解釈し,それと交わる「思草」としては女郎花(オミナエシ)がふさわしいとしている.橘千蔭は未詳としている.
また,本草学者 貝原益軒はリンドウ,小野蘭山はリンドウ及びツユクサとしている.

2011年05月 茨城県南部 瞿麦
しかし,現在ではこれらの説は好まれず,「おもひくさ」=ナンバンギセルと考えられている.これについては,ナンバンギセル(3/3)に記す.

順徳天皇(1197‐1242)『八雲御抄 巻第三 枝葉部 草部』(承久の乱(1221)ころ原形成立)
「露草 鴨頭(ツキクサ)。つきくさ。うつろふ物に云り。おもひ草と云は、露草也と道具卿説也。」

仙覺(1203 – 1272以降)『万葉集注釈 第六巻』 (1269)
「道邊之 乎花我下之 思草 今更尓何 物可将念 (ミチノヘノ ヲハナカモトノ オモヒクサ イマサラニナヲ モノカオモハム)
オモヒクサトハ瞿麦ヲイフト云説アリ又ヲイフトモイヘリ茅ノ葉ハエタナトモナクテタヽヒトスチノオヒタルナリナニコトモ物ヲマコトシク思フニハタヽヒトコトニノミ心ヲカケテ余念ナキタメシナリサレハ聖世尊利益衆生ノタメニハ相作仏ヲシメシタマヒテ同居ノ成道ヲトナヘタマフトキニハ吉祥草ヲ座トシテ成正覚タマフ吉祥草トイフハ茅草也 」

由阿(1291-1379?)『詞林采葉抄』(1366二条良基に献上)
「第九 思草
当集代十巻歌云
道乃への尾花がもとの思草いままたに何の物か思ん
同巻云
秋つけはみくさのはなのあへぬかに思へとしらぬただにあわはされは*

2009年10月 花貫渓谷 龍膽
思草之事或云瞿麦を申と子(こ)と云言に付て三草とハ思草と見たり尾花は茅草乃花也と云へるにや尤其拠也但浅茅を申へき也
茅の葉は枝もなくて一すち/\生るハ余念なき事ニよせたるにや就中佛初成道のとき拮茅草を吉祥草と宣玉へり仍を草座と志て菩提樹下ニ志て未来乃衆生を思念し何乃法をかとかんとて於三七日中思惟如是眞と説玉ふ即是也浅茅の花をつ花とも尤尾花とも申上は尾花か下の思草とよめる尤有拠物●然に家**ニハ里んたうを思草と被仰之上者可信用之不可餘義
又九条前関白殿***は紫苑を思草と云也と被仰けると云
思草歌不可勝計****

思草葉すゑにむすふ白露のたま/\きては手にもたまら寸 俊頼
御熊野のかやかしたなる思草 又二心なしと志らすや 仲実
此両首茅をよまれてたるにやと見たり

朝霜乃色にへたつる思草 きえ須ハうとし武蔵野の原 京極黄門*
是は里んたうと覚ゆ紫に咲く花なるか故に又紫苑も紫にさく物なれば府合する物也.

むは玉のねてのゆうへの思草 こよひもむねにもえやあかさん 家隆******」

●は筆者の未解読文字,分かり次第埋めるつもり.
* 秋づけば水草の花のあえぬがに思へど知らじ直に逢はざれば(秋就者 水草花乃 阿要奴蟹 思跡不知 直尓不相在者)
** 「家」とは藤原定家
*** 「京極黄門」とは京極家の中納言のことで定家
**** 「九条前関白殿」は九条兼実と思われる
**** 不可勝(称)計=あげてかぞふべからず,数えつくすことができない
****** 藤原家隆 (1158-1237),出典未詳

一条 兼良(1402 -1481)『歌林良材集』(伝 1429-41)
第五 有(二)由緒(一)歌
四十八 尾花がもとの思草事
(万十)道のへのを花が本のおもひ草いまさらになぞ物は思はむ
右、思草は草の名にはあらず、たゞ草をいふなるべし。
古(十一)秋の野のを花にまじりさく花の色にや戀んあふよしをなみ(読人不知)
右、尾花にまじりてさく花は、定家卿は龍膽の花の霜枯に残れるをいふといへり。
霜結ぶ尾花が本の思ひ草消えなむ後や色に出べき  定家

北村 季吟(1625 -1705)『萬葉拾穂抄第十卷』(1686年成立,90年刊)には,
「寄(レ)草ニ歌一首      作者未(レ)
みちのへのおはなかもとのおもひくさいまさらになにのものかおもはん
   道邊之乎花我下之思草今更爾何(イなそ)物可将念
みちのへのおはなか 哥林良材云右思ひ草は思ひの草にはあらす只草を云なるへし古今集十一秋のゝのおはなにましりさく花の――右おはなにましりさく花は定家卿は龍膽《リウタン》の花の霜かれにのこれるを云といへり祇云枯たる比の薄のもとにりんたうの開たるを紫のゆかりなつかしき色を思ひいへる心也といへる定家の儀尤可(レ)()正説(一)此哥の心若道のへの尾花かもとの思ひ草一すちに心をかよはしたる思ひ変する事なし今更に何の物をか思ふへきといふ心にや愚案此哥序うた也もとよりの思ひなる物を今更に何のかはれる物思ひをせんと也思草の事仙覺は撫子或は茅をいふなといへり何も不用定家の御説を用へし」と,定家の説に従いリンドウとしている.

契沖(1640 -1701)は『万葉代匠記 初稿本』(1687年成)では「思草は龍胆の花か」と記したが,後の『精撰本』(1690年成)では「思草の事説々あれど今按尾花がもとに限らず物の陰に生ひ陰草をすべて思草と云爾歟(中略) 尾花の陰に生ひでたる草の如く思ひ痩て、其かひ有て逢みる君なれば今更何をか恩はむとなり。思い草を承て将念と云へり」と説き,物かげに生ずる草であろうと言っている.

荷田春満(かだのあずままろ, 1669 -1736)『万葉童蒙抄』(亨保年間(1716~1735)成)
「道邊之乎花我下之思草今更爾何物可将念
“みちのべの,をばなかもとの,おもひぐさ,いまさらになに,ものかおもはん”
2008年08月 榛名 女郎花
此歌の思ひ草付ては,色々論ある事也.諸抄の説は,古今の歌に付いて,此思草も龍膽の事と釈せり.仙覚は,なでし子共注せり.一決せず.先古今集の戀の部第一に,秋の野の尾花にまじり咲花の色にや戀ひんふよしをなみ,と云歌に付て,まじる草花は龍膽と定家卿も書給へり.それは古今の歌の釈也.其後の人,此歌の思草も龍膽と見る由抄物に記せり.其より処は本院左大臣時平公の歌合の歌に,下草の花を見つれば紫にと詠めり.又源氏夕霧に,かれたる草の下より,龍膽のわれ獨り云々と有.又八雲御抄第三,龍膽物名外不聞.但時平歌合に,下草の花を見つれば紫にと詠めりと有.八雲御抄,思草と云は露草なりと,通具卿の説也と,露草の所に記されたり.是皆此集をふまへて云たる義と見て,定家卿も古今の,尾花にまじり咲花龍膽とは決せられ,其後の人誰かこれを可改考や.それより此思草と見るなるべし.然共時平の歌,源氏物語の詞,決して此歌の思草の事を云たる義共難定.且古今集の尾花にまじり咲花の歌に付ては,数百歳見損じ来れりと見えたり.彼集にて論辧を伝える義なれど序なれば注する也.宗師伝は,古今のを花にまじり咲花とは,女郎花の事と見也.男花にまじるなら,これ女郎花ならでは義叶わず.交じるは交合の意也.其上彼の歌の見様,先達の歴々篇列の例を不辧して,正意に叶わざる説々なり口なし色には得堪へまじと云意を,得見わかぬから色々の説も出来る也.此歌は口なし色に戀ひん也.然るに,諸抄の見様はあふ由のなければ,紫のゆかしき色にや戀ひわばんと見たる説也.大成見様のたがひ有.此は篇列の辧無きから,古来からの見損じ也.この万葉の思草も,尾花がもとのとあれば,尾花が初めより思ひ戀う草なれば,女郎花と見ゆる也.其上兼良公の暁筆記にも,女郎花とある由也.を花は男花也.を花の思草なれば,女郎花と見る義当理なるべし.一義,を花が下のとあれば忍ぶ草にては有まじき歟.思ふと云ふ字は忍ぶと読む.を花の根茎はしのと云なれば,若し忍草にもあらん.龍膽と云義は心得難し.扨此歌の意は,物もひ草と云う名に寄せて,本よりそこをこそ思へ,今更何の外の物を思はんや,只そなたをこそ思へと詠める義也.然ればを花になりて詠める歌也.を花がもとと思い初めしは女郎花にてこそあれ.其れを今更に何の外の心を変じて思はんやと詠めるなり.歌の意は安く聞えたる歌也.思草の本躰論判不決也.宋師伝は如此也.此上証明の後考あらば幸甚なるべし.」

