2011年10月30日日曜日

ヒマワリ(3/4) へリオトロピウム 太陽を慕う花

Helianthus annuus
ヒマワリの花が太陽の動きにつれてその向きを変えるという「神話」は,ペルーからヨーロッパに導入された直後からあったようで,欧州でのヒマワリの最初の記述 Monardes & Frampton の書“Historia medicinal de las cosas que se traen de nuestras Indias Occidentales (1569)” & its translation “Ioyfull newes out of the New-found Worlde (1577)”には “ the flower dooth turne it selfe cotinually towards the Sunne, and for this cause the call it to be that name, as many flowers and Hearebes doo ths like:” 「その花は,太陽の動きにつれて,みずから継続的にその方向をかえる.これが太陽の花という名前の由来だが,他にも多くの植物が同様の動きをする」と書かれている.

英国の本草・園芸家の Gerarde はもっと冷静で,” The flower of the Sunne is called in Latine Flos Solis, taking the name from those that have reported it to turne with the sunne, the which I couldevever observe, although I have endeavored to finde out the truth of it;” 「ヒマワリはラテン語で太陽の花と呼ばれるが,これは太陽の動きと共に花がその向きを変えると報告されていることから名づけられた.私はこれが真実であるか検討してきたが,これまでのところその様な事は全く観察できていない.」といい,また「私見ではその名前は,花の形が太陽に似ているからだ」とした(“The Herball (1597)”).
Parkinson は “Paradisi in Sole (1629)”に形状や性状,利用法については細かく記しているが,名前に関しては,The Names “The first hath his name in his title (The flower of the Sunne). The second, besides the names set downe, is called of some Plantamaxima, Flosmaximma, Sol Indianus, but the most usuall with us is, Flos Solis: In English, The Sunne Flower, or Flowers of the Snne.” と太陽を追いかけるからだとは云っていない.

古代の南欧州で,向日性の植物として良く知られていたのは,地中海沿岸に自生する草本のヘリオトロープ(Heliotropium europaeum)で,ギリシャ神話では,太陽の神アポロに愛されていた水の妖精 Clytie クリユティエが,アポロの新しい愛人を讒言し捨てられたが,それでもあきらめきれず9日間飲まず食わずで,天空のアポロの日の馬車の動きを横たわった地面から目で追い続け,ついにこの花になったとされる.

ローマ時代の博物学者プリニウス (Pliny the Elder, 23 AD –79 AD) の「Naturalis Historia 博物誌」のBOOK II. AN ACCOUNT OF THE WORLD AND THE ELEMENTS. CHAP. 41. (41.)—OF THE REGULAR INFLUENCE OF THE DIFFERENT SEASONS.には,”One might wonder at this, did we not observe every day, that the plant named heliotrope always looks towards the setting sun, and is, at all hours, turned towards him, even when he is obscured by clouds.” (英訳,John Bostock) とあり,また第22巻,57節には「へリオトロピウムの驚くべき力についてはすでに何度か語ったが、これは曇りの日にも太陽に合わせて動くほど、この天体に強い愛着を抱いている。夜になると切ないかのごとく青い花をとじる。」(大槻真一郎責任編集「プリニウス博物誌 植物薬剤篇」八坂書房 1994)と記されている.
この和訳本では「へリオトロピウム(ヒマワリ、その他の向日性の植物)」とし,また渋沢龍彦『フローラの逍遥』(平凡社 1987)のヒマワリの項では,「プリニウスがへリオトロピウムと呼んだ植物は、たぶん今日へリオトロープという名で知られている、ムラサキ科に属する潅木のことだったらしい。園芸植物としてはペルー原産のものが知られているが、南ヨーロッパの原野に自生している種類もあったようである。」としている.
しかし,プリニウスの時代にはヒマワリも,現在ヘリオトロープと一般に言われている潅木の H. arborescens も欧州には入っていなかったことや,プリニウスのその後の記述にあるこの植物の草丈や花穂の形状から,このへリオトロピウムは南欧州に自生している H. europaeum の事であることが分かる.


17世紀になり,ペルーから花が大きく,その形も太陽に似ているヒマワリが入ると,地味な H. europaeum の「へリオトロピウム=太陽とともに回転する花」の地位を完全に奪い,絵画や彫刻のクリユティエはヒマワリとともに現れるようになった.しかし,欧州では現在でも H. europaeum はEuropean Turnsole, Europäische Sonnenwende, など,太陽の動きと関連付けられた一般名で呼ばれている.

