2012年11月23日金曜日

キジバト (3/3)大和本草,和漢三才図会,本草綱目啓蒙,鳩と鴿

Streptopelia orientalis
庭の木に営巣していたキジバト,孵化したのだが,残念ながら雛は二羽とも猛禽類に食べられてしまったようだ(目撃証言はないが).
1.タマゴは二個.親鳥に比べると大きめかなと思う白い卵(親鳥の交代時に撮影)が見られた(前記事).
2.親の羽の下がもぞもぞと動き,親はのどから吐き出したピジョンミルクという,半消化物を与えている様子.(上図,親鳥の羽の下にひな鳥の羽が見える)
3.その二日後には巣は空っぽになっていて,親鳥もいなかった.家内はノスリのような猛禽類が近くの電線にとまっていたのを見たとのこと.
親鳥はいったん空の巣に帰ってきたが,二羽で悲しそうに鳴きながら東の空に去っていった.親鳥の交代時に食べられたのではないかと思う.成長を楽しみにしていたのに残念であった.

江戸時代にもハト類,特にキジバトの本草食物としての評価は高く,またその行動や泣き声の特長もよく観察されていた.特に巣の様子は目を引いたようで,粗末な巣にも,雨のとき水がたまらないから良いのだとも評されている.

★貝原益軒『大和本草』 (1709)
本邦四品アリ。斑鳩(ツチクレバト)・トシヨリコヒ・山バト・鴿(イヘバト)ナリ。ツチクレバトハ斑鳩ナリ。山バトハ青●(隹+鳥=スイ)(あおばと)ト云。トシヨリコヒハ腹毛淡白、背毛淡灰色、ツバサノ端黒シ。筑紫方言ヨサフジバト
本草ヲ考ルニ、斑鳩性甚ヨシ。虚ヲ禰フ。殊ニ久病ノ人老人ヲ養ナフ。青●(隹+鳥)モ性ヨシ。鴿ハ補益ノ功ヨリ悪瘡疥癬外治ノ能多シ。鳩四品トモニイヅレモ性ヨシ。斑鳩・トシヨリコヒ・山バト、些三品共二下血ヲ能トドム。塩ニ蔵シテ尤効アリ。味曽ニテ煮テ時々空腹ニ食ス。甚効アリ。是脾胃ヲ補フ故ナリ。

★寺島良安『和漢三才図会 林禽類』(1713頃),現代語訳 島田・竹島・樋口訳注,平凡社-東洋文庫
斑鳩(はと,パンキュウ)
『本草綱目』(禽部、林禽類、斑鳩)に次のようにいう。斑鳩は状が小さくて灰色のもの、および大きくて梨花点のように斑になったものは善くなかない〔いまでいう壌(つちくれ)鳩、雉鳩の類〕。ただ項(うなじ)の下が斑で連珠のようになったものは声は大きくてよく鳴く。これを媒(おとり)にして鳩をおびきよせるとよい〔いまでいう八幡鳩、数珠懸(じゅずかけ)である〕。
鳩の本性は愨孝(すなお)であるが巣をつくるのは下手である。わずかに数茎を架けただけの巣なので、往々にして卵が堕ちる。雨が降りそうになると雄は雌を追い出し、晴れると雌を呼び返す。それで、鷦鷯(みそさざい)は巣をつくるのが巧みだが、そのためかえって巣は危く、鳩は巣をつくるのが拙(へた)で、そのためかえって安全である、とか、あるいは雄は晴を呼び、雌は雨を呼ぶ、とかいう、と。
肉〔甘、平〕 目をはっきりさせたり、陰陽を助けたり、久しい病による虚損を治すことを主(つかさど)る。また気を補い、唆せてのどにつかえないようにさせる。
△ 思うに、斑鳩には数種あって、俗に壌(つちくれ)鳩、八幡鳩、南京鳩という。
壌鳩〔豆知久礼波止〕 鳩類の中の最も大きいもので、常に山林に棲んでいて人家には近づかない。頭・背は灰黒色に赤斑の彪(ふ)が相交っていて錦のようである。胸・腹は柿赤色、觜(くちばし)は蒼、脚は淡赤色、尾の本は灰色で末(さき)は黒、鳴き声は短い。味はよい。九州の産が最も佳(よ)く、食べて薬となるのはこれである。(以下略)

