2012年9月29日土曜日

ルコウソウ(1/2) 花壇地錦抄・草花絵前集・花譜・大和本草・地錦抄付録・和漢三才図会・花彙

Ipomoea quamoclit

熱帯アメリカ原産のつる性植物.熱帯では多年草だが,温帯では冬の寒さで根まで枯れるので,一年草扱いとなる.庭では毎年こぼれ種で咲いていたが,だんだん個体数を減少させ,いまではほとんど見られなくなってしまった.細い蔓は見かけより強く,なかなか手ではちぎれない.切り口からは水滴が滴り,一種独特の匂いがする.枯れた後の蔓も強靭で,ネットからの除去も,アサガオより手間がかかる.

『草花絵前集』 NDL
伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』(1695)には「△草花秋之部 るこう(中末) 葉もあいらしく花小りん朱のことく蔓ニからミてあさがおのことしいろいろのつくり物ヲして此草からましむ 」と,また,「草木植作様伊呂波分(いろはわけ)」の「る」の項に「●るこう 二月中の時分たねをまく随分はへにくき物也節〃水をそゝくべししめりを得て生ル也種を植て四五日の内生ルも有一月二月にして生るもあり来春生る事もあり蔓草なりいろいろの作り物してからましるニ其のごとくニまとふ物なり合肥よし」とあり,作り物に絡ませて形作るなど,江戸で広く愛玩・栽培されていた.

伊藤伊兵衛三之丞画・同政武編『草花絵前集』 (1699) には「○留行 花あさがほ形(なり)。図ほどの小りん、色朱(あけ)のごとし。ほそきかづらにて、葉の艶美事(つやうつくしきこと)、又花にすぐれたり。」とあり,葉と花の繊細さが高く評価されている(左図).

和漢三才図会
貝原益軒『花譜』(1694)には「柬蒲塞牽牛花(かんぽちやあさがほ) 子(み)をまきて生ず.日あてをこのむ.蔓はなはださかへ生ず.盆栽箱にうへて,ませを作り,かごのごとくにして蔓をはわしむ.花ひらきてはなはだ愛すべし.うへたる盆を床のほとりにをくべし.七月中の後花咲く.この草の種近世異国よりきたる.もろこしの書にていまだみず.」とあり,同人の『大和本草』(1709)「巻之七 草之三 花草類」には「蛮種 柬蒲塞牽牛花(カホチヤアサカホ) 蔓草也 寛永年中 (注 1624~1644) 長崎ニ来ル 間柬蒲塞又甘孛智ト云 真臘国(注 しんろうこく,初期のクメール人の王国,現在のカンボジア王国周辺)ナリ 葉ハ結明又豌豆ニ似テ甚細也 七八月細紅花ヲ開 形丁香ニ似愛ス可 好事ノ者盆ニウヘ籬ニ延(ハヽ)シム 根ハ當年枯ル 實ヲマクヘシ」とあり,寛永年間に東南アジアから長崎に来たこと,丁子の花のように花筒の長い花を「愛すべし」とし,また蔓を籬に絡ませて,鉢で楽しんでいる人々がいたとされている.

一方,四世伊藤伊兵衛著『地錦抄付録』(1733年)巻の三には「天和(注 1681~1683年)貞享(注 1684~1687年)年中来ル品々」として,“るこう”が“千日紅,柊南天,朝鮮朝がほ”と共に挙げられている.貝原益軒の『大和本草』の記述より遅いものの,17世紀には日本に入り,育てやすさと愛らしさからその普及は速かったものと思われる.

花彙 (NDL)
寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)には良く特徴を捉えた絵(右上図)と共に,「△思うに、留紅草は茎が細くて靭(しな)え、葉は細密で杉藻のようである。表・裏とも浅青色で、茎の端から蔓を出す。八月、枝の叉に短い茎が抽(ぬき)ん出て花を開く。形は丁子のようで紅色。長さは六、七分で愛らしい。花が終ると角(さや)を結ぶが、中に細かい子(み)がある。(現代語訳 島田・竹島・樋口訳注,平凡社-東洋文庫)」とここでも評価が高い.