Filippo Parodi (1630 –1702) “Clytie”
Charles de La Fosse (1636 – 1716) “Clytie changee en tournesol” 1688

2011年10月28日金曜日

ヒマワリ (2/4) 丈菊 天蓋花 迎陽花 日向葵 日廻り.花史左編,花壇綱目,訓蒙図彙,花壇地錦抄,草花絵前集,大和本草,廻国奇観,花木真写,滑稽雑談,絵本野山草

Helianthus annuus中国にはスペインに移入されてから数十年後には渡来した.
王路『花史左編』(1617)にヒマワリが「丈菊」の名で記載されているのが,中国の文献での初出と見られる.「其茎丈余亦堅粗毎多直生雖有傍枝只生一花大如盤盂単弁色黄心皆作窠如蜂房状至秋漸紫黒而堅劈而袂之其葉類麻而尖亦叉名迎陽花」.と草丈・茎の強さ・花の着き方・一重の黄色い花弁・種子のつき方や葉の形など,短い文の中にヒマワリの特徴が良く描かれている.背の高さだけではなく日を迎えて咲くと考えたのか,「迎陽花」という呼び名もあった(左図).
「この書は,初め24巻、のち27巻。花の形状・変異・栽培法・病害虫・月別の園芸作業・園芸用具などについて記すとともに、花にまつわる故事や名園・名勝を収録する。文学色が濃く、一般の園芸書とは趣を異にする。」とのこと.

日本には中国経由で 1660 年代までには入ったと思われる.調べることの出来た文献を経時的に並べると,

●水野元勝『花壇綱目』草稿本寛文4年(1664)に記述が含まれるが図はない.(磯村直秀 「明治前園芸植物渡来年表」)

●中村惕斎『訓蒙図彙』寛文6年(1666)にヒマワリ、ヒナゲシ、ギボウシ、イワレンゲなどの図が初出。刊行はこの年か翌年。(日本最初の百科事典)(右図は寛政元(1789)年版,寛政版は複数の項目を1頁に詰め込んでいる.絵画的な側面もあり美しい。画者は下河辺拾水)
「「丈菊」じょうきく・てんがいばな(天蓋花) 〇丈菊は一名ハ迎陽花という.日輪にむかう花なり.よって日車ともいう.花菊に似て大い也.色黄又白きもあり」 とある.

●伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』(1695)「日廻(ひまわり)(中末) 葉も大きク草立六七尺もあり花黄色 大りん」

●伊藤伊兵衛三之丞画・同政武編『草花絵前集』(1699) 「○日向葵 〇一名日廻り、〇一名にちりん草、花黄色なる大りん、草立も八九尺ほど亦は十尺ばかり、何所に植ても花は東へ向て開、八九月に咲。」と,花は東を向いて咲くと記述(左図).

●貝原益軒『大和本草』 (1709) 巻之七  草之三 花草類 には「向日葵 ヒフガアオイ」 「一名西番葵.花史ニハ丈菊ト云.向日葵モ漢名也.葉大ニ茎高シ六月ニ頂上ニ只一花ノミ.日ニツキテメクル.花ヨカラス.最下品ナリ.只日ニツキテマハルヲ賞スルノミ.農圃六書花鏡ニモ見ヱタリ.国俗日向(ヒフガ)葵トモ日マハリトモ云.」彼は渡来した観賞用植物に厳しかった.

●エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kaempfer, 1651 – 1716, 滞日 16901692)『廻国奇観 Amoenitates Exoticae , P 877. (1712)には,
菊丈  Dsĭo Gikf, vulgo Tengai fanna. Solis flos
Peruv[ianis]Lob[elii] . Chrysanthemum Peruv[ianum] Dod[onaei] . Helenium
Indicum maximum C[asparis] Bauh[ini] P[inacis] とあり,丈菊,天蓋花と呼ばれていたことがわかる.(引用羅文の[  ] 内は,略の補足).

●近衛予楽院(1667-1736)『花木真写』(1736年以前の成立)には,正確で美しいヒマワリの絵が「日向葵」として描かれている(右図).

●四時堂其諺編録『滑稽雑談』(1713年)巻之第十二 六月之部廿四下 に「日向葵」が出ているが,その記述は「葉が5裂して先が尖がり,花は薄黄色で(花弁は)5枚で中心は赤い(丹色)」とその記述から想像される花はトロロアオイに似ており,現在のヒマワリとは思えない(最下図,右側).