橘千蔭『万葉集略解』寛政12年(1800)成 寛政8年~文化9年(1812)刊
「寄草 道邊之.花我下之.思草.今更爾.何物可将念 みちのべの.をばながもとの.おもひぐさ.いまさらさらに.なにかおもはむ
オモヒ草は,くさぐさ説有れど,定かなる証有る事無し.さる草有るなるべし.メザマシグサ,ニコ草など,今知られ難きを多きなり,(以下略).」

貝原益軒『大和本草 巻之六草之二薬類』(1709) 
「龍膽 倭名リンダウ一名クタニト云叉思草ト云(以下略)」

2006年11月 茨城県南部 尾花
小野蘭山『本草綱目啓蒙 巻之九 草之二 山草類下』(1803-1806)
「龍膽 リンダウ(龍膽ノ音ノ転ナリ) ニガナ(和名鈔) ヱヤミグサ(同上) クダニ(古歌) オモヒ草(同上) アゼ桔梗 オコリオトシ(播州) サヽリンダウ(奥州・勢州)(以下略)」
小野蘭山『同書 巻之十二 草之五 湿草類下』(1803-1806)
「鴨跖草 オモヒグサ(古歌) ツユグサ (以下略)」

他にも,思い草として万葉以来名の挙げられたものとしては,サクラ・シバ・シオンなど非常に多い.しかし,『万葉集』の思い草は別として,平安以降の思い草は万葉集の「思ひ草」という言葉から,その時代の風潮や,歌人個人のイメージに沿ったもので,現実に存在するただ一つの植物に当てはめることは,無理があるように思われる.

『万葉集』のものは実在の植物であったに違いないが,後の世の文献から断定することは不可能である.植物生態学的な知見からは,ススキと共存し,尾花と共に咲くのはナンバンギセル,リンドウ,オミナエシであり,乾いた土地にツユクサは育ちにくい.この様に多くの説が出されたが,現在では,ススキに寄生して花を咲かすナンバンギセル説が一般的である.

*1 四,五句「今更亦何物可将念」の諸本・諸注釈書類の訓
イマサラニナトモノオモフラム(ラムを消し、その右に墨へキとある)
イマサラニナソモノヲモフヘキ
イサヲナニナソモノカオモハム(「将念」の左に「オモフへキ」)
イマサラナニノモノカオモハム
イマサヲニワレナニカオモハム(「尓」は「吾」の誤とする)
イマサラサラニナニカオモハム(「更」の下に「更」の字または「〃」脱とする)
イマサラニカトナニヲオモハム
イマサラニハタナニカオモハム(「亦」の下に「當」の字などを補う)
イマサラニナゾモノカオモハム
イマサラニナドモノカオモハム
イマサラサラニナニヲカオモハム(「更」の下に「〃」を補う)
イマサラサラニナニモノオモハム
(阿蘇瑞枝『万葉集全注 巻第十』(1989) 有斐閣 に拠る)


ナンバンギセル(1/4) リンネ,怡顔斎菌品,花壇地錦抄,花彙,物品識名,梅園画譜,竹馬草・春駒草の由来
ナンバンギセル (3/4) 万葉集「思ひ草」本居宣長『玉勝閒』,『物品識名』,『和訓栞』,前田曙山『曙山園芸』,久保田淳
ナンバンギセル(4/4) 地方名,「おもいぐさ」(千葉・柏),「かっこ-へのこ」(岩手),方言,中国名,薬効,源氏伝説

2013年11月18日月曜日

ナンバンギセル(1/4) リンネ,怡顔斎菌品,花壇地錦抄,花彙,物品識名,梅園画譜,竹馬草・春駒草の由来

Aeginetia indica
2001年6月 茨城県南部
インド亜大陸,アジア南部の熱帯から日本を含むアジア東部温帯にかけて生育する,イネ科の単子葉植物(ススキ,オカボ,サトウキビなど)の根に寄生するハマウツボ科ナンバンギセル属の植物.

