2010年7月31日土曜日

カワセミ(翡翠) (1) 遭遇 (2)美しい羽,鳳冠,長恨歌,古事記,ソニドリ

カワセミ(翡翠、Alcedo atthis)カワセミ科 

***夏枯れで、庭で咲く花は数少ないので、番外編として近隣で見たカワセミのお話を。なおこれは今年の1月に作成した文を基にしている。

 (1)遭遇
 宅地開発の進む当地だが、まだまだ里山の風景が残っている。特に田んぼを潤した絞り水を水源とする小さな川は数多く、それぞれ利根川に注ぐまでにコサギ・ハクセキレイ・セグロセキレイなど多くの野鳥の命を支えている。

 先日そんな川の土手を散歩していたら、目の端にコバルトブルーのきらめき。カワセミだった。枯れたアシに止まると、お腹の部分の赤褐色が目立つが、川面をかすめて飛んでいるところを上から見る羽は、金属光沢を持ったラピスラズリの青色。下流から上流へ、双眼鏡で観察しながら追跡をした。
翌日、デジカメを持ってほぼ同じ時刻に行くと、目が慣れたのか直ぐに発見。今度は下流に向かって移動していったが、枯れアシの茎に止まったところを撮影。しばらく待っていると、今度は上流方向へ移動する一羽が出現。写真を撮りながら追跡したが、警戒心が強い。車が近くを通っても逃げないが、人間は横目で見ながら、なかなか近寄らせてくれない。それでも望遠の最大倍率で数枚の写真を撮り、フンの形跡から止まる頻度が高そうな場所を確認できた。


 写真をじっくり見ると、下流に移動した個体(左)は、くちばしが上下とも黒いことから雄、上流に移動した個体(右)は、下くちばしが赤っぽいことから雌と思われた。この小川はこの番(つがい)の縄張りになっているのであろう。川の傍には小高い丘があるので、そこに巣穴を掘っているのかもしれない。

(2)美しい羽
 カワセミの青い羽の輝きを見ていたら、1982年に国立博物館で開催された「北京故宮博物院展」で見た青く輝く冠が、カワセミの羽で作られていたのではと思い出し、古い絵葉書を引っ張り出した。明の第14代神宗万暦帝(1563~1620年/在位1572~1620年)の妃、孝端皇后(1599~1649)の“鳳冠”だった(左)。他にもネットで調べるとこの皇后のいくつものカワセミの羽で作られた鳳冠が現存することが分かった。

 中国では古くから、カワセミの羽のきらめく青色が珍重されたようで、唐の時代、玄宗皇帝と楊貴妃のエピソードから、白居易によって作られた有名な長恨歌(ちょうごんか 806年)に以下のような一節があり、楊貴妃の頭をカワセミの羽が飾っていたことが伺われる。

六軍不發無奈何 宛轉蛾眉馬前死・・・・・もはや軍は進もうとせず、如何ともしがたく、優美な眉の美女(楊貴妃)は天子(玄宗)の馬前で死したのであった。
花鈿委地無人收 翠翹金雀玉掻頭・・・・・花のかんざしは地に落ちて拾い上げるものもなく、かわせみや金の雀、宝玉の髪飾りも同様であった。
 また、この詩には、皇帝の旗や寝具の装飾にカワセミの羽や意匠が用いられていることが詠われ、中国では古くから高貴な人々の象徴として、またその服飾品を飾るために使われていたことが分かる。

 一方古代日本では、カワセミは「ソニドリ(青土鳥)」と呼ばれ、古事記(太朝臣安萬侶 和銅5年(712年))には、大国主命の歌の中に「カワセミ色の青い服」と読み取れる一節「蘇迩杼理能 阿遠岐美祁斯遠(そに鳥(どり)の 青(あを)き御衣(みけし)を)」がある。
 また天若日子(アメワカヒコ)の葬儀に際して、カワセミを死者に備える御饌を作る者に指名した(「翆鳥為御食人(翆鳥(そにどり)を御食人(みけびと)とし)」)という記述がある。
前者は単に羽の色を表しているので分かりやすいが、後者では、葬儀の役目に全て鳥が充てられている(雁:葬送の時、死者の食物を頭にのせて行く者、鷺:箒持ち、カワセミ:お供えを作る者、雀:米つき女、雉:泣き女)。人の名前だとする説もあるが、マザーグースの「Who killed Cock Robin? (誰が駒鳥を殺したの?)」に通じる不思議な世界を感じる。

 いずれにせよ、カワセミが美しい青い鳥との認識はあったかも知れないが、玉虫の様にはその羽を装飾に使うという習慣はなかったと思われる。日本人の美意識にはきらびやか過ぎたのかも知れない。

-続く-

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