小野蘭山『花彙』(1765)には「藤菊(トウキク) ルカウ 花史左編 葉繊線(ホソキイトスチ)ノ如クニテ青緑色 形チ架(タナ)ニ上ル●(虫+吴)蚣(ムカヘ)ノ如シ 婆々綿々トノ蔓延ス 五六月花ヲ開ク 五弁深紫色 又紅黄艸ト呼(ヨフ)モノアリ 又其千葉ナルモノヲ千壽菊(センシュキク)ト名ク 即此ノ種類ナリ」とある.図は明らかにルコウソウだが,花の色を深紫色とし,また,紅黄艸(フレンチマリーゴールド)も其の一種とするなど,うなづけない点もあるものの,葉をムカデのようだとは言いえて妙.

2012年9月24日月曜日

クズ 葛花 延喜式,大和本草,和漢三歳図会,救荒本草

Pueraria lobata
2010年9月茨城県南部
秋が近づくと,何処からともなく甘いさわやかなグレープジュースの香りがしてくる.上を見上げると,クズの赤紫の花が木の枝から垂れ下がっている.昔は,蛋白の多い葉は家畜の飼料に,強いつるは籐細工や繊維を採って布に,根からは良質の澱粉を採ってくず粉や葛根に,花は薬用にと,クズは全草あまなく利用できる有用植物であったが,現在では野放図に不耕作地や樹木を覆う嫌われ者となってしまった.

クズの名は『古事記』(712)にも現れるそうだが,花の記述は『万葉集』(785前)の山上憶良の有名な秋の七草の歌「山上臣憶良、秋野の花を詠む歌二首のうち,「秋の野に 咲きたる花を 指(おゆび)折り かき数ふれば 七種の花」「萩の花 尾花葛花 なでしこが花 をみなへし また藤袴 朝顔が花」」が嚆矢.『万葉集』ではクズの歌がこれ以外に20首程を数えるが,全て精力的にツルが延びるようすや秋の葉の色付きを題材にしたもので,当時花はあまり歌題として魅力的なものではなかったらしい.

しかし,「葛花」は平安時代には薬用として重要視されていて,『延喜式』(927年(延長5年)に一応完成し,その後も改訂が加えられ,40年後の967年(康保4年)より施行)の『巻三十七,典薬寮,諸国進年料雑薬』の項には,毎年,安房国より一斤,上総国より二斤,若狭国より三両,紀伊国より一斤,計4カ国より四斤三両の葛花が献上されるように記されている.一方,「葛根」の方は山城国には三十二斤,近江国には二十二斤八両,紀伊国には十一斤,伊勢国には十斤,計4カ国より七十五斤八両の献上が義務づけられていた.興味深いのは「葛花」と「葛根」両者を献上すべきなのは紀伊国一国で,他の六カ国はいずれか一方であることだ.

平安貴族たちはこの「葛花」にどのような薬効を期待していたのであろうか.

和漢三才図会
当時の文献は見出せなかったものの,江戸時代の本草書には「葛根」についての詳しい記述と共に「葛花」について以下のように記されている.
貝原益軒『大和本草』(1709)には
「--- 葛花ハ酒ヲケス薬ニ入用ユ ----」とあり,
寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)(左図)には
「本綱(注『本草綱目』(初版1596)) ----(中略)--- 葛花(甘く平),酒を消す。小豆の花と同じく乾末して酒にて服すれば、酒を飲みて酔はず。」と葛花には酒毒の解毒作用があるとしている.

一方,小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1803-1806)では「--- 七月相葉ノ間二花穂ヲ出ス。長サ三五寸下垂ス。花ハ豆ノ花二似テ紫赤色。上代ハ名花ナク、コノ花ヲモ賞セシニヤ、万葉集秋七種ノ歌ニアリ。---」と単なる花の記述に留まっている.

救荒本草 NDL
また,周憲王(周定王)朱橚選『救荒本草』(初版1406),京都,茨城多左衞門等1716年刊の「葛根」の項には
「及ヒヲ採リ晒シ乾カシ煠(ゆが)キ食フモ可」と飢饉の際には根と共に食用になると記してある.(右図)

現代中国・台湾では,「葛花」は葛藤花.葛條花.刈花.山肉豆花とも呼び,「花盛開時採集」して「除去雜質」し,「鮮用或曬乾備」して用いる.功能は「解酒毒.化濕熱.清胃熱.止渴.止瀉」等で,用法は「酒醉.煩渴.頭痛.嘔吐.慢性酒精中毒.腸炎.便血」としている.

平安貴族たちも,行事にかこつけよくお酒を飲んでいたようなので,上総国などから取り寄せた「葛花」を二日酔い防止に用いていたのかも知れない.

2012年9月17日月曜日

サワギキョウ (2/2) 毒性・「悪魔の手毬唄」お庄屋ごろしは出来ない?

Lobelia sessilifolia
2008年7月 岩手県小岩井農場
サワギキョウは毒草として横溝正史(よこみぞ せいし 1902- 1981)の『悪魔の手毬唄』(宝石,1957年8月号~1959年1月号)に登場している.山村に伝わる童謡が通奏低音となっているこの連続殺人事件で,庄屋さんと呼ばれていた最初の犠牲者は,サワギキョウを盛られて苦しんでいるところを絞殺された.

角川文庫「悪魔の手毬歌」表紙,部分 H8
被害者宅に到着した金田一耕助は台所の「水瓶の蓋のうえにちらかっている五、六本の草花である。それはききょうの花のようである。」を発見し,地元の人から「あっ、いけません。お客さん、それは毒です。毒草ですけんおさわりんさってはいけません」と声をかけられ,あわてて土間に捨て名を聞いて,「このへんではお庄屋ごろし」と呼ばれていることを知った.一方,現場に残っていた汚物(吐瀉物)を県警の鑑識課が分析したところ,汚物のなかからロベリン (C22N27NO3) なる猛毒アルカロイドが発見され,このロベリンなるアルカロイドは沢ぎきょうというキキョウ科の植物の全草中に含有されていて,この沢ぎきょうは「お庄屋ごろし」とよばれ,現場付近の沼の周辺のあちこちに群生しているとされている.

この小説は横溝の代表作として名高いが,薬剤師免許を持っていたとはいえ,横溝正史はこのロベリンの毒性を過大評価していたのではないだろうか.

Structure of Lobeline
彼は『悪魔の手毬唄』のなかで,「放庵氏(被害者)は毒殺されたのではなかった。絞殺されたのである。しかし、その後の解剖の結果判明したところによると、放庵氏はロべリンなる猛アルカロイドを多量に服用しており、絞殺のことがなくとも毒死していただろうということである。」としている.また,「放庵さんの草庵に残っていたいなりずしは十個であった.したがって二個のいなりずしは放庵さんや怪老婆の胃の腑へおさまった勘定である。しかも草庵に摂っていた嘔吐物のなかから検出されたロベリンなる毒物は、このへんいったいに群生している、沢ぎきょう、俗名お庄屋ごろしという草花の全草中に含有されているという。」としている.つまり,いなりずし2個中の含まれるサワギキョウ中のアルカロイド(ロベリン)が「毒死」をもたらすとしたわけである.

ロベリンはロベリア属の植物に含まれるアルカロイドで,特に米国原産のこの属の植物は薬草として名高い.ロベリンの安全性は動物実験で左図のように示されている.経口投与の報告がないのは,この投与経路では 2,000 mg/kg 以上では死亡例がないのか,或いは嘔吐その他の生体反応で,投与不可能になったためと推察される.
比較のために植物毒として名高いアコニチン(トリカブト毒)のデータを示すが,ロベリンの毒性はアコニチンの数十から数百分の一と考えられる.

したがって,動物種差はあるとはいえ,ロベリンで人を殺害するには,すくなくとも 1g 以上を経口で摂取させなければ「毒殺」はできないと考えられよう.

サワギキョウ中のロベリン濃度(含有量)は残念ながら検索しても見出せなかったが,米国産のロベリア属の植物中のロベリン濃度は右図に示すとおりで,乾燥全草中で約 10 mg/kg であり,乾燥によって重量が五分の一になった(通常はもっと減る)としても,生では 2 mg/kg 以下と計算される.サワギキョウ中のロベリンがこの程度であるとしたら,1g 以上のロベリンを経口で摂取させるためには,生のサワギキョウをかなりの量,二個のいなりずしに入れる必要があり,到底不可能と考えられる.

ロベリンは水溶性なので,サワギキョウ抽出物を味噌汁や飲み物等に混じて摂取させることは可能であろうが,『悪魔の手毬唄』の記述からはそのような方法をとったとは伺えない.

ロベリン(サワギキョウ)を摂取して死亡にいたるとしたら,嘔吐に伴う窒息,あるいは全身の衰弱が原因であって,そのニコチン様薬理作用の直接的な「毒死」とは考えにくい.

「悪魔の手毬歌」のサワギキョウは,陰惨な連続殺人と可憐なその花との対比のロマンを楽しむための小道具と位置づけるのがよろしいだろう.

サワギキョウ (1/2) 江戸時代本草書 池坊専応口伝,花壇地錦抄,大和本草,和漢三才図会,絵本野山草,ツンベルク『日本植物誌』,学名初出文献図

2012年9月13日木曜日

サワギキョウ (1/2) 江戸時代本草書 池坊専応口伝,花壇地錦抄,大和本草,和漢三才図会,絵本野山草,ツンベルク『日本植物誌』,学名初出文献図,北勢三重全郡採藥之記

Lobelia sessilifolia
2008年7月 岩手県小岩井農場
山地の湿った草地や湿原などに自生する高さ50㌢~100㌢の多年草.披針形の葉は互生で無柄(種小名の由来).群生し,美しい瑠璃色の花は人目を引くが,他のキキョウ類とは花形が全く異なり,上下2唇に分かれ,上唇は2裂し,下唇は3裂する.
他のキキョウ科の植物と同様,茎を切ると白い乳液をだす.有毒植物としてもよく知られているが,調べても人での中毒の実例は見つけられなかった.全草に「ロベリン」という有毒アルカロイドを含むことは,前出の Cardinal FlowerGreat Blue Lobelia と同様.

 磯野慶大教授の初見は 1542年の『池坊専応口伝』で,カンギクやフジナデシコと共に出ているので,この時点ではキキョウの仲間と認識されていた.どのような根拠からか,興味がある.

 伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』 (1695)「巻四,五 草花 夏之部,桔梗(きけう)類」に、「澤きけう(秋初中末)きけうといへとも花形各別也。るり色成ちいさき花葉の間ニひしとさく」とキキョウとはいえ,花の形が異なるとあり,栽培されていたことがうかがわれる. 

貝原益軒『大和本草』諸品図上

 貝原益軒『大和本草』 (1709) の「巻乃七花草類」には
「澤桔梗 茎大ニテ葉シゲク巻丹ノ葉ノ茎ニ付ルガ如シ.花ハ桔梗ニ似テ淡碧色桔梗ヨリ小也水辺ニ生ス.秋花ヲ開ク根亦桔梗ノ如ク,又浮薔(ナギ)ノ花ヲモ澤桔梗ト云同名異物ナリ」とあり
更に, 「巻乃八水草類」にも「澤桔梗 葉ハ桔梗ニ似テ花碧色ナリ根白シ澤中ニ生ス浮薔(ナギ)花ヲモ澤桔梗ト俗ニ名ツク此トベツナリ」とある.
ナギとの混同にしきりに言及しているのは,ナギ(コナギ或いはミズアオイ)は食用になり,サワギキョウは有毒で,誤食で中毒が発生したからであろうか.さらに『大和本草諸品図上 (巻十九)』には,図も掲載されている(左図).