Linnaeus "SP2-2", p632 (1753)
現在も有効な学名はリンネがインド南部の Malabaria 地方に生育しているとして,種小名を indica と命名した(左図).属名の “Aeginetia” の由来は調べたが確認できなかった.

故磯野慶大教授の「ナンバンギセル」の初見である,松岡恕庵『怡顔斎菌品 下(1761) には,
「ツユザヘモン,ナンバンギセル
*按ルニ梅雨(ツユ)左衛門又幽霊草ト云 芸園家ニ銀竜艸ト呼 色甚白シテ鱗甲アリ 又一種一茎突出スルコト六七寸乃至一尺余  梢ヘニ牽牛(アサゴホノ)花ノ如ク亘(ワタ)リ一寸許ノ花ヲ生ス 俗ニ南蛮ギセルト云 トモニ菌ノ類也」(*松岡恕庵の本名,玄達の略と思われる)とあり(右図,NDL),菌類(キノコの仲間)として,ギンリョウソウ(ツユザエモン)の一種として記載されている.

その後,菌類ではなく,同じハマウツボ科のハマウツボとの類似性が認識されたようで,
小野蘭山『花彙』(1765)には,図と共に「草蓯蓉*(サウジウヤウ) ナンハンギセル
近山処々陰湿ノ地ニアリ三月苗ヲ生ス高サ五七寸茎円ク白シ又淡紅色ノ者又鱗甲(ウロコ)アル者アリ四五月花ヲ開ク一茎一花傾キ開ク其形烔管頭(キセルノカシラ)ノ如シ一種茎頭四花ヲ開クモノアリ」(左図,左端, NDL )とある.

勿論,この名前は西欧(南蛮)人たちが来訪して,そのマドロスパイプが見られて以降の名称で,それ以前は思草(オモイグサ),春駒草(ハルゴマソウ),蠅取草(ハエトリグサ),竹馬草あるいは煙管草(キセルソウ)と呼ばれていたと思われる.

伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』(1695)には「草花秋之部 竹馬草(ちくばさう)初中, 花形童幼のりてあそふたけ馬(むま)のごとく成 小草にして色むらさき 野ニ有」
同書「草木植作様之巻 ●ちやうせんあさがほ ●ちくば草, 右ハ二月中ニ種をまく 合肥を用て植ル ちくば草ハたね取にくき物なり」と,竹馬草として記載されている.

岡林清達・水谷豊文『物品識名 乾(1809 )「ヲモヒクサ キセルサウ ナンバンギセル 列當*一種」とある(上図,中央.NDL).

毛利元寿『梅園画譜 夏之部七』(春之部巻一序文 1825)(図 1820 – 1849
「多識編山草類出 列當* ツチアケビ 草蓯蓉* 花蓯蓉*, 諸書出 竹馬草 ナンバンギセル ハマウツボ 日○(阝+镸)草, 丙午六月廿七日 採巣鴨原 真写」1840年の旧暦六月に巣鴨の原で採取した個体を実写したと記している(上図,右端,NDL).
*いずれもハマウツボの漢名

三重本草「竹馬草」,和漢三才図会「竹馬」,豊国「春駒」
三重県の幕末から明治にかけての本草・博物家の鎌井松石(1812-1890)の三重本草』の草稿?には,「竹馬草,ナンバンギセル」の美しい絵が残されている(右図左).


薄などの背の高い草の陰で,うつむいて咲く花を「誰かをひっそりと思っている」と見立てたり(おもいぐさ),葉がないほっそりとした茎の上に比較的大きな花が載っている様を,張子の馬の頭を竹の胴につけた玩具「竹馬」や「春駒」に例えた(春駒草,竹馬草)のであろうが,南蛮煙管よりは風情がある.