●橘保国『絵本野山草』(1755)には「「丈菊」日向葵(ひうかあをひ)といふは、長(たけ)七八尺、花の大さ七八寸、色黄にして春菊に似たり。かたち、岩畳(がんでう)に見えて柔なり。此はな、朝は東に向ひ、日中には南に回り、夕陽の比(ころ)は西にむかひ、大陽を追ふ。よって、日草とも名つく。合歓木(ねふりのき)は夕に葉をたゝみ、朝に開く。其外、朝に開き、夕に葩(はなひら)を抱(かかゆる)花多し。丈菊ひとり、大陽にむかひ回る。東坡(とうば)の詩に、李陵衛、律陰山二死ス。葵花ノ大陽ヲ識ルニ似ズ、と云にひとし。七八月花。」とある.
しかし図は花弁の先が丸く,むしろ現在メキシコヒマワリと呼ばれる近縁種に似ている.ただ,橘保国の記述や絵には間違いが多くあることが知られている(最下図,左側)

2011年10月21日金曜日

ヒマワリ (1/4) ペルーからスペイン,欧州へ Hearbe of the Sunne, Flower of Sunne, Marigolde of Peru, ロシアでの栽培が盛んな理由

Helianthus annuus
原産地は北西アメリカ.中央アメリカで栽培品種化され広がったと考えられ,紀元前からアメリカ大陸では食用作物として重要な位置を占めていた.ペルーでは黄色い花と形から太陽神の象徴として大事にされ,古いインカの神殿には彫刻がよく見られ,司祭や太陽神につかえる尼僧が金細工のヒマワリを身につけていた.この花を初めて見た西欧人は1532年にペルーへ進攻したFrancisco Pizarroで,スペインの進駐兵はインカの尼僧が胸につけていた黄金製の大きなブローチを貴重な戦利品とした.ペルーに多いので marigold of Peru とも呼ばれたこの花は,16世紀はじめに種が持ち帰られ,ダリアやコスモスなど,新世界の植物が最初にそだてられたことで知られるマドリード植物園で栽培が始まった.


1569年にスペインのニコラス・モナルデス(Nicolas Monardes, 1493 - 1588)がアメリカ大陸の植物に関する最初の本 “Historia medicinal de las cosas que se traen de nuestras Indias Occidentales” を出版したが,その中にヒマワリが出てくる.その後,これをジョン・フランプトン(John Frampton, 16世紀後半に活躍した翻訳家)が英語に翻訳して『新発見の世界からきた楽しい知らせ “Ioyfull newes out of the New-found Worlde”, 1577』という題で出版した(左図は1596年版の表紙,
全文は http://www.botanicus.org/title/b12075176 で閲覧できる).
フランプトンは「この太陽の植物 "Hearbe of the Sunne”」について”This is a notable hearbe, and although that nowe they sent mee the seede of it, yet a few yeeres paste we had the hearbe here. It is a strange flower, for it casteth out the greatest Blossomes and the moste particulars that ever have been seene, for it is greater then a greate Platter or Dishe, and hath divers coloures. It is needefull that it leane to some thing, where it growth, or els it will bee alwaies falling. The seede of it is like to the seedes of a Mellon, somewhat greater, the flower dooth turne it selfe continually towardes the Sunne, and for this cause they call it by that name, as many other flowers and Hearbes doo the like: it sheweth marvelleus faire in Gardens.." 変わった花である.というのは,とても大きな花をつけるからである.しかもこれまでに見たこともないほど変わっているのは,様々な色の大皿よりも大きい花をつけるからで,庭の中で見るとすばらしい」と書いている.



その後,欧州各地に広がり,英国の初期の本草家・園芸家のジェラード(John Gerard aka John Gerarde, 1545 – 1611 or 1612)はヒマワリについて,彼の“The Herball (1597)”に「この大きな花はカミツレのような形で,きれいな黄色の花弁を持っており,その中央部は手入れのされていないベルベットのようであり,針仕事で作られた奇妙な服のようでもある.じっくり見るとこの大胆な作品は,小さなたくさんの花のようで,根元で壊れたロウソク立ての先の部分に似ている.この植物が大きく育つと,花は枯れ,その部分に種子が現われる.種子は腕のよい職人が整頓して置いたかのようにきれいに並んでいる.それはまるでハチの巣のようである.」と記し,その大きさについては「私の庭では十四フィートにもなっている.ある花などは重さが三ポンド二オンスもある.直径が十六インチになるものもある」と自慢をしている(右図,左側).

30年後の英国では,ヒマワリはもうよく知られるようになっていて,パーキンソン(John Parkinson, 1567-1650)は “Paradisi in Sole (1629)” に,「このすばらしい堂々とした植物は,今日では誰でもよく知っている」と書いている(上図,右側).

やがて,庭園での観賞用花卉としての価値は落ちたものの,ヒマワリの種子の重要性が認められたのは 17 世紀に到達したロシアにおいてであった.ロシア正教会は大斎の40日間は食物品目の制限による斎(ものいみ)を行う.オリーブ油を含むほとんど全ての油脂食品が禁止食品のリストに載っていた.しかしヒマワリについては聖書に言及がなかったので,そのリストにはなく,ロシア人たちは教会法と矛盾なくヒマワリの油を食することができた. 19世紀半ばには広く民衆に普及し,ロシアが食用ヒマワリ生産の世界の先進国となったのであった.

ソフィア・ローレンの主演した映画『ひまわり』(“I Girasoli”, Vittorio De Sica. 1970) の舞台になったウクライナの広いヒマワリ畑には,このような宗教的な背景があった(図をクリックすると YouTube のイタリア版『ひまわり』のタイトル場面へリンクし,あのテーマ曲を聞くことができる.と記したが,著作権違反が摘発され,現時点では聞くことは出来なくなった).
(続く).

2011年10月6日木曜日

ヒガンバナとシロバナマンジュシャゲ

いつもは赤が先に咲くが今年はほぼ同時に咲いて見事.

10月2日(日)付の朝日新聞の『天声人語』にヒガンバナについて,「またの名を「ハミズハナミズ(葉見ず花見ず)」と言うそうだ。彼岸花のことである。葉が出る前にするすると茎が伸びて花が咲き、葉は花が終わってから出る。葉と花をいちどきに見られないゆえの異名だと、ものの本にある。〈前略でいきなり咲きし彼岸花〉神田衿子▼それ以外にも彼岸花は土地土地で様々に呼ばれ、異名は50を超えるそうだ。「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」はよく知られる。「死人花(しびとばな)」は墓地に咲くことが多いためらしい。わが郷里では、花の形からか「舌曲がり」と呼んだ。この名もどこか禁忌のニュアンスがある」とあった.

ヒガンバナに異名(里名という人も多い)が多いのは良く知られており,それだけ異様な花として目立ち,また生活と密着していたことが伺える.元千葉大学名誉教授栗田子郎理学博士によれば「越谷吾山が安永4年(1775)に著した『物類称呼』に18種、小野蘭山の『本草綱目啓蒙』(弘化元年、1844)にはすでに47種類」の里呼び名が」ありまた,「その後の山口隆俊をはじめとする多くに人々の精力的な収集により、現在では1000余の呼称が記録されている。例えば、松江幸雄著『日本のひがんばな』の巻末には1090の呼び名が地域別にまとめられている。」「これほど多くの名で呼ばれる植物は他にない。」との事である(http://www5e.biglobe.ne.jp/~lycoris/folklore-ethnobotany.htm).博士のホームページには興味深いヒガンバナ属の民俗・文化誌がまとめられている.

小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1803-1806)  巻之九 草之二 山草類 下 (東洋文庫)では数えたところ各地方での48の呼称が紹介されている.