空になった粗末な巣
★小野蘭山『本草綱目啓蒙 禽之三 林禽類 一十七種』(1803-1806)
斑鳩 ジユヅカケバト ジユヅバト ハチマンバト トシヨリコイ
斑鳩ヲ、イカルガト訓ズルハ非ナリ。播州ニ斑鳩寺アリ。イカルガ寺ト読。又地名ニモ斑鳩アリ。然レドモ、イカルガハ斑鳩ノ訓ニ非ズ。桑鳲ノ古名ナリ。又ツチクレバトト訓ズル説アリ。亦非ナリ。斑鳩ハ市中へハ稀ニ来ル。山村ニハ此鳥多クシテ、鴿(イヘバト)ハナシ。ソノ形状鴿ニ同ジクシテ微小サク、羽色数十品アルコトモ鴿ニ異ナラズ。皆頸項二白斑文アリ。数珠ヲ挂(かけ)タル状ニ似タリ。鳴声トシヨリコイト云ガ如シ。京ニテ鳩(キジバト)ヲ、トシヨリコイト云。同名ナリ。然レドモ其声ニ小異アリ。鳩ハ声濁リテ、トシヨリコイコイト鳴。九州ニテ与総次コイコイト鳴ト聞テ、与総次バトト呼。奥州ニテハ、テテイポウポウカ、アポウポウト鳴ト聞ユ。皆後コイコイト重ネ鳴。斑鳩ハ声高クスミテ、トシヨリコイトノミ鳴テ、コイコイト重ネズ。凡鳩鴿形同ケレドモ、鳩類ハ皆巣ヲ木ニ構フ。鴿類ハ巣ヲ堂塔ノ簷(ひさし)或ハ土庫中ニ構フ。
と鳩と鴿とは形はよく似ているが,住む場所が異なるとしている.

現代中国でも鳩(もともと野生のハト)と家鳩(カワラバト・ドバト)との区別は漢字の上でされていて,キジバトは山斑鳩,ドバトは原鴿で表されている (from Wikipedia China).

山斑鸠(学名:Streptopelia orientalis)是鸠鸽科斑鸠属的一种中等体型的鸟,也叫山鸠、金背鳩、金背斑鸠、麒麟斑、麒麟鸠、雉鸠、棕背斑鸠、东方斑鸠、绿斑鸠、山鸽子、花翼、大花鸽、大花斑。
原鸽(學名:Columba livia),又名野鸽子、野鸽、脖鸽。为人类所驯化的原鸽被称为家鸽。

キジバト (1/3) 仲のよいご夫婦
キジバト(2/3) 古事記,日本書紀,和名類聚抄,本朝食鑑

2012年11月19日月曜日

キジバト(2/3) ドバトとの違い,古事記,日本書紀,延喜式,和名類聚抄,本朝食鑑,壌鳩,家鳩

Streptopelia orientalis
庭のサクラの木に,キジバトのご夫婦が巣を作って,こもり始めた.それまでは頻繁に鳴き交わしていたが,巣篭もりし始めてからは,朝の交代時に短く鳴く声を聞くだけになった.かわるがわる卵を温めているのだろう,二階から双眼鏡で見ていると,時々姿勢や向く方向を変えるだけで,じっとしている.雨の日には羽を広げ気味にして,卵に雨が直接当たらないようにしているようだ.交代のときに2個の卵が巣の中にあるのが見て取れた.

キジバトは日本に原生のハトで,今大きな顔をして都会の広場を占拠しているドバトは,奈良時代に大陸から入って帰化したカワラバト(Columba livia).長い間キジバトは食用とされていたため,人家の近くには現れず林間を住家にしていたが,近年,狩猟の対象にされなくなり,人家の近くでも営巣するようになった.カワラバトは川原の崖の穴を巣としていたので,鳩小屋でも飼育でき,野生化すると,マンションのベランダやお寺や神社の塔などの建造物に巣を作り,迷惑がられている.一方,キジバトは木の枝に巣を作るし,またあまり群れを作らないので,迷惑者とはなっていない.

★太朝臣安萬侶『古事記(下)』(712),「允恭天皇」の章で,同母妹の軽大娘皇女(かるの おおいらつめ)と情を通じ、それが原因となって允恭天皇の崩御後に廃太子され伊予国へ流される木梨軽皇子が,捕らえられたときに軽大娘皇女に与えた歌「阿麻陀牟 加流乃袁登賣 伊多那加婆 比登斯理奴倍志 波佐能夜麻能 波斗能 斯多那岐爾那久」「天飛(あまだ)む 軽(かる)の嬢子(おとめ) いた泣かば 人知りぬべし 波佐(はさ)の山の 鳩の 下泣(したな)きに泣く 」(天飛(あまだ)む軽(かる)の乙女(おとめ)よ。ひどく泣いたら、人が知ってしまう。波佐(はさ)の山の鳩のように、忍(しの)んで泣くがよい。)と歌われた悲しげに忍びなく声でなく波斗(ハト)は,キジバトであろうと考えられている.この歌は,舎人親王ら撰『日本書紀』(720)第十三「雄朝津間稚子宿禰天皇 允恭天皇」にも,「阿摩儾霧、箇留惋等賣、異哆儺介縻、臂等資利奴陪瀰、幡舍能夜摩能、波刀能、資哆儺企邇奈勾」と記載されている.なお,「したなき」とは下泣で、心のうちで泣くこと、ひそかに泣くこと、しのびなき」と『デジタル大辞泉』にはなっている.キジバトのくぐもった感じの声を現しているのであろう。

NDL
今はハトの漢字は「鳩」が一般的だが,古語では「鳩」はキジバトなどの野生のハトで,「鴿」がイエバト(飼育されているカワラバト)を表した.★源順『和名類聚抄』(931 - 938),那波道円 [校](1617)『和名類聚抄』(羽族之名第二百三十一)(左図).

「鳩」つまりキジバトは古くから食用とされており,『延喜式』 (927)によれば、宮中食を掌る内膳司に直属の御厨から鳩を献じている。御厨から献じたものは、「生物(なまもの)」として生肉等を使用したものと思われ,『延書式』の「内膳司」の巻の「諸国貢進御贄」の項に「旬料」として「大和国書野御厨所進鳩。従九月至明年四月」の記事を載せる。王朝時代の行事食にキジバトの肉が供されたのであろう。

江戸時代の食物本草として名高い★ 人見必大『本朝食鑑』(1697)の「禽部之三 林禽類」には(右下図),
「鳩 波止(はと)と訓(よ)む。
〔釈名〕 壌鳩(つちくればと)。古俗。雉鳩(きじばと)。今俗。○以上はいずれも俗称である。壌の字をあてるのは何故かわからない。雉鳩というのは、毛羽が雉に似た斑をしているので、こう名づけるのである。
〔集解〕 鳩とは、この類の総称である。先ず壌鳩をもって第一とする。その形状は、蒼灰色と紫赤色とが相交わって錦のようであり、啄(くちばし)・脚は淡い赤色で、鳩類のうちでは最も大きい。常に山林に棲んでいて、人家には近づかず、声は短い。味は美(よ)く、大抵(ふつう)、海西(さいごく)の産が勝れており、九州の産は、味も鳬鴈(がん)に劣らぬものが多い。(中略)

〔気味〕 甘平。無毒。
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〔主治〕気を益(ま)し、腎を補い、のどにつかえさせない。また能く目を明らかにする。
〔発明〕今俗、鳩酒・鳩の羹(あつもの)に製して、冬月飲食したり、あるいは寝るまえに毎(つね)に食べたりしている。そして次のようにも謂う。能く腹中を温め気を杜にする。久病・虚羸(キョルイ)の者は大変肥健になるし、老人が常に食べると長生きできる。これは鳩の性が温だからである、と。
必大(わたくし)の考えでは、鳩の性は温ではない。温ならどうして腎水補うことができようか。ただ、既に酒気を帯びている場合にはそういえる。鳩の性は平であって、陰陽を助けるものである。それで、久病・虚損に用いる場合は、気を益し、血を養う。老人に用いる場合は、気を助け、血を滋し、噎(むせ)ばない。鳩の性は噎ばないからである。『周礼』にある、「仲春に国老を養い、仲秋に鳩の杖を授ける」とは、このように鳩が老人によいことをいうのである。」と,キジバトの肉は雁と同じくらいおいしくて,よく食べられていること,薬用・補用として,特に老人に効果があるとしている.
更に,同書の「穀部之二,酒」には,「鳩酒」という項もあり「鳩酒。腰痛および老人の下冷えを治す。その法は、肥えた鳩の腸(はら)毛および頭尾・翅脚を取り去って、肉を割き骨を砕いて研爛(すりつぶ)し、酒で煮る。やり方は(生)姜酒と同じである。」とハトの挽肉を酒で煮たものが健康酒として効果があるとしている.

NDL
一方,イエバトに関して同書には「鴿 以倍八止(いへばと)と訓む。
(集解〕 鴿は家鳩(いへばと)である。今、各家でこれを畜(か)っている。能く馴れて人を恐れず、鶏や犬といっしょに餌を覓(もと)める。唯、猫・鼬・鳶・烏だけが害をなす。屋上に棲(すみか)を構え、局所に窓を開けて出入する。匹偶(ひとつがい)は常に一局を守って、他の匹偶を拒んで入れない。性質は淫で、交合しやすく、よく卵を生むが、やはり荐(しきり)に卵を抱伏(だ)いて能く育てている。それで、種類も蕃(はなはだ)多(おびただ)しい。もし近隣の養鴿を招集したいと思えば、新しい棲を営造し、香を焼き、米・菽(まめ)をまけばたちまち来居すると伝えられているが、予(わたし)はまだこれを試していない。(中略)また野鴿もおり、俗に堂鳩という。これは、源順(『和名抄(和名類聚抄,左上図)』)が、「頸が短く、灰色をしている」といっているものであろうか。
我が国では、鴿を食べることは少ないので、まだその気味はわからない。ある人の話によれば、山人に儘、鴿を食う者がいて、その気味は甚だ臊気(なまぐさみ)があるというが、これも未詳である。」(読み下し,現代語訳,島田勇雄訳注 『本朝食鑑』平凡社-東洋文庫)とあり,イエバトは食用としては旨くはなく,人気がないとしている.(続く)

2012年11月4日日曜日

ツルボ (3/3),日葡辞典,ケンペル,ツンベルク,シーボルト,牧野


Scilla scilloides
ツルボにはスミラやスミレ,スミナなどの地方名もあり,江戸時代初期の「日葡辞典」(日本イエズス会,1603)のスミレの項に、「スミレ(菫)この名で呼ばれる,ある草.その根はニンニクに似ていて,食用にされる.」とある.また,別項として,「スミレ(菫)ある花の名」とあり,前のスミレはツルボ,後のスミレは現在のスミレと思われる.

日本の植物を西欧に紹介した江戸時代の出島蘭館の医師たち,ケンペルの『廻国奇観』(1712)には,”Kui Symira, id est, Symira edulis”,クイシミラ即ち食用にされるシミラが記載され,,その前の項の “石蒜, Seki san, vulgo Sibito banna, aliis Doku Symira, i. e. venenosa Symira” という,ヒガンバナがドクシミラ即ち有毒なシミラと呼ばれているとされていることと合わせると,このクイシミラがツルボと考えられる.(左図,上)
さらに,カール・ツンベルク『日本植物誌』(Flora Japonica)(1784)には,Ornithogalum japonicum の学名で,”Mensoni, it. Kui Simira, i. e. Simira edulis.” と呼ばれ,彼が長崎,江戸で観察し,9月に花が咲く植物が記載されていて,これは明らかにツルボである(左図,下).

ツルボがスミレという名で呼ばれていた事は,前に述べた貝原益軒の『大和本草』(1709) のツルボの項に「是ヲスミレと云ハ誤レリ」と書いてある事からも分かり,江戸時代まではこの系統の地方名が多く存在したことは語源ともに興味深い.
詳しくは栗田子郎先生のHP (ヒガンバナ民俗・文化誌~5:渡来説再考ー3) のツルボの項に東アジアの名称からも考察された記事がある.

また,シーボルトは,出島の植物園で多くの植物を育て,1830 年に帰国する時には 500 種 800 株の植物を積み込んだ.長い航海の末にオランダに届いたときには大半が枯れていて,ヨーロッパに移植が成功したもので 1844 年に生き残っていたのは 204 品種であった.シーボルト自身が導入したものはその内 129 種とされていて,彼が販売のために出版した名称一覧表に「フォン・シーボルト輸入、ヘント植物園、一八三〇年」と付記している植物群の中に,イカリソウ,シキミ,サネカズラ,サルトリイバラなどと共に,ツルボが見られる(石川禎一『シーボルト 日本の植物に賭けた生涯』2000).食用としてか,薬用としてか,あるいは観賞用としてか,シーボルトは欧州への導入する価値があると評価したのであろう.

牧野富太郎は『続牧野植物随筆』(1948) の「明きめくら菫をスミレと勘違い」の項で,「(前略)スミレの語に類似した名にスミラと謂ふものがある,其れは九州の肥前,肥後,筑後などで土地の人に由てさう呼ばれてゐるのだが,其實物はユリ科のスルボ即ちツルボである,そして其スルボの語は或はスミラの転訛ではなからう乎とも想像せられまいものでもない,」と述べている.また,「叉更にスルボの一名をサンダイガサと謂はれるが,是れは参内傘の意で其花穂の姿から来た呼称である,此参内傘は能く昔の公卿の行列に見るもので宮中即ち内裏へ参内する時用ゆる傘であるから其れで参内傘と謂はれる,そして其傘を畳んでつぼめた状を,抽きたってゐるスルボの花穂に擬したものである.是は土地の方言ではなく多分昔の物識り人が考案して負せた名であろらう.」とサンダイガサの語源も推察している(右図).

一方,『万葉集』巻8の山部赤人の歌「春の野にすみれ採るみにと来しわれぞ野をなつかしみ一夜寝にける」の“須美礼”は,このツルボだったのではないかと考える方もいるが,ツルボ(1)(2)に述べたように,ツルボの球根は手間をかけて毒成分を抜かなければ食用とならない上,決して旨いものではない.この須美礼はスミレ科のスミレとしたほうが,合理的でなおかつ絵になる.