2010年5月26日水曜日

サクラソウ(11)人丸 喜遊笑覧,サクラサウ 押花集

Primula sieboldii cv. Hitomaru

品種名;人丸,品種名仮名;ひとまる,表の花色;桃色内白,裏の花色;桃,花筒の色;桃,花弁の形;広,花弁先端の形;桜,花容;星咲き,花柱形;短柱花,花の大きさ;大,作出時期;明治後期,類似品種;衣通姫・槙の尾,その他;花弁厚い・早咲き・花茎やや短,

星咲きのため,開花途中の花の形は人形の様に見える.花弁が厚く,やや重たげに頭を垂れ風情があるが,雨には弱い.表裏の色がはっきりと異なるため華やか.3年前に購入したが,なかなか増えない.

 江戸時代中期の江戸でのサクラソウの楽しみ方には2つあった.一つは地元の農家が,野生の桜草を掘りとって植えた鉢を,一鉢四文で江戸市中で振り売りしていたので,これを買って自宅で鑑賞したのである.桜の次に桜草という事で広く知られるようになる.ただこの桜草は春の一時を楽しむだけで,育てることまではしなかったと思われる.
 もう一つは実生によると思われる種々の園芸品種の誕生である.喜多村 信節(きたむら のぶよ, 1783 - 1856) 著の『喜遊笑覧』(文政13年(1830))に
   安永七・八年(1778・9)さくら草 形のめづらしきがはやり 権家贈りものとす。数百種に及ぶ。 と,花弁の形の珍しい株が見出され,あるいは育てられ,しかもそれが有力者への贈り物として用いられるほど高い評価を得られていたことが窺える.

 桜草は花の変異の大きい植物で,今日の自生地でも色の濃淡や,白色の株,花弁の巾の広狭,弁先の切れの形などに変化した個体が見られる.このような株をもとに実生栽培をすれば,変わり花がたくさん得られても不思議はない. その「形のめづらしき」花の実物が巣鴨薬園長の渋江長伯が寛政年間(1789~1800)に作製した「サクラサウ 押花集(62品種)」に見ることができる.弁巾の広いものは少ないが,先の細かく切れた花が目につく.


その画像が国立国会図書館 「描かれた動物・植物(江戸時代の博物誌)」(http://www.ndl.go.jp/nature/cha1/index3.html)で見ることが出来る.引用すると,

『サクラサウ』 渋江長伯製 寛政元 (1789) ~寛政12 (1800) 頃 押花 1冊

サクラソウは18世紀後半に流行し始め、花弁や色の変わり物が現われました。示した個所の右が花銘「古今集」と「多武峯」、左が「舞之袖」と「井出ノ里」です。上2点は花が6裂 (野生品は5裂) 、左下は花が極小の奇品です。本書は見返しに寛政年間 (1789~1800) の作成とあり、全58品。著者渋江長伯は幕医で、幕府の巣鴨薬園などを管理し、また綿羊を飼育しました。


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