石蒜 マンジユシャケ(京) シビトバナ テンガヒバナ(共ニ同上) キツネノイモ(同上下久世 )ヂゴクバナ カラスノマクラ ケナシイモ キツネバナ(備前) サンマイバナ(勢州) へソビ(同上粥見 凶年ニハ団子トナシテ食用トス ヘソビダンゴトイフ) ホソビ(同上) シタカリバナ(同上松坂) キツネノタイマツ(越前) キツネノシリヌグヒ(同上) ステゴノハナ(筑前) ステゴグサ(同上) シタマガリ(江州) ウシノニンニク(同上) シタコジ(同上和州) ヒガングサ(仙台) セウゼウバナ クハヱソサウ ワスレグサ(共ニ同上) ノダイマツ(能州) テクサリバナ(同上) テクサリグサ(播州) フヂバカマ(同上三ヶ月) シビレバナ(同上赤穂) ヒガンバナ(肥前) ドクスミラ キツネノヨメゴ(共ニ同上) オホスガナ(熊野) オホヰヽ マンジユサケ(共ニ同上) ユウレイバナ(上総) カハカンジ(駿州) スヾカケ(土州) ウシモメラ(石州) ハヌケグサ(豊後) ジユズバナ(予州) イチヤニヨロリ(同上今治) ホドゾラ(同上松山) テアキバナ(丹州笹山) キツネノアフギ(濃州) ウシオビ(同上) イツトキバナ(防州) ヤクべウバナ(越後) ハミズハナミズ(加州) 〔一名〕石垂(三才図会) 天蒜 重陽花詣 酸頭草 兎耳草 脱紅換錦 脱緑換錦 脱衣換錦
翻訳名義集ニ曼珠砂此ニ朱華ト云。俗ニマンジユシャケト云ハ此ニ拠ナルべシ。又小児コレヲ玩べバ言語詘シ。故ニ、シタコヂケト名ヅク。原野甚ダ多ク、阡陌道旁皆アリ。一根数葉、葉ハ水仙ヨリ狭ク、長サ一尺許、線色ニシテ黒ヲ帯、厚ク固クシテ光アリ。夏中即枯、七八月忽円茎ヲ出ス。高サ一尺余、其端ニ数花聚(あつま)リ開ク。深紅色六弁ニシテ細ク反巻ス。内二長鬚アリ、花後円実ヲ結ブ。実熟シテ茎腐リ、新葉ヲ生ズ。冬ヲ経テ枯ズ。根ノ形水仙ノ如ク、大サ一寸許、外ハ薄キ茶色ノ皮ニテ包ム。内ハ白色、コレヲ破バ重重皆薄皮ナリ。一種白花ノモノアリ。此ヲ銀燈花ト云。秘伝花鏡二見エタリ。(以下略)

『天声人語』の筆者の故郷では「シタマガリ」と呼んでいたそうだが,これは江州,すなわち近江国での呼称で,筆者はこの名は花の形状に由来すると考えているようだが,他にも「シタカリバナ」「シタコジ」「シタコヂケ」など名があり,「子供がもてあそぶと言葉が明瞭に話せなくなる」とあるので,むしろなめたりかじったりした時の球根の毒性に由来すると考えたほうがいい.植松黎『毒草を食べてみた』文春新書(2000) には,「万一、口にすると、最初は口のなかがヒリヒリ熱くなって生唾がこみあげ、おう吐がはじまる。吐いても吐いてもむかつきはおさまらず、胃のなかがかきまわされるように痛んでくる。頭がくらくらとし、上体をおこしていられず、何かにしがみついていても、自分がどうなっているのかさえわからなくなる。」と食したときの状況が記されている.

一方,ヒガンバナの球根は救荒植物としても使われていて,『本草綱目啓蒙』にも,「へソビ(同上 粥見 凶年ニハ団子トナシテ食用トス ヘソビダンゴトイフ)」(同上=勢州,伊勢国)との記述がある.『毒草を食べてみた』には,実際にそのヘソビ餅を作ってくれた能登のおばあさん(出身地は『本草綱目啓蒙』にある伊勢)の事が記載されている.
「毒性は、煮たり妙めたりして熱を加えても変わらない。それなのに、昔の人は飢饉とはいえ何だってこんな毒草を食べたのだろう。
その答えを出してくれたのは、球根を粉にして蒸したものをヘソビ餅だと教えてくれた能登のおばあさんだった。明治三二年生まれの彼女は、十六歳で伊勢から嫁ぎ、かつては旧家だったであろう、海にのぞむ大きながらんとした家にひとりで住んでいた。この家が建てられたのは百年以上も前だという。そのまま陋屋と化し、崩れ落ちたままになっている壁からは無数の小さな土の塊がごろごろとこぼれ、畳はカビで薄汚れ、何もかもが荒れ果てていた。そして、とほうもない静けさを破るものといえば、すさまじい勢いで岩場にうちあたる波の音だけだった。日本海の荒涼たる風景をひとりぼっちで眺めながら、彼女はときおり故郷を思い出してヘソビ餅をつくるのだという。」

なお,このブログのヒガンバナシロバナマンジュシャゲの昨年の記事はこちらから.