2011年5月7日土曜日

ヒナゲシ (1/2) 与謝野晶子, 『毛吹草』, 『訓蒙図彙』,『大和本草』『和漢三才図会』『絵本野山草』『梅園草木花譜』『本草綱目啓蒙』

1977年10 月英国ケンブリッジ

Papaver rhoeas = red (Greek)

嗚呼皐月 仏蘭西の野は火の色す 君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟(コクリコ)
与謝野晶子 『歌集 夏より秋へ』1914(大正3年)より

この歌にあるように,欧州原産の野草.英名の Corn poppy の名が示すように小麦畑の雑草.Corn flower (ヤグルマギク) とともに小麦の生育と同調した成長過程を取るので除草が難しく,特に手入れが悪い畑に繁茂する.
ケンブリッジの秋には小麦畑で,まさに晶子が夫と共にロダンの家を訪ねる途中で見た光景

「黄ばんだ麥と雛罌粟(コクリコ)と、
黄金にまぜたる朱の赤さ。」 (寛との合著『巴里より』1913(大正2年))

が見られた.

晶子にとって,この火の色のヒナゲシは,彼女の寛を追っての情熱と重ね合わせて印象深かったのか,『歌集 夏より秋へ』には,他にも
(仏蘭西南部のツウルにて)
「雛罌粟と矢車草とそよ風と田舎少女のしろき紗の帽」
「夏川のセエルに臨むよき酒場フツクの荘の雛罌粟の花」
(倫敦塔にて)
「哀れなる香こそただよへ雛罌粟に藍をにじませ野辺の暮るれば」
(ミユンヘンにて)
「秋くれば根も枯れぬらん雛罌粟は夜な夜な船の夢に立てども」
の4首が収載されている.

画像は1977年10 月に英国ケンブリッジの空き地で撮影.上方の黄色い小さな花をつけている細長い枝のアブラナ科植物は,日本にも帰化しているカキネガラシ Sisymbrium officinale と思われる.

日本で文献に現れたのは,1645 (正保2年)★『毛吹草』毛吹草 巻第五 毛吹草題目録 夏部に「美人草」の名で,七首の歌が掲載されているのが,故慶大磯野教授の初見である.
毛吹草 美人草
NDL
       百 合
姫百合は美人草をや待女郎                                         弘永

美 人 草
 花は虞氏(ぐし)露は涙か美人(びじん)草 定重
 折とるはりふじんなれや美人草                                     長重
 戀くさといふへき物や美人草                                        定時
 鬼あさみばけかはりてや美人草                                     留一
 捨(すて)られし西施(せいし)か野邉の美人草           正直
 えり出すや千種(ちくさ)の中の美人草                        圓成
 螢火をみてやゑみぬる美人草                                        貞盛

  訓蒙図彙 1666 NDL
図としては,1666 (寛文6年)刊行の★『訓蒙図彙』に「麗春(れい志ゆん)
俗云びじ(志+濁点)さう 麗春花(れい志ゆんくわ)
叉名(二)御仙花(ぎょせんくわ)虞美人花(ぐびじ(志+濁点)んくわ)ト(一)」として出ているのが古いようだ.
麗しさを賞されてか,よい鉢に植えられていて,大事にされていたようだ.

更に江戸中期以降にはかなり一般的に栽培されたと見え,貝原益軒★『花譜』(1694)には,「花譜中巻四月
虞美人草 芥子に似て小なり.其花艶(ゑん)なり.曽南豊が虞美人草の詩あり.園史に,虞美人草は罌粟(けし)の別種なりとかけり.また麗春花と云.格別論曰,麗春は罌粟の別種なり.くき,やはらかにして針あり,千葉あり,八重あり.魚のあらひ汁を折々そヽぐべし.八月中旬にうふる事,けしをうふるごとし.」とあり,また同人の★『大和本草』 第七巻 (1709) には虞美人草,美人草として「外」「虞美人草 名花譜云花四辧色艶ニ類(二)テ罌粟(一)而小ナリ 園史云呉俗呼テ爲(二)虞美人草(一)ト 蓋罌粟之別種也今國俗ニ美人草ト稱ス ケシニ似テ小ナリ 紅紫白ノ三種アリ 千葉アリ單葉アリ 紅夷ヨリ来ル種アリ 八月ニ子ヲマク 早ク生スルハ單葉也 千葉八重ハ單葉ヨリヲソク生ス 他花モ亦如(レ)此 肥テ軟ナル沙土ヨシウヘテ上ニ灰ヲオホヒ冬月糞ヲ置ヘシ 春月ハ糞ヲイム 虫生セシハ去ヘシ 春ハ魚汁ヲソヽクヘシ 四五月ニ花ヲヒラク 花甚艶ナリ好花トス 苗生シエノチ他土ニウツシテモヨシ 不(レ)移ニハシカス 冬月早ク糞水小便ヲソヽグヘシ 此物根小ニ莖多長大ニシテ風ニ倒ヤスシ 毎根厚ク培カヒ小竹ヲ立テ助ケ結フヘシ」と栽培法も記され(図右,中村学園)ている.