(右図,中央『和漢三才図会「竹馬」,右,歌川豊国(1769-1825)「けはひ坂の少々 岩井粂三郎」(1820)部分,「春駒」早稲田大学演劇博物館.

                                   

2013年11月13日水曜日

ドクウツギ (5/5) 毒性,マオリは Tutu の果汁を薬用・調味料・酒に,種子撒布はテン・キツネ・サル・鳥?,子孫繁栄の戦略,共生菌で窒素固定

Coriaria japonica
2005年5月 ひたち海浜公園
ドクウツギの類は種々の点で興味深い植物である.

3.有毒物質

ドクウツギはイチロベゴロシ等の別名があり,中毒死が報告されているように,猛毒の植物として名高い.その主たる有毒成分は,コリアミルチン(Coriamyrtin)で,始めはセイヨウドクウツギ (C. mirtefolium) から単離・構造決定されたが,ドクウツギ(C. japonica)にも含まれていることが確認された.ツチン(Tutin)はニュージーランド産の C. arborea など(マオリ名は Tutu )から単離・構造決定された,両者ともラクトンを有するセスキテルペン(炭素が15個からなるテルペン類)化合物である.
この毒性を,日本三大有毒植物の他の二つ,トリカブトのアコニチン(Aconitine),ドクゼリのシクトキシン,シクチン(Cicutoxin, Cicutine)と,いくつかの動物種の文献上の値で比較してみた.

Coriamytin 1)

Aconitine 3)
動物種
毒性指標
投与経路
作用発現量(mg/kg)

動物種
毒性指標
投与経路
作用発現量(mg/kg)

ウサギ
LD50
i.v.
0.371

イヌ
LDLo
i.v.
0.35
ウサギ
LD50
s.c.
0.93

ウサギ
LDLo
s.c.
0.131
マウス
LD50
i.p.
3

ヒト
LDLo
p.o.
28
マウス
LDLo
i.v.
1

マウス
LD50
i.p.
0.27
マウス
LD50
s.c.
3.234

マウス
LD50
i.v.
0.1
モルモット
LDLo
s.c.
2.439

マウス
LD50
p.o.
1
ラット
LDLo
i.v.
0.7

マウス
LD50
s.c.
0.27
ラット
LDLo
s.c.
1

モルモット
LD50
i.v.
0.06





モルモット
LDLo
s.c.
0.05
Tutin 2)

ラット
LD50
i.v.
0.08
動物種
毒性指標
投与経路
作用発現量(mg/kg)

ラット
LDLo
i.p.
0.25





ウサギ
 MLD
s.c.
1.5





ウサギ
 MLD
s.c.
2.5

Cicutoxin 4)
ウサギ
 MLD
s.c.
1.7

動物種
毒性指標
投与経路
作用発現量(mg/kg)
ウサギ
 MLD
i.v
1.25

ウサギ
 MLD
p.o.
 ~ 6

マウス
LD50
i.p
48.3
マウス
 MLD
s.c.
4





マウス
 LD50
i.p.
3

Cicutine 5)
モルモット
 LD75
p.o.
1.2

動物種
毒性指標
投与経路
作用発現量(mg/kg)
モルモット
 MLD
p.o.
 >1.5

モルモット
 LD75
s.c.
0.75

ウサギ
LDLo
i.v.
15
モルモット
 MLD
s.c.
2

ウサギ
LDLo
s.c.
80
モルモット
 LD50
i.p.
0.7

マウス
LD50
i.v.
19
ラット
 LD50
p.o.
 ~20

マウス
LD50
p.o.
100
ラット
 LD50
s.c.
 ~4

マウス
LD50
s.c.
80
ラット
 LD50
i.p.
 ~5

モルモット
LDLo
s.c.
50

各データの引用原文献は以下のサイトで得られる.
1)http://www.lookchem.com/Coriamyrtin/
2)http://maxa.maf.govt.nz/sff/about-projects/search/L07-041/technical-report.pdf
3)http://www.lookchem.com/newsell/search.aspx?key=Aconitine
4)http://www.lookchem.com/newsell/search.aspx?key=Cicutoxin
5)http://www.lookchem.com/newsell/search.aspx?key=Cicutine