寺島良安『和漢三才図会』(1713頃) 「湿草類」に「沢桔梗(さはききやう) 俗称〔本名は未詳〕
△按ずるに、沢桔梗は高さ二尺に近く、秦は山丹草(ひめゆり)の葉に似て短かく、
三、四月、葉の間に花を開く、形は桔梗に似て小さく紫色、頗る水葵の花に似て浅水の中にも亦た生ず、多くは湿地に生ず。(水葵は水草の部に出づ)
△思うに、沢桔梗は高さ二尺ぐらい。葉は山丹草(ひめゆり)の葉に似ているが短く、三、四月に葉の間に花を開く。形は桔梗に似ているが小さく紫色、非常に水葵(みずあおい)の花に似ていて、浅水の中にも生える。多くは湿地に生える。」とここでは花の形はキキョウに似ているとある(右図).

 橘保国『絵本野山草』(1755)に「沢桔梗 花、ききやうに似て、きれふかく葩(はなびら)長し。色も桔梗に同。葉も同し。高二三尺斗のび、水より生す。六七八月に花さく。」とある(左図, NDL).

 カール・ツンベルク『日本植物誌』(Flora Iaponica)(1784)には,Lobelia erinusL. erinoides の二種の Loberia 属の植物が記載されている.前者は現在よく花壇のボーダーに用いられているルリミゾカクシの学名であるが,当時はまだ移入されていなかったので,ミゾカクシの誤認かと思われる.
一方後者は,実際に彼が採取したサクヨウによって実際はヒナギキョウであることが確認されている(田中長三郎, 九州帝國大學農學部學藝雜誌 (1925) 1(4), p191-209 『二三の THUNBERG 植物に就て』).従って,ツンベルクはサワギキョウを見なかったと思われる.

 現在でも有効な学名 L. sessilifolia  をつけたのは,英国の植物学者 Aylmer Bourke Lambert  (1761-1842).彼はドイツの動物学者・植物学者でロシアで働いたペーター・ジーモン・パラス (Peter Simon Pallas, 1741 – 1811) が,ロシアで購入して持ち帰った多量の植物標本を研究し,カムチャッカ原産のサワギキョウに Lobelia sessilifolia (葉が茎に直接ついた)の学名をつけ,Trans. Linn. Soc. London 10(2): p260  (1811) に図と共に発表した(右図).

 一方,伊勢の医師・本草学者の鎌井松石 (1812-1890) の『北勢三重全郡採藥之記』自筆原稿 明治二十年 (1887) には,
「○山梗菜 サハ桔梗 水澤村字足見川池澤水辺ニ多
生ス旧根ヨリ苗ヲ生シ高サ四五尺ニ至ル斷レバ白汁ヲ出ス
西書ニ曰護草
亜墨利加ニ多ク生シ
土人楳毒ノ治ニ殊効アルコトヲ貴称スル事吾國水銀ニ
於ルカ如シ因テ欧羅巴ニ試用スルニ兎角驗アルコト鮮シ」
とあり米国産のサワギキョウが現地では梅毒に効くと事で,欧州で臨床されたが,効果がなかったとの情報が記されている.(Great blue lobelia  愛の妙薬?Lobelia siphilitica)(左図 NDL)

サワギキョウ (2/2)  毒性・「悪魔の手毬唄」 お庄屋ごろしは出来ない?

2012年9月7日金曜日

Great blue lobelia  梅毒治療薬? 愛の妙薬? 高野 長英『外科薬剤秘録』

Lobelia siphilitica
2002年8月 Seymour IN, USA
米国インディアナ州のセイモア(Seymour)のホテルから程近い農道の側の溝の中に咲いていた.Lobelia cardinalis(ベニバナサワギキョウ)に比べると花の密度は高く,花筒の長さは短い.そのため,ずんぐりむっくりの印象を受ける.また,花筒の長い L. cardinalis の花粉媒介者が主にハチドリにあるのに対して,花筒の短いこの花の花粉媒介者はハチの仲間だそうで,媒介者が異なることで交雑が避けられているのであろう.

