2013年9月26日木曜日

クリンソウ (1/4)  別名・地方名,大乗院寺社雑事記,山科家礼記・毛吹草・花譜・大和本草・花壇地錦抄・草花絵前集・和漢三才図会・救荒本草・物品識名

Primula japonica
2004年5月 仙台市野草園
日本産のサクラソウでは最も大きく,生育が良いと花茎は50㌢を超える.花は花茎を輪状に取り巻き,それが数層から7層も重なり合う.9層に達することはまずないが,和漢三才図会にあるように,寺院の搭上の請花と最上の水煙の間にある九輪にたとえて名づけられたとされる(左図).
2008年6月 奈良薬師寺五重塔

湿地に自生し,室町時代から庭園で栽培されていた.サクラソウより別名・地方名が多く,広い範囲の山間部の湿地に分布して,山の花として愛されていた.

植物名彙事典』によれば,サクラソウの別名が「櫻草(さくらぐさ)」だけなのに対して,クリンソウは「七階草(しちかいさう)・九階草(くさいさう)・九蓮草(くれんさう)七重草(ななへぐさ)・七重草(しちぢゅうさう)・百日草(ひゃくにちさう)・宝幢花(ほうとうくわ)・保童花(ほうとうくわ)・宝幢花(ほうだうげ)・宝●=(方+童)花(ほうだうげ)」と数多い.

また,『日本植物方言集成』によれば,「あかふじそ- 長野(佐久),おうめど 岩手(九戸),くるまさくらそ- 長野(北佐久),くるまさんしち 加州,くるまそ- 長野(北佐久),くるまっこ 岩手(二戸),さ-ばな 福島(相馬),しちかいそ- 岩手(上閉伊・水沢)宮城(登米)富山(砺波・東礪波・西礪波),しちかえそ- 富山(富山),しちけあんそ- 岩手(気仙),すずけえそ- 岩手(上閉伊),てぐるま 岩手(二戸),と-ばな 岩手(上閉伊),ひちりんそ- 岐阜(恵那),ほ-どけ 盛岡,ほ-どげ 青森(八戸),ほどけ 青森,ほんどき 秋田(平鹿),はんどぎ 秋田(平鹿),ほんどげ 青森,やちばな 長野(佐久),やまだいこん 秋田(平鹿)」と,
七重草宝幢花が訛ったと思われる地方名,車輪状についた花,塔のように盛り上がる花茎,大根に似た葉に由来すると思われる名前などが目に付く.「宝幢」は仏教の教えを具象化した,寺院の円錐形の飾り物の一種で,花序の形状をこれにたとえたものであろうか.

クリンソウは,室町時代中期に京都では栽培されていた.

興福寺大乗院で室町時代に門跡を務めた,尋尊・政覚・経尋が三代に渡って記した約190冊にもなる日記★『大乗院寺社雑事記(だいじょういんじしゃぞうじき)』の文明十年三月(1478)の項の末尾には,尋尊(一条兼良の五男)による筆記で,
「庭前ノ木草花
正月梅 椿 沈丁花  二月同 花櫻 信乃櫻 岩柳 庭櫻 櫻草 全躰(マヽ)
三月 梨(木へんに利) 海道 ス桃 桃 櫻 藤 ツツシ 山吹 木カンヒ 仙人合花 宝●(月+榻のつくり)花(宝塔花=クリンソウ) 定春 馬連 スワウ 石楠 スミレ ヒホネ 一ハツ カキツハタ カシワ」とあり,(辻善之助 編『大乗院寺社雑事記. 第6巻 尋尊大僧正記 72-87』三教書院(1933)NDL)これがクリンソウを庭で育てている最古の現存文献と考えられる.