勿論,植物体での部位毎の含有量や,化合物の吸収効率などは異なるので,植物体を摂取したときの毒性の単純な比較は出来ないが,単品の化合物としてこれらの値から見ると,一番強いのがトリカブトのアコニチンであり,ドクウツギの毒成分の毒性は,ドクゼリのそれらとほぼ同程度で,青酸カリ・青酸ソーダの数分の一の毒性を示す「猛毒」であると言ってよいであろう( KCN: LD50=5mg/kg(ラット・経口)(Merck Chemicals),NaCN: LD50=5.733mg/kg(換算)(ラット・経口)(CICAD 61 (2004)).

「毒物及び劇物取締法」における毒物、劇物の指定審査過程では、経口投与の半数致死量を基準とし、LD50=50mg/kg以下程度を毒物,LD50=300mg/kg以下程度を劇物としているので,当然毒物の範疇に入る.

ドクウツギ類の場合,毒成分は全部位に含まれているが,特に種での濃度が高いとされている.日本でも,またニュージーランドの初期の入植者の間でも,子供たちの死亡例が多く伝えられているのは,黒く熟した甘い果実を食したためとされている.しかし,ニュージーランドの先住民,マオリは野生の実から種を注意深く除いた果汁を,薬用,調味料に用い,また発酵させて酒にしていた(http://journal.nzma.org.nz/journal/126-1370/5554/).
Maori were certainly aware that the berries contained highly toxic seeds and that careful separation was needed to avoid poisoning. The strained juice though was valued and used for medicinal purposes, to flavour bland foods, and to brew a sweet wine.
Alfred Saunders, the first settler to step ashore in Nelson from the Fifeshire in 1842, described his initial encounter with the local Maori:
“But we soon gave the Maoris another and more real cause for uneasiness by our eagerness to taste their nice-looking tutu berries. They knocked them out of our hands as we lifted them to our lips. They took a handful of the seeds, and turned up their eyes with an expression of horror. They squeezed out some juice through a suspicious looking cloth, and offered us a drink, which was really delicious, at the same time holding the seeds in one hand and fencing us off with the other, which we understood to mean that we must not eat or touch the seeds. We thought that their actions were most likely based on some superstitious reason. We little knew, as we left them, how much real anxiety we had given them, or that we owed our lives to their extreme vigilance. ”

4. 種子撒布法
前川文夫博士 (1908 – 1984)は,ドクウツギ類の世界での隔離分布を説明する際,「この類は有毒であるから鳥が運ぶことは考えられない」として,分布が大きく広がらず,古赤道説の根拠の一つとした(前川文夫『植物の来た道』八坂書房 (1998)).では,どうやってドクウツギの類は種子を撒布し,子孫を増やすのだろうか.黒く熟すると甘い汁を含む宿存した花弁で包まれた種(以下,果実)をつけるので,風撒布や水撒布ではないと考えられる.
そこで,「何の草花?掲示板」(http://www2.ezbbs.net/18/jswc_3242/)にいくつかの仮説と共に質問したところ,パールさん,kiki-さんが興味深い情報をおよせ下さった.

パールさんから情報は,石川県の白山の野生動物の糞の内容物を調べたら,テンとキツネの糞中からドクウツギの種が数多く検出されたという,白山自然保護センターの上馬康生氏の報告(「はくさん」第34巻第2号,p2 (2006))で,この中には「テンは特にドクウツギの実を好んでいるようで」との文もあり,数種の野生動物がドクウツギの実を食餌の一つとしている事が判明した.
kiki-さんが教えてくださった,ショルティアさんのブログには,奥多摩のサルの糞から大量のドクウツギの種が見つかったという驚くべき事実が,写真と共に記されていた(http://blogs.yahoo.co.jp/ishortia/24853967.html).

日本三大毒草の一つとも言われ,地方名の一つに「サルゴロシ」と名前があり,また人に対する毒性も非常に高いとされているドクウツギの実を食する哺乳類がいると言う,これらの情報は驚きであった.これらの動物は,上手に種を噛み砕かないようにして飲み込み,身のみを消化しているのかも知れない.

岡村はた・橋本光政・室井綽『図解植物観察事典』地人書館(1982)のドクウツギの項には,「葉をご飯に混ぜてネズミに食べさせると死ぬが,鳥は死なない.」との記述があり,鳥がドクウツギの毒に対する耐性が高いので,鳥が果実を食して撒布するとも考えられる.一方,Tutin の毒性に関しては,”It will be seen that the highest dose recovered from was 10 mlgm. per kilo, and the lowest dose that killed was 10.25 mlgm. per kilo. It may be taken as proved, then, that birds are not really immune, as has been supposed, but they are able to withstand a very high dose of the poison by oral administration.(Frank Fitchett, M.D. Edin. Transactions and Proceedings of the Royal Society of New Zealand, Volume 41, p 286-366 (1908))と 毒成分に対する耐性は,鳥でも哺乳類でもあまり差はないが,鳥は経口での毒成分摂取には耐えられるとされている,つまり消化管からの吸収率は低いのかもしれない.

実際に,ニュージーランドでは, Tutu の果実が熟する時期には,鳥が種を含んだ紫色の糞をするのが観察されていて,これが播種の方法の一つであろうとされている(C. J. Burrows,New Zealand Journal of Botany, Vol. 33, p265-275 (1995)).Tutu の果実を食するのは,在来種のみではなく,英国から移入されたクロツグミ (Blackbird)も同様であるとの事で,鳥は歯が発達していないので,種は噛み砕けず,その毒成分は吸収されないと考えられる.

日本産のドクウツギを鳥が食しているとの報告は調べだせなかったが,ドクウツギ類の子孫繁栄の戦略は
1. 植物体全般が有毒であるため草食動物に葉や茎を食べられない.
2. 未熟な果実は有毒なので,赤い警告信号を出して,鳥や動物に食べられない.
3. 熟すると黒くなって毒成分は果肉(肥大した花弁)から消えて,鳥や動物に食べてもらう時期を示す.
4. 種は有毒で,種まで噛み砕くような動物には食べられず,種を intact で排泄する鳥や動物に食して貰い,糞-初期の栄養分-と一緒に排泄されて,発芽する.
であろうか.

マオリの人たちは,経験から得られた知恵で,熟した Tutu の実を布で絞ることによって,注意深く種を除き,得られた果汁を食用にしていたわけだ.

*実験は自己責任で.

5.共生菌
カワラウツギの地方名があるように,ドクウツギは河原や海岸近くの砂礫地など貧栄養土壌にもよく生育する.これは根に共生し,根瘤を作る菌が大気中のチッソを固定するためである.マメ類でよく知られている共生菌は,グラム陰性細菌の根粒菌(Rhizobia)である.
一方ドクウツギでは放線菌であるフランキア菌(Frankia)が共生し放線菌根(actinorhiza)という根粒をつくる.フランキア菌はそこで窒素固定を行い,大気中のチッソをアンモニアに還元して宿主に供給する.世界では、8 科25 属の樹木が放線菌根を形成するが,日本では,ドクウツギ属(ドクウツギ)の他にハンノキ属,ヤマモモ属およびグミ属の植物が放線菌根性植物である.

海外においては,インド亜大陸に生育する C. nepalensis の根粒からのフランキア菌の分離が報告されているが,ドクウツギと共生する菌の分離は試みられてきたが,未だ菌の分離は出来ていないそうだ.「ドクウツギの根粒は、全体が薄黄土色をしており表面は、薄茶色の鱗片に覆われている(Photo 13c‒f)。径は1.5~ 2 mm 程度、ハンノキの根粒のように個々の裂片が密集した形状をしている。根粒内部では、維管束は、根粒の中心を伸びず、偏在しており、感染細胞は、維管束を均一に取り囲んで分布はしていない。」(山中高史・岡部宏秋,「森林総合研究所研究報告」Vol.7 No.1 (No.406) 67 - 80 March 2008,根瘤の図などが見られる).九町健一,「生物工学」第91巻(2013)第1号,24-27の「共生窒素固定放線菌フランキア」という文も興味深い.

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