寺島良安★『和漢三才図会』(1713頃)(図左)の 巻第百三 穀類 には,
「麗春花(びじんさう)  賽牡丹(さいぼたん)錦被花(きんひか)
本綱、江東の人、罌粟の千葉なる者を呼びて麗春花と為す。或は是れ罌粟の別種なりと謂ふ。蓋し亦た然らず。其の花の変態は本より常ならず。白き者、紅なる者、紫の者、粉紅なる者、杏黄なる者、半紅なる者、半ば紫半ば白なる者有り、艶麗愛づべし。故に麗春と日ふ。
△按ずるに、麗春花の花葉の状は皆罌粟に似て小さく、其の種も亦た別なり。罌粟も亦た本より千葉の者有り。蓋し本綱時珍の説は非なり。比の草、高さ一尺以来、茎に白茸毛(うぶげ)有り。罌子には白茸毛と無し)其れ之れを種ゑ花を開く時も、亦た皆罌子と同じ。其の子を結ぶこと罌子に似て小さし。」とあり,その麗しさが称えられている.
絵本野山草 NDL

良安が引用しているのは,本草綱目の以下の部分で,八重の罌子粟が必ずしもヒナゲシ(麗春花)では,ないと時珍の説に異議を唱えている.
李時珍★本草綱目(1590)「穀之二 罌子粟(略)
時珍曰︰(略)   江東人呼 千葉者為麗春花。或謂是罌粟別種,蓋亦不然。其花變態,本自不常。有白者、紅者、紫者、粉紅者、杏黃者、半紅者、半紫者、半白者,艷麗可愛,故曰麗春,又曰賽牡丹,曰錦被花。 詳見游默齋《花譜》。」

★橘保国(1715-1792)『絵本野山草 四』(1755)
「麗春花(れいしゅんくハ)) 花鸎粟(くハをうぞく)
 俗にいふ美人草.かたち,芥子にして小く,はなびら同四.紫いろ,白有,大紅有,むらさき,,ひとへあり.また,八重有,千葉(え)有.春三月に,はなさく.葉は,けしのはにして,みじかく,花のつぼみ,葉茎,ともに毛有.台同.はな,ひらくにしたがひ,台をちるなり.
 鶯粟(をうぞく),八月ノ内,種テ喜(よ)シ.疎ニシテ壮(さかん)ナリ.子ヲ収メテ腐卜作シテ佳ナリ.五色千葉ノモノアリ.尤モ愛スベシトス.」(左図)

小野蘭山★『本草綱目啓蒙』(1803-1806) 巻之十九 穀之二 稷粟類 には
「罌粟 ケシ(中略). 一種ヒナゲシアリ.一名ビジンサウ.同時*ニ種ヲ下ス.苗葉共小サクシテ白毛アリ.高サ一尺許,同時*花ヲ開ク.形*同シテ小サク光リアリ.単葉,千葉,色ニ数品アリテ美シ.コレヲ麗春花ト云.時珍ノ説ニ麗春花ヲ千葉ノ罌粟トスルハ非ナリ.
 一名,御仙(閔書) 満園春(花疏) 胡蝶満園春(汝南圃史) 虞美人(同上) 娯美人草(丹鉛録) 百般嬌(秘伝花鏡) 鸎粟母(通雅) 舞草(名物法言) 虞姫草(南極篇)」とあり中国では多くの名で呼ばれていたとある.  *(罌粟と)

毛利梅園(1798 – 1851)★『梅園草木花譜』(1825 序,図 1820 – 1849)には,「千葉(八重)」の花が美しく描かれている(右図 NDL).

梅園は江戸後期の博物家.名は元寿,号は梅園,楳園,写生斎,写真斎,攅華園など.江戸築地に旗本の子として生まれ,長じて鶏声ケ窪(文京区白山)に住み,御書院番を勤めた.20歳代から博物学に関心を抱き,『梅園草木花譜』『梅園禽譜』『梅園魚譜』『梅園介譜』『梅園虫譜』などに正確で美麗なスケッチを数多く残した.他人の絵の模写が多い江戸時代博物図譜のなかで,大半が実写であるのが特色.江戸の動植物相を知る好資料でもある.当時の博物家との交流が少なかったのか,名が知られたのは明治以降.

現在,日本で修景花卉として河川敷などに植えられているひなげしはシャーレポピー(Shirley poppy).1880年頃に英国シャーレイにいたW・ウィルクス牧師が近くの野原で偶然見つけた赤花で白の縁どりがあるヒナゲシの株から,繰り返し選別して作り出した.ナガミヒナゲシと異なり,広く植えられている割にはあまり野生化しないようだ.

旧英連邦諸国の Poppy Day に纏わる ヒナゲシ (2/2) の話は11月07日に掲載.

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