また,都の羽林家の家格を有する公家,山科家の雑掌を代々務めた大沢家の日記★『山科家礼記』の記主は大沢重康・久守・重胤.1412 (応永19) から 1492(明応1) までが現存している.内蔵寮を管轄した山科家の財政.所領経営に関する記事が多く,当該期の供御人や山科七郷の動向を知る上での基本史料である.
その延徳三年(1491)二月二十一日の記事には「武家(将軍足利義材)へ桜草,ほうとうけ宝幢花,クリンソウ)のたね御所望候間,進之也」とあり,上流階級でも種から育てて,鑑賞されていたことが伺われる.
NDLヨリ

故磯野慶大教授の初見は,江戸時代の俳諧論書,★松江重頼『毛吹草』(1645)でその『巻第二,誹詣四季之詞,三月』に「七重花(ぢうけ)  九輪草とも」と出る(右図).『毛吹草追加上』 (1647)の「春 春草」の項には,作者不知の 「おらせしと七重花(ぢうげ)にや八重の垣」の歌が載る.

★貝原益軒『花譜 中巻 三月』(1694) の「櫻草」の項に「(中略)又七重草あり。同類なり。 陰地をこのむ。」とあり,また

★貝原益軒『大和本草 巻之七 園草』 (1709) の「櫻草」の項には,「(中略)又九輪草アリ 七重(チウ)草アリ 此類ナリ 陰地ヲ好ム」とサクラソウのつけたりのようにクリンソウの記述がある.

From NDL
★伊藤伊兵衛『花壇地錦抄 草花 春之部』(1695)には,「九輪草 (末)。白。紫 咲分源氏いろ/\有日光と云ハくれないなり○保童花(ほうどうけ)〇七重草(しちぢうさう)いふ」とあり,

★伊藤伊兵衛三之丞画・同政武編『草花絵前集』(1699) には,よく特長を捉えた簡単な絵と共に,「九輪草  花形さくらのごとく、段々にさく、三四月也。色は〇白、○紫、とび入等さまざまあり。一名はうどうげ、亦七重草(しちぢうさう)」とあり(左図),この頃には,紫だけではなく,紅色,白や斑入りの個体が栽培されていたことがわかる.

★寺島良安『和漢三才図会 巻第九十四の末』(1713頃)の「山萵苣(くりんそう)」の項には,「俗に九輪草という
『救荒本草』(菜部)に次のようにいう。山萵苣(さんわきょ)は山野に生える。苗葉は地を這って生える。葉は萵苣(ちしゃ)の葉に似ているが小さく、葉の脚に花叉があって大へん小さい。葉の頭はかすかに尖り、まわりに細かい鋸歯がある。葉の間から葶(うてな)がぬきん出て淡黄の花を開く。苗葉は〔味は微苦〕と。
△思うに、山高蓋とはここ(日本)でいう九輪草(サクラソウ科)であろうか。萵苣の葉に似ていて扁(ひらた)く、辺に細かい鋸歯がある。葉の脚は窄(すぼ)み、葉の心の茎は淡紫である。三、四月に葶が抽ん出て小花が開く。桜草の花に似ているがやや大きく、茎の囲(まわり)に生える。八椏それぞれ一様で車の輪に似ていて、梢にいたるまで七層、あるいは九層とこのようで、さながら寺院の九輪に似ている。それでこういう名がある。紅・白・紫の三種がある。茶褐色の子(み)を結ぶ。葉の心の茎の中に紫色の強い糸がある。およそ形状は九輪草と同じである。ただ山萵苣の花は黄色である。九輪草の花に黄色のものはない。ここが異なっている。(現代語訳 島田・竹島・樋口,平凡社-東洋文庫)」

『救荒本草』「山萵苣」 NDL
とクリンソウを『救荒本草』の山萵苣(さんくわきょ)(キク科アキノノゲシ)と誤比定している.『救荒本草』の「山萵苣」の記述とは葉の形状は良く似ているものの,山萵苣の花は葉の間から出て黄色く小さいとあるので,なぜこのような誤りが発生したか分らない.

左図 ★周憲王(周定王)朱橚選『救荒本草』(初版1406)の和刻本(茨城多左衞門等刊,享保元 1716)

★岡林清達・水谷豊文『物品識名 乾』(1809 跋) にも「クリンサウ シチヂウサウ」とあり,江戸時代には七重草(しちぢうさう)の名も良く使われていたことが分かる.


0 件のコメント: