2012年4月1日日曜日

ツタンカーメンのエンドウ (1) ツタンカーメンのエンドウはツタンカーメンの墓から見出されたものではない

King Tut’s Pea昨年10月に露地播きした,川口市に在住で,退職した会社の先輩 H 氏より頂いた種から育ったツタンカーメンのエンドウが花をつけた.昨年育てた「赤花蔓あり鞘豌豆 アカバナツルアリサヤエンドウ」とは花はよく似ているものの,茎や花茎,萼に紫色の斑点が入り,雰囲気が違う.

一般的には 1922年にツタンカーメンの墓から副葬品と共に発見された豆から発芽したエンドウの子孫といわれているが,これは大いに疑わしいというのが定説.
一つには副葬品に,えんどう豆がありこれが発芽したという考古学的な記録や証拠がないこと(the seed heritage experts at Kew Gardens say that “To the best of our knowledge, none of these stories is strongly supported by archæological evidence.”
 吉村作治氏「ツタンカーメン王墓からエンドウ豆は出土していませんとしか答えようがない」).
もうひとつには,エジプトの王家の谷の墓のような,人工物が原型をとどめる乾燥した場所は,種子の保存場所としては適していない事が挙げられる.
一方,19世紀から20世紀初頭のエジプトでは,お土産品として地元のエンドウが「ミイラのエンドウ」として広く売られていた.
また,カーターによるツタンカーメンの墓の発掘を財政面で支援し,(謎の)死を遂げた第5代カーナヴォン伯ジョージ・ハーバートの領地が原産地のエンドウに,その功績を讃えるためにツタンカーメンの名前を入れたという説もある.

植物に興味を持ってもらうための,ジョークやロマンとして楽しむには宜しいかもしれないが,科学的根拠には乏しいようだ.

欧米では簡単に “(King) Tut’s Pea ”と略されるが,画像を見るといくつかの種類があるようで,その中には真っ青い花をつけるレンリソウの仲間もあり,むしろこちらの方が異国的で,青いヤグルマギクの花束が,若くして残された王妃の捧げ物として発見されたツタンカーメンにはふさわしい様に思われる.


なお,日本に入り拡がった経緯については,中島氏の「ルーツその1」に詳しいが,その一部を引用すると
「昭和31年の夏のことです。アメリカに住むイレーヌ ファンスワーズ夫人より、日本から送られたサクラの種のお礼に、「世界友の会」の木下乙市さんに、二十粒(二百粒との説もあります)の「ツタンカーメンのエンドウ」の種が、その由来を書いた手紙を添えて届きました。(中略) そのエンドウの栽培に成功したのが、水戸の大町修治さんです。園芸好きのお父さんの援助が大きかったようです。大町さんは収穫したエンドウを「世界友の会」に送り返しました。それから日本各地に広がることになったのです。(後略)」とのこと.

なった実の莢は黒紫色.色素については「ツタンカーメンのエンドウ (2)」「ツタンカーメンのエンドウ(3)」参照.

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