リンネのつけた種小名 siphilitica は “syphilis (梅毒)”に由来する.なぜ,リンネがこのような不快な名前をつけたかというと,1747年にアメリカを訪れた彼の弟子の Pehr Kalm (1716 - 1779) がアメリカ先住民の間でこの植物の煎じ薬が性病の治療に用いられていると報告したからである.この発見は欧州の医師たちに大きな興奮を引き起こした.

当時の英国の北アメリカインディアン問題担当の最高責任者 (British Superintendent of Indian Affairs) であった Sir William Johnson (c. 1715 – 1774) は先住民から薬物の調整法の秘密を買い取り使用した.しかし,欧州で実地に試験したところ,そのような薬効は確認できなかった.(Alice M. Coats "Flowers and Their Histories", Adam & Charles Black, London (1956)).

Clarke, E.G. “A Conspectus of the London, Edinburgh, & Dublin Pharmacopoeias.” (1814) E.Cox and Son
p.97
Lobelia Sythilitica, radix, E. Blue Cardinal Flower. Diuretic, cathartic. It generally disagrees with the stomach, and possesses no power of curing syphilis, from which supposed virtue it took
its name. It is employed in the form of decoction,

made by boiling ?ss. of the dried root in Oxij. of 
water, to Oviij. Dose Oss. Bis, quaterve in die.

北アメリカには L. cardinalis, L. siphilitica の他にも,大型で花の目立たない L. inflate (Indian Tobacco) ,Pehr Kalm にちなんだ L. kalmii,青紫の花の L. spicata など数種のロベリア属の植物が自生しているが,その全てが先住民の間で薬草として用いられている.

ミシガン大学の “Native American Ethnobotany(アメリカ先住民民俗植物学)”の HP で,”Lobelia” をキーワードとして検索すると,83件がヒットする.チェロキー,デラウェア,イロコイ,ズニ,メスクワキなどの部族が,催吐薬を筆頭に,鎮痛剤,駆虫薬,抗リウマチ剤,風邪薬,皮膚病薬,解熱剤,消化器用薬,止血剤,肺疾患薬,性病薬など数多くの疾病に対する薬として用いていた.
興味深い薬効としては,” Love Medicine” として,媚薬・強壮薬,はては,抽出液を飲ませると愛が復活して離婚を思いとどまらせる効果があるとされている.更に,喫煙や飲酒の悪癖を是正し,また,”Witchcraft Medicine” としてかけられた呪いを解く効果などがあるとされていた.

これらの薬効をもつ植物としてロベリア属の植物は,開拓者たちの間でも薬草として高い評価を得ていた.19世紀の米国では Samuel Thomson (1769 –1843) が提唱した "Thomsonian Medicine" の中では,催吐剤として L. inflate (Indian Tobacco) が大きな地位を占めていて,需要が多く,一部の地域ではこの植物が取り尽くされたとのこと.

2017年2月6日追記
高野 長英(1804 - 1850)著の『外科薬剤秘録』(制作時期:不詳)は,外科系の疾患にかかわる強壮剤,止血剤,鎮痛剤,緩和剤など20種類の薬種に,数種の該当する薬剤を挙げてまとめた書.現在でも使われているものもが含まれている.
この書の「各性藥劑」の章「○暗然トシテ病ヲ治スル勢力アルモノ之ヲ各性ノ薬品卜云フ各病各々ノ性アリ是亦人間得テ知ル事能ハサル所ノ者ナリ然シテ藥品多クハ各々ノ性アツテ實驗ヲ経ルト雖トモ其効力ヲ知ル事能ハス予穀三共異性ノ効力及其藥劑ノ効アル病症ノミ掲示ス可シ其審説ノ如キハ第二編ニ説ク」には,梅毒に対する治療薬として「○アンチヘネリヤ 黴毒ヲ治ス諸薬中水銀尤モ其魁タルキノニシテ誤チナキ物ナリ 然トモ次ニ載スル薬品モ亦良効ヲ奏ス
○ポックホート ○金剛刺 ○セレマーチス ○ロベリヤー ○テーメリヤー」
と水銀剤以外に「○ロベリヤー」が挙げられている.本書は欧書の翻訳であるが,原本は特定されていない.

2012年9月4日火曜日

カーディナル・フラワー,Cardinal flower 野生の花,名前の由来,J. Parkinson 『太陽の園、地上の園』

Lobelia cardinalis, ベニバナサワギキョウ
Seymour IN, USA 2002年8月
米国インディアナ州のセイモア(Seymour)は人口2万人ほどの小さな町で,世界最初の列車強盗が発生し,現在ではアイシン精機株式会社の Aisin USA がある.この地のメーカーと協力関係にあり,何度か訪れ,親しい友人もできた.

なかなか,花のいい季節の訪ねることはできなかったが,ある年の八月の午前中,時間があったので,ホテルから程近い農地を結ぶ原野を歩いて,いくつか見たいと思っていた野生の花を見ることができた.そのひとつがこのカーディナル・フラワー(枢機卿の花).
人目を引く真紅の花は,道の側の溝の緑の中でぽつぽつと咲いていた.野生のせいか,花弁は細く,花と花との間も広く,色の強烈さの割にはすっきりとした印象を持った.

一般的には 1637年に,アメリカのヴァージニアに三度のプラントハンティングに出かけたトラデスカントの息子(John Tradescant, younger, 1608-62)によって英国に導入されたとされているが,実際にはその10年ほど前にパーキンソン(John Parkinson, 英国1567-1650)が, “Brave plant” として記載している.
彼の『太陽の園、地上の園』 “Paradisi in Sole (1629)” の Chapter 84, Campanula. Bell-flower (キキョウ類)の項に,8. Trachelium* Americam flore ruberrimo, sive Planta Cardinalis. The rich crimson Cardinals Flower を,アメリカのカナダに近い川のフランスの植民地に生育していること,茎や葉の形状,葉序などを細かく記述すると共に, “most rich crimson coloured flower, ending in five long narrow leaves, standing all of them foreright, but three of them falling downe, with a umbone set as it were at backe of them, - - - , but of no sent or smell at all, commendable only for the great bush of so orient red crimson flowers: と,5弁の輝くような緋色の花について述べている(左図).さらに,名前については,彼がこの植物を譲り受けたフランスでのラテン名を英訳したものだとしている.
(*おもに地中海沿岸に分布するキキョウ科ユウギリソウ属)

この名前の由来について,ラウドン夫人(Mrs. J. C. Loudon)は興味深いエピソードを伝えている.この植物がカナダのフランス植民地から,女王ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス(Henrietta Maria of France, 1609 - 1669)に献上されときに,彼女はこの花を見て大笑いしながら「この花の色は枢機卿(Cardinal)の緋色の靴下を思い出させる」と言ったそうだ.
この名前がフランスから植物と一緒に,パーキンソンに伝えられたのであろう.

なお,Lobelia という属名は,フランドルの著名な植物学者,マティアス・デ・ロベル(Mathias de l’Obel, 1538 – 1616)を記念して,フランスの植物学者シャルル・プリュミエ(Charles Plumier, 1646 – 1704)が 1702 年に名づけた.マティアス・デ・ロベルは,それまで薬効で分類されていた植物を形態で分類した “Plantarum seu stirpium historia” を 1571 年と 1576 年に出版し,リンネの先駆者といわれている. "de l’Obel" という姓は白いポプラ(白楊) "Abele" に由来しているので,この名前は植物から人へ,そしてまた人から植物へと受け継がれた事になる.